内 輪   第257回

大野万紀


 数年前に買ったミニコンポのMDが故障して、MDを入れてもすぐにイジェクトされてしまうようになりました。このコンポはMDからパソコンなしで直接USBメモリにMP3変換できるので、重宝していたのです。長期保証に入っていたので修理できたけど、カーステレオも同じような故障をしたし、MDって故障しやすいのかな。まあ、もう消えていく運命の機械ですからね。修理できるうちに今あるMDをどんどんデジタル化しておかなくては。もっとも、MDならまだ変換する気がおこるけど、カセットテープはもう無理。時間がかかりすぎるのと、テープ自体が保存状態が良くない。同様にビデオテープも無理。本の自炊なんて、考えるだけでめまいがする。そのうちやればできる、というのは、そのうちいつか読めると積ん読を増やしていくのと、同じことですね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『リヴァイアサン クジラと蒸気機関』 スコット・ウエスターフェルド 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 懐かしの〈銀背〉復活ということで、でもその第一弾は、やや地味にジュヴィナイルの3部作の第1巻。
 第一次世界大戦が、遺伝子操作された巨大な空飛ぶクジラといった改造動物を有する〈ダーウィニスト〉英国の陣営と、蒸気機関やディーゼル機関で巨大な戦闘歩行機械を有する〈クランカー〉ドイツの陣営で戦われるという、スチームパンク(この言葉は使い方がちょっと難しいと思う)な歴史改変ファンタジーである。
 ナポレオン戦争をドラゴンで戦う『テメレア戦記』と同様に、史実にはわりと忠実でありながら、技術文明の背景が異なるというもので、遺伝子改変や歩行機械が出てくるからSFかというと、まあ実際のところドラゴンと何も変わらないですね。とはいえ、お話はとても面白い。セルビアで暗殺されたオーストリア大公夫妻に息子がいたという設定で、彼、アレックス公子はドイツ軍に追われる身となり、忠実な部下と歩行機械に乗ってスイスへ脱出する。一方イギリスでは、空へあこがれるあまり男装して英国海軍航空隊に志願した少女デリンが、アクシデントから巨大飛行獣リヴァイアサンに乗り込むことになり、戦争の勃発と共に、乗り込んできた女性科学者をエスコートしてオスマン帝国まで旅をすることになる。ところがリヴァイアサンはドイツ軍の空軍に襲われ、スイスへ不時着。かくてアレックスとデリンの運命が交差することになる。
 いや、まっとうなジュヴナイル小説です。両親を暗殺され、高貴な身分からいきなり逃亡者へとなってしまった誇り高い少年貴族と、平民でやたらと活発な戦闘元気少女。ほんのりとロマンス味もあり、これから物語がどう進んでいくのか期待される。
 〈クランカー〉の機械はまさにスチームパンクで、なかなかかっこいいのだけれど、〈ダーウィニスト〉の改造獣たちはどうにも汚くて臭くて、それはそれで面白いがあんまりかっこよくない。でもケモノ好きにはこっちがいいのかな。

『都市と都市』 チャイナ・ミエヴィル ハヤカワ文庫
 ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞、ローカス賞、クラーク賞、英国SF作家協会賞受賞という何とも凄い評価を受けた2009年の長編だが、本書はSFやファンタジイというよりはちょっと変わった設定のミステリである。
 現代を舞台に、とある殺人事件を捜査する中年の刑事が主人公なのだ。解説の大森望が言うとおり、本書の8割は、よくある海外ミステリの、リアルな警察小説として語られる。問題は残りの2割だが、それがこの舞台となる都市の特殊性というわけだ。
 東欧のどこか(アルバニアのあたり?)にある小さな都市国家なのだが、主人公の住む〈ベジェル〉と社会体制の異なるもう一つの国〈ウル・コーマ〉は、地理的には同じ位置を占め、モザイク状に国境が入り組んでいて、それぞれの国民は互いに相手の存在を意識的に無視する(目には見えていてもそれは存在しないことにする)ことになっている。この決まりに反した場合、多少の侵犯は大目に見られるものの、〈ブリーチ〉と呼ばれる第三の組織が介入し、違反者を取り締まる。この組織は2つの国のどちらにも属さず、国家を越えた権力を持ち、人々に怖れられているのだ。
 といった予備知識を解説を読んで頭に入れておくことが望ましい。でないと、説明の少ない前半は何だかわけわからない話になってしまう。しかし、この設定は確かに面白いのだが、SFとしては無理がありすぎ、ファンタジーとしてはリアルすぎる。現実のアレゴリーとして考えれば、見えていても見ない存在とか、空気のような恐怖とか、今の日本でも教室の中や、街の一区画とかに、差別の問題として現実に存在しているわけだが、この小説では両者は対等な存在であって、それに合わせた法律や社会システムができあがっており、両者の接点や交流方法も明確になっている。単なる建前と現実とか、心の中の問題ではない。まさに制度化された日常そのものなのである。
 作者自身、アレゴリーを否定しているとなると、本書はどう読めばいいのか。民族や宗教に関わる現実の差別を背景に置きつつも、この設定をそのままに受け入れて、犯罪捜査のミステリとして読むのが正解なのか。でも、例えばこんなルールを尊重するとしても、それに同調する必要のない外国人の立場というのがどうにも不明確で、その立場(つまり読者の立場だ)に立てば、本書で問題とされていることは何ら問題ではなくなるのである。主題が犯罪捜査から離れる第三部にしても、本格SFというのは苦しすぎて、裸の王様がずっと裸の王様でいられる理由がどうにも納得できない。何か読み落として、見逃しているのかしら。
 とはいえ、この二重都市、平行都市の雰囲気や空気は実に見事に描かれており、主人公たちの造形も良くて(特に前半で主人公の助手をする婦人警官が魅力的だ)、確かにとても読み応えがある作品である。

『リリエンタールの末裔』 上田早夕里 ハヤカワ文庫JA
 SFマガジンに載った2編、『NOVA』に載った1編、書き下ろし1編の4編が収録された短編集(書き下ろしは中編だが)。いずれも一種のハードSFといってもいい、科学技術と人間(個人)の関係を深く追求した作品である。
 うち1編「リリエンタールの末裔」は、『華竜の宮』と同じ世界を舞台にした作品。貧しい出稼ぎの少年が、空を飛ぶ夢を叶えようと、ハンググライダー職人と心を通わせ、社会の現実とも折り合いながら努力していく。ストーリーはストレートだが、背景となる海上都市の描写にリアリティがあって美しい。
 「マグネフィオ」は事故にあって深刻な脳障害となった夫の脳内情報を磁性流体によって可視可しようとする妻の姿が描かれる。実際に存在する磁性流体を使ったアートが、決して脳内情報を正確に表しているわけではないのに、人間はそこに人の心を見ることができる。それは単なる思い込みなのかも知れないが、わずかな情報から全体像を補完する人間の直感が、このような装置と組み合わされるとき、心の中に作り上げられる情景なのだろう。
 「ナイト・ブルーの記録」では海洋調査の無人探査機のオペレータが、機械とのインタフェースによってインプットされる以上のリアルな一体感を得る。ここでも、本来あるはずのない情報を、人間の心が補完し、リアルな情景を作り出しているのだ。
 書き下ろし「幻のクロノメーター」は18世紀のロンドンを舞台に、航海用の精密時計の開発に一生を賭ける時計職人(実在の人物だ)の姿を、その家の住み込み家政婦の目から描いている。この作品はちょっと他と毛色が違い、本格SF的なアイデアがもう一つの隠れた物語となって、クロノメーターを航海用に国家に公式採用してもらおうとする技術者の物語の裏側で進んでいく。とても面白く、好ましい作品ではあるのだが、この2つの物語はあまりうまくからみあっていないと感じた。どうせ歴史が変わるのなら、SF的な側面をもっと全面に出してもよかったのではないだろうか。

『火星の挽歌』 アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター 早川書房
 『時の眼』『太陽の盾』に続く〈タイム・オデッセイ〉三部作の完結編。
 魁種族(ファーストボーン)によって、アレクサンドロスの軍隊や19世紀末のシカゴやネアンデルタール人など、様々な時代のパッチワークで作られたポケット宇宙の中の地球〈ミール〉に21世紀から運ばれたビセサは、バビロニアの神殿にあった〈眼〉を通じてこちらの21世紀へ戻る。しかしそこでは未曾有の災害が迫っていた。ファーストボーンによる超巨大な太陽嵐により地上の生命は絶滅してしまうというのだ。だが人類は宇宙空間に〈太陽の盾〉を建設し、この大災害を何とか乗り切る。ここまでが第2部までの物語だ。
 そしてこの第3作では、再びこの太陽系にファーストボーンの魔手が迫る。〈Q爆弾〉と呼ばれる(何とベビーユニバースの創成を武器として使うものだ!)超兵器が、地球へ向かって接近中とわかった。反物質ドライブを持つ宇宙戦艦が迎撃に向かったが、どのような攻撃をしてもかすり傷ひとつ負わせられない。そんな中、ビセサは火星に植民した人々と共に、地球政府とは別行動を取り、この危機に立ち向かおうとする。
 カギとなるのは火星の氷の下にあるもうひとつの〈眼〉と、ミールの宇宙にいる〈火星人〉の文明だ。コンピュータ知性のアテナも関わり、火星の植民者との戦争や、ミール世界でのシカゴの移転など様々なエピソードが語られるが、本書ではファーストボーンがなぜこのようなことをするのかという動機も明らかにされる。
 クラークっぽさのある本格宇宙SFだが、この三部作はバクスターの力によって成功しているといえるだろう。宇宙論兵器なんてものを無雑作に持ち出すのはいかにも〈ジーリー〉シリーズのバクスターっぽいし、クラークには書けそうもない宇宙と人類の暗黒面、悪や残虐さ、無慈悲さといったこともたっぷりと描かれている。この結末は、あまりすっきりしたものではないが(結局先送りしただけのように思える)、ファーストボーンが相手じゃ仕方がないのだろう。

『アレクシア女史 欧羅巴で騎士団と遭う』 ゲイル・キャリガー ハヤカワ文庫
 〈英国パラソル奇譚〉の第三作。このシリーズはストーリーが第二作からずっと続いているので、本書から読み始めるのはお勧めできない。
 前巻の最後でアレクシアの妊娠が明らかになるが、夫である人狼のマコン卿は、それが自分の子だと信じられない。人狼に繁殖能力はないとされているからだ。スキャンダルは新聞沙汰になり、追い出されたアレクシアは男装の発明家マダム・ルフォーと、元アレクシアの父の従者だったフルーテと共に、イギリスを離れ、イタリアへと向かう。父の故郷であるそこでは、異界族を敵とするテンプル騎士団が反異界族の妊娠についても何かを知っている可能性があるのだ。
 そして、なぜかアレクシアを執拗に襲う吸血鬼たち。アレクシアの妊娠を機に、どうやら大きな陰謀が動き出したようだ。
 あいかわらず語り口はユーモラスで、おまけに今回は欧羅巴観光つき。人狼のライオール教授は今回ほとんど使い物にならないマコン卿に代わり大活躍。執事タイプの脇役はいつも光っているのだが、今回はフルーテがその役割だ。とはいえ、説明される異界族、反異界族、そして人間の違いに関わる疑似科学はさっぱりわからない。けっこう本質的で重要だと思うのだが、そんなことはどうでもいいのかも知れない。それならいっそ、もっとあっさりと、簡単にしてもいいのにね。でも作者には確かにSFへのこだわりがあるようだ。


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