ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜052

フヂモト・ナオキ


フランス編(その二十四) アドルフ・ベロー/黒岩涙香訳『人外境』

 伝統的に秘境探検でロスト・レースなものはSF、とゆーことになっているんやが、現代の感覚だとあまりSFな気はせんよねえ。どーせ、ヨーロッパ人にすれば火星に出かけて火星人に会うのも、アフリカに出かけて黒人に会うのも、極東に出かけて日本人に会うのも誤差の範囲で、どれもエイリアンとのコンタクト物やん、という人種偏見だろ、くぬやろ、くぬやろっ、などというオクシデンタルな思い込みがあるんだが、違うのか。

 ということでアフリカ探検なアドルフ・ベロー Adolphe Belot(1829〜1890)『人外境』。

 芽蘭夫人(Madame de Guran)の夫は、アフリカ探検に出かけ行方知れずとなり死亡したものとされていた。寡婦となった夫人の周囲には再婚を求める三人、文学士平州(Pericres)、画学士茂林(M. de Morin)、医学士鳥尾(Dr. Desrioux)がいた。
 芽蘭夫人は、本当に夫が亡くなったことを確認するためと、これらの三人のうち誰と再婚するべきかを決断するため、現地を訪れることを決意し、三人の同行を求める。
 医学士鳥尾は年老いた母親を介護する任があったため、アフリカ行きを断念。その代わりの医者として賭博で身持をくずした寺森(Delange)が参加。従者として与助(Joseph)、帆浦(Miss Beatrice Poles)といった面々を加えた一行は、アフリカの中央に位置する秘密国への困難な旅をはじめる。

 涙香なんで、これから読むという人も多少はおられるかもとストーリー紹介はこんぐらいで。もうちょっとという人は、ジェス・ネヴィンズさんとこで。てっとり早くどんな話か知りたいんだったら高木彬光先生のダイジェスト版「ラブルー山の女王」を読みましょう。
 高木彬光版はまんま「人外境」のタイトルで<探偵実話>5巻8号:1954年7月載った(未見)あと、「ラブルー山の女王」と改題して1956年の『ボルヂア家の毒薬』東方社、1956年ほか、何度か作品集に収録されている。
 原書を手に入れたわけではないようで登場人物名デュラン夫人に、画家サンクレール、医師クレマン、文士ロンゾールと、適当である。

 まあ、天文学のデータを積み上げて異星の環境を描写するのと、博物学的データを積み上げてヨーロッパ人にとってのテラ・インコグニタを描き出すのと、やってることは一緒ちゃあ一緒なんやが、要の女人国のパートが短いのでSF性を期待すると拍子抜け感は強いかも。

 原書はブラック・ビーナスだと昔からいわれていたが、売っているのを見かけてもバカ高くてとても手が出せません。近年、幾つかデジタル化されたのがネットに出てきたので、多少輪郭がつかめるようになって来たんやが、どうも仏語原書は三分冊で出たのと、あとでまとめて出たものがあるんやね。
 三冊本はそれぞれ La sultane parisienne, La fievre de l'inconnu, La Venus noireの題で出ていて、
 一冊本になったのがLa Venus noire : voyage dans l'Afrique centrale かと。

 で、英訳はそれぞれを源流にした二系統に割れているような気がするんだが、そんな単純なものでもないかも。
 ともかく一つは、H.M. Dunstan訳でインターネット・アーカイヴで読める三冊本A Parisian Sultana(Book I. The pilgrims of the Nile/Book II. In the heart of Africa/Book III. Venus in ebony)
 もう一つが、George D. Cox訳のThe black Venus : a tale of the Dark Continent.

 ブラック・ビーナス、ブラック・ビーナスゆーとるということは涙香はCox訳に拠っているのかねえ。でも、いかにも涙香が読んでそうなシーサイドライブラリー版は、The Parisian Sultana、The Thirst for the Unknown (Sequel to " The Parisian Sultana")、The Black Venus (Sequel to "The Thirst for the Unknown")の三冊本になっているね。

 翻訳は<万朝報>1896年3月10日〜1897年2月26日。1896年3月7日には序文に相当する文章が掲載されていて、これは、なんか、「谷孫六用箋」と印刷してある原稿用紙に涙香の文章が筆写されてるのが出てきますた。と涙香の親戚の鈴木珠子さんにいわれた江戸川乱歩が、人外境の新聞連載の前書きだろうけど、貴重じゃね? と<宝石>1957年2月に涙香の遺稿といって掲載したやつ。

 ところで徳冨蘆花は、伊香保温泉で人に『人外境』を朗読させて、ごろごろ寝っ転がって聞いていたらしい。
 貸本屋から涙香をつぎつぎと借りて来ては人に読ませて、ゴロゴロって、さすが偉い人は違うねえ。大正6年5月13日から24日に『人外境』、26・27日に『大金塊』、27日にはさらに『非小説』29日『怪の物』31日『嬢一代』と、いや結構な御身分で、といった感想になるんやが、これって蘆花に限った話ではなくて温泉地ですごすスタイルとして一般的なもんだったの? ひょっとして今の腐女子の人も貴腐人レベルに達すると、声優をはべらせてBLを朗読させるトド生活、みたいなことになってるのかっ。

 さて、アドルフ・ベローが日本で、どのくらい読まれてたかってとこなんだが、とりあえず目につくのは條野採菊の『残花憾葉桜』Fleur-de-Crime(英題:Marguerite Lacoste: or, Fleur-de-crime) ぐらいか。

 條野採菊といえば、採菊にはハガードの翻案「初東風」ってのがあるという話を柳田泉が書いていたけど、それってどこで読めるんだよ、と思ってたら、條野採菊研究家の土谷桃子さんという方が、「初東風」を掲載していた時期の<やまと新聞>は残ってないのでよくわからんが『佐竹三九郎』がJessの翻案なんで、これが「初東風」の単行本化でねーの、と書いておられます(黒田撫泉(=力松・1869?〜1930)の翻訳に基づくものだとか)。

 土谷さんは90年代に採菊の翻案の研究をされてとったようやが、この時期でも気合を入れればもう少し原作のことが分かった気がするけど、そっちじゃなくて<やまと新聞>の読み込みに力を入れたのは、正しい選択だな。
 とはいえ2009年に『江戸と明治を生きた戯作者』として研究をまとめた時点ではもう少し、原作の探求を進めてもよかった気も。


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