続・サンタロガ・バリア  (第103回)
津田文夫


 アジアカップの決勝戦を前半だけ見て寝て、起きたら李忠成のきれいなボレーシュートで勝っていた。毎回、前半でコケそうな試合を見せてくれたけど、終わってみればいいチームだった。これでベテラン層は代表引退できるのか。

 ちょっと無理してニューイヤーコンサートを聴きに行ったけれど、体調の所為か「こうもり序曲」から眠りっぱなし。大フィルのコンサートマスター、われらが長原幸太君はベートーヴェン「ロマンス」、サン・サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」にサラサーテ「チゴイネルワイゼン」とまさに正月公演なプログラム。きつい音がまったく出ない独特の音色で気持ちがいいが、やっぱり寝てしまう。最後は「新世界」でアンコールは勿論「ラデツキー行進曲」。さすがに寝られないので拍手はしました。秋山和慶指揮の広島交響楽団はいいオケだけれど、何かこぢんまりとまとまった感じ。

 YouTubeでエマーソン・レイク・アンド・パーマーを見てたら、「Oh My Father」というデビュー間もない頃の未発表曲があって、グレッグのソロがユルい構成だけれどこれがいい。出所を見ると数年前に出たボックスセットに入っていたらしい。国内版は1万5千円、輸入盤でもそれなりの値段なので、現在思案中。

 正月休みが取れるようになったので、ちょっと長いものをまとめて読もうと思い、まず手を出したのが、ジョー・ウォルトン『英雄たちの朝』、『暗殺のハムレット』、『バッキンガムの光芒』のファージング三部作。SFMの書評欄にも採りあげられて、ルドルフ・ヘスのイギリス行きを扱って『双生児』と比較される歴史改変物ということで、ちょっと先入観があった。それがいけなかったのか、第二部以降は物語枠の構えの大きさが語られるストーリーとギャップが生じているように思えた。読み終えた後では、解説にもあるようにこれは本来コージー・ミステリの範疇で物語られるはずのもっとこぢんまりした話だったのだ。第三部のデウス・エクス・マキナ(水戸黄門)的な結末はこの作品の本質であるコージー・ミステリの仕儀をよく示している。だからナチスドイツと妥協したイギリス政府の政治的陰謀劇と、各巻に配されたヒロインたちと三部作通しての(後で肩書きは変わる)警部の視野からは見えない大きなものの影が薄く、SF的な興味が湧きにくい。などと長々と悪口を書いているが、ほとんど1日1冊のペースで読めたのだからエンターテインメントとしては文句なしである。翻訳の上手さも感心する。

 文庫になるまで待とうと思っていたら、奥さんがセコハン本屋で買ってきてしまった村上春樹『1Q84』3巻セット。さすがに目の前にあれば読んでしまうのだった。1巻と2巻が問題編で3巻が回答編みたいに見えるが、それはどうでもいいことなのかもしれない。青豆のパートは乗っけから情報小出し方式サスペンスで、天吾パートは作家志望の若者が巻き込まれる改作ベストセラーづくりのてんやわんや。『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』に較べるとはるかに外面的な物語づくりだ。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に近いか。ただし、『世界の終わり・・・』と違い村上春樹が現実世界で興味を示した題材、不気味なカルト教団をメインにDVや老親介護など様々な社会問題の枝葉がリアルに詰め込まれている。物語を意識する登場人物といったメタフィクション的な身振りもある。おまけにセックスも満載だし。そして第3巻の情報屋パートの孤独。これだけ詰め込んであっても総体としての物語はそれほど面白くない。それは紡がれた物語から村上春樹の声を聞き取ることが難しいからだ。隔靴掻痒。ふかえりの壊れた子宮を目指した天吾のスペルマは青豆の子宮にワープしちゃうし、SFの読み過ぎだとのセリフさえあるんだから、SFと強弁できるが、まあファンタジーでしょう。

 面白いという点ではJ・G・バラード『人生の奇跡 J・G・バラード自伝』は、ファージング三部作や『1Q84』よりも楽しめた。死期を告げられてなおこのバラード節というのは本当に感動的だ。上海時代の記憶がどれほど再編集されているのかはバラード本人にも判らないだろうが、そのユニークな記憶が作家バラードを出現させたことは間違いないところ。だから前半の上海時代がハイライトではあるけれど、妻を亡くした後、父親として子どもたちを育て上げた自負を、あれほど強く打ち出していることに衝撃を受ける。作品からはもっと奇矯な後半生を期待していたのに、少なくともバラード自身は真っ当な人生を送ったかのように振り返っている。いつか分厚いバラード伝が書かれたら読んでみたい。

 大森望編『きょうも上天気』にバラードが入ってたよなと思い、積ん読の山から引き出して「コーラルDの雲の彫刻師」を読む。浅倉さんの翻訳も素晴らしいが、バラードの自伝の文章がそのまま小説に流れ込んでる感じがしてゾクゾクした。しかし、SFロートルにとって、大森望のこのチョイスはあんまりだよねえ。いくら忘れているとはいえ、これだけ若い頃に読んだものをベタに並べられると、いったい今は何年だよと文句も言いたくなる。いや、ロートルを相手にはしてないことはよく分かるけど。一番しっかりと忘れていたのは「空飛ぶヴォルプラ」だった。大森望には後書きで列挙した浅倉さんの翻訳をさっさとまとめて出してほしい。

 西崎憲『蕃東国年代記』はいかにも作者らしい落ち着いた雰囲気の連作短編集。なんか池上永一のテンペスト琉球を日本海に浮かべたようなつくりで、わりとライトノベルっぽい書き方なんだけれど、はしゃいだ感じがないのは極彩色を嫌う作風からして当然ですね。190ページの内、80ページを占める巻末の中編「気獣と宝玉」はかぐや姫の婿取りテストを下敷きにしたような話で、アクションもサスペンスもたっぷり入っているんだけれど、モノクロ・サイレントで撮った映像が脳裏に残る。内扉のフランス語が記入された南蛮渡来風極東地図や架空の書物から引用されたエピグラムが、使い古された手法として軽薄さを感じさせるにもかかわらず、作品から立ちのぼる瀟洒な雰囲気によって沈むのだ。


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