ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜040

フヂモト・ナオキ


フランス編(その二十) 「星界の人類」『アシェット百科全書』Les autres planetes sont-elle habitees?

 明治時代の<河北新報>にミステリやらSFの翻訳がやたら載ってるっ! って話の詳細は<翻訳と歴史>52・53号の「知られざる明治翻訳小説の宝庫・河北新報」を御覧いただければ幸いであるが、基本は英米種(英訳経由のルブランもあるが)。ところが、なぜかフランス製のウソ太陽系情報が載っていたりもするんやねえ。以下に全文を翻刻。

○火星の人類 火星の表面を望遠鏡にて熟視する時は無数の直線を認むべく此直線は幾多の海洋を連結して自由に船舶を港湾に出入せしめ得る目的にて疎通せる運河なりとは従来学者の唱道する所なるが尚又火星の人類は吾人に比して身体矮小なるも常に活発に飛動疾走し毫も疲労するの状なしと又火星の引力は地球の引力に比し三倍弱にして地球に於て七十キログラム(十八貫目許)の体量ある人は火星に於て僅かに二十キログラム(六貫八百目)の体量を有するに止まるといふ
○金星の人類 ベルナルデン、ド、サンピエール氏の言ふ所によれば金星の人類の大さは殆ど地球の人類に均しく其一部は常に山顛山腹に於て獣群を導き静かに牧畜の生涯を営み他の一部は恰かも我が南洋ポリ子ジ群島中のタイチー島民の如く海岸に打ち群れて盛宴を張り歌へよ舞へよと陽気に日を送りまた莫大の費用を掛けて数奇の遊泳を試むる風ありと
○水星の人類 太陽系統論の著者フヲント子ール氏の言によれば水星の人類は猛烈なる太陽の射熱に焼かれたる結果一般に精神錯乱の状体に陥いり居る由にて彼等は両翼を有し自由に[こう]翔するも散歩を試みんと欲するときはまた自由にこれを捲き納むるを得彼等の体躯は地球人類の最小なる者より一層小にしてその両翼を用ひて絶えず軽快なる飛動を試み居れりと
○土星の人類 アイフイリー、ダブイ氏曰く土星の人類は六肢を有しその色藍紅色にして形体最も奇異を極め宛ら怪獣の如くまた此星の表面は常に雲霧を以て閉さるるものなるがこの人類が雲霧中を飛行する有様恰かも船舶の波濤を破り行くが如く其食物は常に液体に限ると
○木星、天王星、海王星の人類 独逸の天文学者ウヲルフ氏はこの三星の太陽に遠ざかり居るために概して日光を受ること稀薄なるべしとの点より推理し彼等の人類は常に薄闇りの中に棲息するが為にその日用を弁ずるに必要なる皿の如き大なる眼を有すべしと断定し尚木星の人類の身長は五メートル(一丈六尺五寸余)海王星の人類の身長は五十七メートル(三十一間余)なりと説明せり
○ナザール星(附音楽星) ニコラス、クリミエス氏のナザール星旅行記に曰く余は茫漠たる広野の所々に無数の樹木の簇立するを見しが近づくに及んでこれ等の森林より恰かも市場の喧囂に似たりと覚しき一種の音響の伝はるを耳にせしがその中の一樹次第に余に接近し来り指とも見るべき六個の枝を垂れて余を擁し奇なる声を放つて余を宙に抱き上げ市都に連れ行き囹圄に投じたり、市都の街衢に於ては右様の樹木相往来しその枝端を垂れて相俯仰する様を見れば全く互に挨拶を為すものの如く其内或る美麗なる家屋より一個の樫木の立出でしを見しが往来し居れる多数の樹木は皆六枝を垂れてこれに敬礼を為しぬ後に聞けば此樫木に果して市長なりしなり又或日王の宴会に招かれしが侍女と思ぼしき一人の小女身に八本の枝を備へ枝毎に皿と小槌とを有し居り甲斐甲斐しく宴席の準備を為せしが間も無く一人の侍童身に九枝を備へ枝毎に壜を携へ之を客席に配置するを見たりと
○音楽星 又氏は他の星界の旅行記を作りて曰く余は或る星界に至りしとき余の到着を住民に知らしむる為め喇叭を吹きしに三十個の一脚を有する大弦琴余が辺りに集り来るを見たり

 以上のような大ボラの情報源は何かというと、

天上に散布せる幾多の星界に住する人類に付ては古へより。種々の観察を為すせる学者も多き事なるが今本年仏国アセツト出版会社の発刊に繋る百科全書に記載したるものよりその一部を左に抄訳して宇宙に於ける我等の同族類を紹介すべし但し実際見て来た話にはあらずその理想的観察に過ぎざる事素よりいふ迄もなし

 だそうな。アセツトの百科全書、って何。で、調べるとどうもAlmanach Hachette : petite encyclopedie populaire de la vie pratiqueのことらしい。当然、買ってみることに。で、開いたらこれ。

 日記帳かよっ。でも、ちゃんと当該記事も載っていたので一安心。当用日記に地図とか年間行事とかオマケがいっぱいついているようなものか。作りとしては、生活小百科にオマケで日記頁がついているというべきか。図版もいっぱい入っていて楽しいので、古本屋で見かけるようなことがあったら是非。普通、日本じゃ行き当たらないと思うけど、<河北新報>の人が読んでたんだから、油断はできません。

 しかし『ニコラス・クリミウスの地下世界への旅』の紹介にあたって、作者のホルベア(ホルベルク)Ludvig Holberg(1684〜1754)は完全無視ですか。しかも地底の話なのに。
 ま、地動説的に立てば、水金じゃなくて地下の空洞で回っているナザール星のほうが正しく内惑星なのか。って、そーゆー問題?

 ニコラス・クリミウス(ニールス・クリム)といえば、ヴェルヌの先行作としてか、渋澤龍彦〜稲垣足穂による言及で知られてきたよーなもんだが、戦前でも北欧文学について研究していると行き当たってしまう存在だったみたいね(宮原晃一郎「中世北欧文学概観」『北欧文学篇』(世界文学講座11)、新潮社、1930年)。

 ところで、ネットでみるとホルベアについては「デンマーク文学の父」と書いている人と「ノルウェー文学の父」としてる人がいるわけですが、ひょっとして紛争地帯?
 なんかノルウェーはニルス・クリム賞とかも作っているらしく、着々と実効支配を進めているようですが。
 ま、日本だと渋澤印がついていて、邦訳の底本がフランス語版なのでフランスが実効支配しているようなもんですが。←ほんとかよっ。

 SF界的には古沢嘉通さんに、デンマークに「いる/いらん」を決めていただいて帰属問題に決着を。って本当に問題化してんのかよっ。

 ちなみに、「ベルナルデン、ド、サンピエール」→Bernardin de Saint-Pierre、「フヲント子ール」→Fontenelle、「アイフイリー、ダブイ」→Sir Humphry Davy、「ウヲルフ」→Wolf。
 『ポールとヴィルジニー』の人が水星人の話を書いてるんか。「我が南洋ポリ子ジ群島中のタイチー島民の如く」とかいっているところが、それっぽい。
 あんまり知名度は高くないような気がするが、Humphry Davyはファラデーのボスな、えらい化学者。土星の話は没後に出たConsolations in Travelに出てくる模様。


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