そんなこんなでスペインである。戦前のスペイン物といえば。フェルナンデス・フローレス Wenceslao Fernandez-Florez(1885〜1964)。以上。ってことになっている。
ということで「真夏の海魔」読んどけっ、で済む話なんだが、今のところウェブ上にフェルナンデス・フローレスついてまとまった日本語の文章が見当たらないので、だらだら書いちゃうもんね。
「真夏の海魔」は、前月と同じボロノフ・ネタの小説。原題が El ladron de glandulas 腺泥棒。で、腺が睾丸の言い換え語ということは本来はキンタマ泥棒って邦題になるはずだったんだね(いや永田先生は「腺泥坊」改め、と書いてるんやが)。
同タイトルで原書単行本が出ているけど、大金持ちの老人にキンタマを狙われる、ってそれだけの話で長篇になるかぁ。本一冊になるような長篇にしては邦訳版は短いので、思いっきりぶった切られているのかと思ったら、原書も表題作ってだけで、後にいろいろ付いていて「真夏の海魔」自体は短い話なのであった。
俺の買ったスペイン語原書(戦後版)には章題等はなし。一方、邦訳には以下の章題がついている。
仏蘭西随一の夏場/遊楽人種と代人決闘/富みて満たぬこころ/内分泌腺の買入れ/海魔のつけ狙ひ?/モダン人魚/これを戒むる色にあり/海魔の本領/生ける屍
その「内分泌腺の買入れ」パートの
「単に、腺が買ひたいだけなんです。むろん健全で、無傷で、そつくりした腺に限りますが、しかし、とにかく普通有りきたりの腺です。人体の一小部分で、それがなくとも、完全に生きてゐられます。手術も簡単です。」
という部分がキンタマ、キンタマと書いてあるかと思うと味わいがまた。はっ、猿の肝取りってのも、実はキンタマの言い換えだったりするのかっ。
十九世紀末は、精神交換で肉体乗っ取り→若返りってのがトレンドだったような気がするんやが、20年代はボロノフ・ブーム→金取り流行、と地味で堅実な路線に移行してたんやね。アメリカでも同じ腺(キンタマ)泥棒という題の小説が出てる(Bertram
GaytonのThe gland stealers)って話は、回春治療のトレンドを追いかけた『老いをあざむく』新曜社、2002年にもでてくるのだが、そこで作者名がバートラム・ゲイマーになっているのは訳者ではなく原著者の責任らしいぞ。
でも、はっきり言って「真夏の海魔」なんてどうでもよくて、フェルナンデス・フローレスで読むんなら『七つの柱』である。慾望が失われた世界を描く、という実に野心的で味わい深い作品で、SFテイスト満点なんやが、ただその欲望の失われ方がファンタジック過ぎて、SF呼ばわりすると怒る人がいるかも。
別にネタバレとかいう問題ではないよな。話はそれ、悪魔がですね、七つの大罪を封印してしまうのよ。強欲とか愛欲とか憤怒とかいうアレがですね、巨大な獅子とか、熊とか、驢馬の格好でドタドタ走り去って行くスペクタクルなシーンを、是非ともポカーンと眺めていただきたい。
『七つの柱』Las siete columnas も永田寛定訳が『新世界文学全集24』1940年、にあって、戦後すぐに「二十世紀文学選集」として再刊。その後、小学館の「地球ライブラリー」の一冊として、牛島信明訳が登場。紙幅の都合で完訳でないのが惜しいが、取りあえずこいつを図書館ででも探して下さい。
牛島先生はお亡くなりになられたようだが、残りの部分の訳稿とか残ってないのかねえ。古典新訳文庫とかに入っていていい作品だと思うけど、ネームバリューというハードルがあるんかのお。いや、スペイン文学界を挙げて推していただきたい、などとも思ってしまったんやがのお。
なお永田先生はフェルナンデス・フローレスは二語連結の『姓』なんでフローレスいうなっ。それよりもブラスコ・イバーニェスをイバーニェスゆーなっ。しばくぞっ(←とはいってない)。と、お怒りなので(『新世界文学全集』)、皆も注意するように。
フェルナンデス・フローレスがいつ頃から日本で読まれているのかよくわからんが、とりあえず俺が見かけたんだと<時事新報>の1926年1月23、24、26日に永田寛定先生が「西班牙文学の一色調」という紹介文を書いていて、その一、二回目でフェルナンデス・フローレスを取り上げ、「『亡者風』を最高傑作に推すべきだらうが、時々ABC紙上に発表するもの孰れも捨てがたい味を具へてゐるのである」とか言っているね。これが、同じ1926年『世界短篇小説大系 南欧及北欧篇』に永田寛定訳「死びとの風」Aire de muerto が収録につながっとるのか。いや、確かに「死びとの風」は面白いよ。
続いて、1932年に永田寛定訳、改造社『世界ユーモア全集 第8巻』が「われら大戦に行かざりしもの」Los que no fuimos a la guerra、「怪談死びとの風」Aire de muerto、そして今回御紹介した「真夏の海魔」 El ladron de glandulas を収めて刊行されている。
雑誌掲載だと<新青年>に伊藤健訳「小さい大悲劇」(書き文字のタイトルは少さい大悲劇)1932年10月、秋本恒彌訳「小さな悲劇」1941年4月の二点。タイトルからすると同じ作品の訳かと思うが、実は別物で、多分、Tragedias de la vida vulgarからの訳。伊藤訳がSoinaで、秋本訳がEn el hogarと見たが違ったらごめん。
そいでもって先述『新世界文学全集24』があって。
戦後は、1952年の『七つの柱』が独立して再刊された他はアンソロジーに以下の三つがあるくらいかねえ。
会田由訳「なくなった雨傘の話」(『南欧小説選』筑摩書房・1953)、東谷穎人訳「暗闇」Tinieblas(『スペイン幻想小説傑作集』白水社・1992)、東谷穎人訳「汽車の旅」El hombre que compro un automovilの抄訳(『笑いの騎士団』白水社・1996)
もちろんおすすめは「暗闇」だよね。
こうしてみると抄訳とはいえよく小学館から『七つの柱』の新訳が出たな。