ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜049

フヂモト・ナオキ


フランス編(その二十三) ピエール・ビロテエ/辰野隆訳「若返り過ぎた噺」

 仏国翰林院ことアカデミー・フランセーズ、定員40。1635年の創設以来、その40の座席をめぐって激しい闘いが。
 ACademieFrancaise40。これがAKB48の元ネタである。←ウソつけっ。
 ウィキペディアをみると会員番号毎(←会員番号とゆーなっ)に歴代メンバーが書いてある。大体現役メンバーは18代目くらいか。ようするにお亡くなりになったところで卒業扱いなので高齢化は避け難い模様。

 というところで、ピエール・ビロテエ Pierre Billotey(1886〜1932)なる、ピエール・ロチのパチもんくさい名前の作家は、仏国翰林院が爺呼ばわりにブチ切れ、会員に当時話題だったセルジ・ヴォロノフ(セルジュ・ボロノフ Serge Voronoff)の猿のキンタマ移植手術による若返り処置を施すという「若返り過ぎた噺」を書いちゃったのである。

 近代の若返り手術ブームの有名どころの最初はスタイナッハあたりだと思うけど、これは輸精管をしばって精液の流れを止めることでホルモンバランスを崩して(←大幅に簡略化しているので、正確なとこはちゃんと調べてね)、若返るみたいな方法論で、その後、ヤギのキンタマの移植ブームがあって、その次のトレンドが類人猿のキンタマだったわけである。
 なんでも欧米では、睾丸がNGワードで、言い換え語が「腺」、それがそのまま日本に伝わってるので、戦前の本に「腺移植、腺移植」って出ていて、ん? と思ってたけど、要はキンタマ移植やったんやね。

 そんな「若返り過ぎた噺」を、こともあろうに辰野隆(1888〜1964)の御大が訳してるとは。『さ・え・ら』1931年・白水社に収録されているんだが、文末に「一九二七、秋」とあるのでどこかの雑誌に発表されていたものか。
 原作も書き下ろしってことはないと思うが、辰野は『大家無礼講』より、としているのでLes Grands hommes en libertesからの訳と見て間違いないだろう。

 同書は同時代のフランスの有名人を実名でちゃかしている本(と思う)。各編にカリカチュアっぽい挿絵がついているのだが、俺の持ってるヤツは、ちょうど「若返り過ぎた噺」のところがパチられているので、イラストはお見せできない。
 お話は、ヴォロノフのところへ<両世界評論>編集長ルネ・ドウミック(会員番号26←会員番号ゆーなっ)が、是非、仏国翰林院の若返りに協力願いたいと頼み込んで来るところからはじまる。
 それでドウミック以外は若返ってしまい、そのせいで翰林院の会員は皆が皆、会合そっちのけで遊びほうけてしまうことに。

「僕は会員の行方を訪ねて一々住所を歩きまはつたが悉く留守なのだ。揃ひも揃つてロバンソンの森に遊びに行つて了つたのだ。森に行つて見ると驚くぢやないか、誰も彼も野獣のやうに跳ねたり、喚いたり、若い女性と怪しからん真似をしたりしてゐる。アナトオル・フランス[会員番号38←会員番号ゆーなっ]なんか、ノオトル・ダアムの軽業師のやうに赤裸で蜻蛉返りを演つてゐる。あの温厚なるルネ・バザン[会員番号30←会員番号ゆーなっ]までが木の枝に登つて僕を見下しながら「やい、ドウミツクの老惚れピヨン!」などと罵詈を逞くする始末だ。由来、翰林院は本質的に老年であるべきだ。青春が何の必要がある。」(若返っているというより、お猿さん化した体裁の描写になっているわけやね)

 それで、元に戻してくれと泣きついてきた訳だが、若返らんアンタがいかんのやろ、と手術を奨められ、説得されてしまう。チンパンジーとかオランウータンはどうかやめてくれ、ポケット・モンキーでお願いします、という結末。
 それは何か、ドウミックがキンタマの小さいヤツという皮肉かなんかなのかっ。

 この作品で気になったのが以下のくだり。

「最も気の毒だつたのはアンリ・ボルドオで、ドウミツクから手術の話を聞かされた時は今にも泣き出しさうな面相になつて、――僕はとても駄目だよ。子供の時分に、高い所から落ちて男性の男性たる所以を破壊して了つたのだ。残念ながら手術を受ける場所がない。」

 アンリ・ボルドー(会員番号20←会員番号ゆーなっ)、ってタマ無しサオ無しのオネエ・キャラだったの? フランス人といえばホモであるというのは筒井康隆の『乱調文学大事典』で文学知識を得ている我々の年代の人間の間では常識だが、キク・ヤマタはボルドーだけでなくてその娘にもあったと書いているし(『パリの作家たち』1950・三笠書房)、プルーストのダチとしてボルドーに言及した中野知律「アンリ・ボルドーに逆らって」にもそんな話は出てないんやが、これもなんかのあてこすりかなんかなのかっ。
 ビロテエのことが良くわからないので、以下、ボルドー話。
 日本では単行本として出ているのは『新子供十字軍』1953年・ドン・ボスコ社しか、見当たらない。その他、目についた翻訳をリストアップすると以下。

佐藤雪男訳「小間使の情味」<新趣味>1922年6月
池只一訳「死人の子」<探偵趣味>1927年1月
萩原彌彦訳「サヴォア巡礼(一)」<カトリック>1933年7月※随筆
萩原彌彦訳「サヴォア巡礼(二)」<カトリック>1933年9月※随筆
萩原彌彦訳「サヴォア巡礼(三)」<カトリック>1933年11月※随筆
「空の守護神」<経済マガジン>1937年8月号
藤島敏男訳「ギド・レイ」<アルプ>1959年5月※ギド・レイの本の序文
藤島敏男訳「ギド・レイ(二)」<アルプ>1959年6月

 「死人の子」ってのが、早すぎた埋葬モノ(なんてジャンルがあるのか)。涙香の類例ということで、渡辺浩司「<<医学小説鑽崇>>の原作」<清末小説から>103号で紹介されてます。「小間使の情味」は目をかけてやった小間使がとっと辞めてしまった、このとっと辞めたのが実は小間使の御恩返しだったというオチの小品。ACF40のメンバーでも、そんなウケ狙いだけみたいな小説を書くんだねえ。


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