内 輪 第259回
大野万紀
東日本大震災から1年がたちました。一つの区切りではありますが、1年という期間は短すぎますね。ぼくの家にも95年の震災で壊れたまま放置している家具があります。なかなか手を付けることができないままに、あの日を忘れないためとか理由を付けて、ぐずぐずと置いてあるのですが。さてどうしたものか。
ハヤカワ文庫から新装改訂版として刊行された、ジョージ・R・R・マーティン『七王国の玉座』(上)(下)の解説を書かせていただきました。とはいえ、6年前に出た文庫の、用語や人名を新訳に統一した再文庫化なので、解説も以前のものに若干手を加えただけのものですが。まだお読みでない方は、傑作歴史ファンタジーなので、ぜひこの機会に手に取ってみてください。
また、創元SF文庫からは5月にロバート・チャールズ・ウィルスンの『時間封鎖』、『無限記憶』に続く三部作の完結編『連環宇宙』が刊行されます。こちらも解説を書かせていただいているので、ぜひお買い上げください。解説はともかく、作品は文句なしの傑作ですよ。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『鳥はいまどこを飛ぶか』 山野浩一 創元推理文庫
山野浩一傑作選Iとして、昨年10月に出た本。表題作や「X電車で行こう」など10編と著者あとがき(唐辛子マークで作者自身による各作品の評価つき)、それに高橋良平の解説が収録されている。
ぼくは山野さんとは浅からぬ縁があり、『SF百科図鑑』やサンリオSF文庫でもずいぶんお世話になった。NW-SW誌もほとんど持っているはず(でもどこにしまったのやら)。本書の収録作もたいがい読んでいるはずなのだが、何十年ぶりかで読み返すとなると、新鮮な気持ちで読める。
何といっても「鳥はいまどこを飛ぶか」と「X電車で行こう」がいい。著者あとがきでは、どちらも唐辛子マーク1つなのだが、とりわけ「鳥はいまどこを飛ぶか」は学生時代の気分とシンクロしていて、山の上にある学校から神戸の街へ坂を下りながら、次元の狭間を飛ぶ鳥を思った気分を思い出す。今読むと、けっこうユーモラスだ。
「X電車」も、列挙される鉄道の路線(今はなくなっているものが多い)に時代を感じるというか、とても懐かしい思いがする。しかし小説そのものはちっとも古びていない。確かに、これら硬質でリアルな幻想小説にSF的なジャーゴンは不要だ。
この2作以外では「霧の中の人々」がとても好きだ。山登りの丁寧な描写から、いきなりSF的で不条理な人工世界に移るところがいい。山野浩一の作品にはこういう悪夢のような閉鎖空間がよく現れるように思う。
どの作品も面白く読めたが、なるほど、手垢の付いたSF用語が入らない作品の方がすんなりと心に響く。「首狩り」なんかも宇宙人とか言わない方がよかったのにね。「カルブ爆撃隊」も不条理感が強いが、そんなに凄い話かなあ。何か、普通の山野浩一という感じなのだが。
『殺人者の空』 山野浩一 創元推理文庫
引き続き山野浩一傑作選II。表題作の他、「メシメリ街道」、「Tと失踪者たち」など9編と著者あとがきが収録されている。
とてもわかりやすくて、その分ずっしりと身にしみる不条理小説「メシメリ街道」が好きだ。内宇宙よりもっと普遍的な、時間の流れやエントロピーのような大きな定めへのあらがいを感じる。
「Tと失踪者たち」もいい。著者は「アイデアだけの作品」と低評価だが、こういう普通にSFな(とはいえSFガジェットが出てくるわけではない)話も書けてしまう人なのだ。
「内宇宙の銀河」もSFだ。これは著者自身の評価も高いが、基本的にはアイデアストーリーでありながら、まさに内宇宙と外宇宙の溶け合うところを描いている。今では良くあるタイプの話だという気もするが、やっぱり読み応えがある。
「殺人者の空」は学生運動の時代の殺伐とした雰囲気を色濃く残しながら、そこへ入り込んだ謎の他者を巡るストーリーが、突然SFというか、非日常な世界へとつながる。これも読み応えのある話ではあるが、あの時代を知らない読者にはこの学生たちの焦燥感や世の中から浮いた感覚が、どこまで伝わるだろうか。
「開放時間」や「闇に星々」といった、SFのガジェット満載のSFもある。「開放時間」はタイムトラベルものだが、SFとしての考察もしっかりと書き込まれていて、作者らしさもあり、面白く読めた。とはいえ、確かにちょっと古めかしい感じがある。
「ザ・クライム(The Crime)」は登山(climb)と犯罪(crime)の無理やりな駄洒落を含んだタイトルだが、登山小説としての側面が強い。しかし、生のまま出てくる登山用語がまるでハードSFに出てくる専門用語のような働きをして、非日常な世界にリアリティを与えている。面白かった。
『戦後SF事件史』 長山靖生 河出ブックス
星雲賞、日本SF大賞を受賞した『日本SF精神史』の続編で、戦後から現在までの日本SFとその周辺(アングラ演劇、幻想文学、マンガ、アニメ)を描く。「事件史」とあるが、事件というよりイベントといった方がぴったりくる感じ。後半はファンダムの話題(ただし東京中心)が多くなる。
副題に「日本的想像力の70年」とあり、著者はそれを前衛芸術や幻想文学とSFの親和性に求めようとしているが、その根拠は明確ではなく、むしろ著者の個人的な見解や体験が中核となっているように思える。それが悪いというのではなく、それぞれの独自な視点からSFを照射していくという方法は決して間違っていない。ただ、それが一般的なSF史の事実として捉えられるのであれば、ちょっと待ってといいたくなる。例えばアングラ演劇をSFの周辺として見ることも、そういう観点があってもいいとは思うが、普通のSFファンとしては違和感ありありである。本書では、前衛芸術や幻想文学のパートとアニメやSFファンダムのパートがまるで別世界の出来事のように、かみ合わないままに描かれている。ふーん、そういうこともあったんだろーな、という感じだ。
戦後の日本SFの通史を描くのだとすれば、本書はどうにもバランスが悪い。翻訳SFの受容についてや、東京以外の状況について。そして音楽とゲーム。とりわけSFの周辺を描くのにアニメと並んでゲームは重要な要素である。だから、本書は面白い読み物ではあっても、戦後の日本SFやSF周辺の想像力の系譜をきちんと網羅するには物足りないといわざるを得ない。
いや、それはそれで別にかまわないのだ。著者が自ら関わったファンダムのパートは(ぼくの知らないことも多く)とても面白い。通史ではなく、限定された部分集合だと割り切れば実に楽しく読める。労作である。
『南極点のピアピア動画』 野尻抱介 ハヤカワ文庫
SFマガジンに掲載の3編と書き下ろし1編の4編からなる連作短編集。これは(読者を選ぶかも知れないが――うちの娘に勧めたら、「尻Pはミク厨だからイヤ」の一言で切って捨てちゃった)紛れもなく傑作である。
ニコニコ動画や初音ミク、Twitterなどに興味がない、あるいはオタクっぽいものは無条件にイヤという人、表紙のせいで読む気がしないという人も、まあとりあえずは読んでみて欲しい。ある意味、徹底的に調子のいい、ご都合主義で無理やりな技術オタクのユートピア小説に見えるかも知れない(いや、そういう側面があることは否定できないが)。だが本書は『沈黙のフライバイ』につながる、著者のSF作家としての個性と信念が見事に結晶した、本格SFの傑作である。
読み方によっては、ネット上の集合知を全肯定するハッカー賛歌、プロパガンダ小説でもある。と同時に、コリイ・ドクトロウやブルース・スターリングなどの方向性を推し進め、さらに上をいく、今ここにある技術が未来を築くという物語である。ぼく自身は現実の初音ミクにはまっているわけではないし、MAKE(フリーソフトならぬフリーハードウェア、オープンソース・ハードウェアを目指す運動)の活動はすごく面白いと思いながらも「見てるだけ」の人ではあるが、本書については全肯定だ。
第1話「南極点のピアピア動画」(2008年)では月に衝突した彗星のため宇宙開発のプロジェクトが頓挫した大学院生が、その彗星の放出物によって南極点から吹き上がる双曲ジェットを利用した有人飛行を計画する。これを〈宇宙男プロジェクト〉として(「電車男」ってありましたね)、ボーカロイドの”小隅レイ”をフィーチャーし、”ピアピア動画”を舞台にプロモートして、オープンな民間事業として実現する。
第2話「コンビニエンスなピアピア動画」ではコンビニエンスストアの物流インフラに着目し、田舎のコンビニを舞台にした甘酸っぱく爽やかなラブストーリーが語られる(そもそも第1話もラブストーリーだった)。そしてそれは店頭で発見された新種の蜘蛛の糸によって紡がれる宇宙エレベータへとつながっていく(ぼくは本書の中でこの話が一番好きだ)。
第3話「歌う潜水艦とピアピア動画」は、クジラと”小隅レイ”の歌でコミュニケーションを図ろうとする研究者が、退役潜水艦を払い下げてもらい、海底で謎の存在と接触する。ここでは現在のネット・オタクたちが10年後に政府や各種機関の要職についていて、立場を越えて盛り上がる姿が描かれる。またデータマイニングや人工知能の分野で使われるベイジアン・ネットワークが不確実なコミュニケーションの解析手段として用いられているのも面白い。
最終話の書き下ろし「星間文明とピアピア動画」はその続編で、異星人(のロボット)が”小隅レイ”の姿を持って、平和裏に世界へ拡散していく。こんな風にあっけらかんと世界が征服される、優しい侵略の話は小川一水にもあったが、こちらはさらにハッピーで肯定的に描かれている。実在の人名や会社名を出しながら、来るべき新世界が現在と地続きに、ほんの10年後に現れると、作者は半ば本気で期待しているかのようだ。こんな世界が来て欲しい、ぼくも本当にそう思う。
ところで、小隅レイというと、ぼくにはどうしても今は亡き柴野拓美(=小隅黎)さんのにこやかな顔が浮かんできてしまい、萌え美少女とはあまりにもミスマッチで困ってしまった。ぼくにとって本書の最大の欠点とはそのことだ。
『NOVA7』 大森望編 河出文庫
オリジナル・アンソロジーの『NOVA』もはや7巻だ。小川一水、谷甲州、北野勇作といった常連の他、ぼくにとっては初めて読む作家も多く、バラエティ豊かな10編が収録されている。
宮内悠介「スペース地獄編」は傑作「スペース金融道」の続編。ちょっとイーガン・テーマが(そんな言い方で良いのか?)入ってます。好調。
小川一水「コズミックロマンスカルテットwithE」は、何と「結婚してぇん……」と全裸女が宇宙船に現れる、というおバカSFなのだが、あんまりエッチじゃない。残念。
谷甲州「灼熱のヴィーナス」は金星で起こった大事故を巡る現場の技術者の物語。堅実。
ノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』の増田俊也「土星人襲来」は仙台のヘルス嬢のところに土星人が来るというバカ話だけど、繰り返しギャグがちょっと滑り気味。無念。
北野勇作「社内肝試し大会に関するメモ」はタイトル通りの〈社員シリーズ〉ホラーSF。暗い社内で深夜残業をしている時のような幽かなもやもやした不安感がある。不気味。
藤田雅矢「植物標本集」は植物版「鼻行類」みたいな話で、小品だけれど面白かった。でもちょっと物足りない。淡々。
西崎憲「開閉式」は人間や動物に〈扉〉を見ることのできる女性の話。ショートショートだが、とても怖い。衝撃。
壁井ユカコ「ヒツギとイオリ」は自分の感覚を周囲に伝播させてしまう能力を持った少年と、痛覚を感じない少年との物語で、なかなかに切ない、痛い感覚がある。悲痛。
扇智史「リンナチューン」はAR(拡張現実)が当たり前になった世界で事故で死んだ彼女の映像をいつまでも再生している主人公の話。これまた悲しい、痛い話だが、文章でのARの描き方が面白かった。斬新。
そして最後に片瀬二郎「サムライ・ポテト」はごくストレートなロボットものだが、本書で一番心に残ったのはこの作品である。ハンバーガーチェーンのマスコット・ロボットである〈サムライ・ポテト〉とスイーツ・カフェのマスコット・ロボット〈リトル・アリス〉、そしてドラッグストアの〈イワサキ先生〉が、自意識を持ち、互いに語り合い、そして悲劇に出会う。映画になってもいい作品だ。傑作。
『ブラック・アゲート』 上田早夕里 光文社
上田早夕里の新作長編は、現代の日本を舞台にしたパニックものだ。致死的な感染症によるパンデミックものと同様に、危機的状況での日常社会の変質と、命がけで人々を助けようとする者、家族を守ろうとする者、そして過去の悲劇を背景に、個々の命より社会全体を守ろうとする者との葛藤や戦いが描かれる。
本書で日本を襲う大災害は、致命的な細菌やウイルスではなく、アゲート蜂という新種の蜂によるものだ。人間に寄生し、脳症を起こさせ、羽化する際に宿主の命を奪う。こんな蜂が全世界に広がり、日本でも人々の日常生活を激変させる。
主人公は瀬戸内の小島に住む病院の事務長だが、それまでアゲート蜂のいなかったこの島にもいつの間にか蜂が現れ、幼いひとり娘がすでに幼虫に寄生されていることを知る。本土に未認可の新薬があるという情報を得て、娘と共に島を脱出しようとするが、そこへ警察の新組織、公共のためには殺人も許されているAWS対策班がやってきて島を封鎖する……。
目に見えないウイルスや細菌ではなく、どこにでもいる昆虫が原因だということで、パニックの原因に対するSF的興味よりも、社会と人間のドラマの方が中心となる。
読んでいてどうしても原発事故と、その後の社会の様相を思い浮かべてしまうところがある。人々の疑心暗鬼とそれによる日常性の崩壊。一方で助け合いと現場の努力。
ただ、本書の後半は、むしろ狭い島の中での逃亡者と追跡者のサスペンスがメインとなり、〈殺人バチ〉の恐怖は背後に隠れてしまう。それはそれで面白く読めたのだが、本土の状況をもう少し描いたり、SF・ホラー的な深みを出すこともできたのではないかと思う。何といっても作者には「くさびらの道」という傑作短篇があるのだから。