続・サンタロガ・バリア (第100回) |
急に涼しくなって、一番嬉しいのはステレオが聴けることだ。とはいえ、昔ほど勇んであれこれ聴こうという気分でもない。とりあえず買ってきたのはアーケード・フィア「サバーブス」。ちょっと気になるバンドだったので、とりあえず最新作を聴いてみた。手書きみたいな歌詞カードを見ながら聞いていると、曲自体の魅力より歌詞の力が強く感じられる。不景気な時代の気分を見事に掬いとっているといえば、それだけなんだが。聴いていて最初に思ったのは、曲調は全然違うのにレディオヘッドとかマッシブ・アタックとかのイギリスのダーク/ヘヴィ系の音。前作も聴いてみるかなあ。
クラシックの方はケンペがメトロポリタン歌劇場で振った「薔薇の騎士」。以前からCDがあった録音だけど、イギリス盤で新発売。ケンペが振ったメトははじめて聴いた。ビックリしたのはオケの音。まるでスクリーン・ポップス・オーケストラみたいな屈託のない響きで、ケンペの棒の下でもアメリカン・コーヒーな音楽が流れていく。オクタヴィアン役の声がイマイチだけれど、あとはなかなか魅力的な女声陣である。
近所のCD屋でひと昔前に売られていたCDの安売りをやっていたので冷やかしていたら、四人囃子の「一触即発」と「ゴールデン・ピクニックス」があったので買ってきた。「一触即発」は紙ジャケ、ボーナストラック入りでお買い得。当時レコードは買わなかったので実質はじめて通しで聴いた。こりゃ面白い。長年NHK-FMで演ったライヴのエア・チェック・テープで聴いていた曲たちが耳に入ってくるのだけれど、まったく違和感がない。乗りまくって聴いていたら、ヤカマシイっと奥さんが怒鳴り込んできた。スイマセン。「ゴールデン・ピクニックス」も有名曲満載だけれど、アルバムとしては散漫な感じ。「一触即発」スゴ過ぎ。
山本弘『アリスへの決別』は、表題作や「リトルガールふたたび」といったいわゆるタメにする話が印象を悪くしているのだけれど、巻末の「夢幻潜航艇」が面白くてやや持ち直す。小説が意見表明の器であっても別におかしくはないし、そういう小説もこれまでゴマンと書かれてきているのだろうが、よっぽど手捌きが上手くないと骨が硬くておいしくない結果になるようだ。「夢幻潜航艇」は作者後書きを読むと若い頃から温めていたアイデアとのことだが、現在の山本弘という十全のエンターテインメント作家の手で発展させただけのことはある作品となっている。
ジョージ・R・R・マーティン/ガードナー・ドゾア&ダニエル・エイブラハム『ハンターズ・ラン』は、いまどき珍しいくらいのストレートな冒険SF。西部劇だかアクション映画の中のメキシコだかみたいな街やキャラが出てきたかと思うと、あっというまにマンハントの話に。もう一人の「俺」のキャラの肉付けがちょっと薄いように思われるし、それをいえば異星人のキャラももう少しの追い込みがあればと思わせるもったいなさだけれど、ページターナーとしては十分及第点でしょう。もったいないと言えば背景に広がる宇宙の説明。まあ、これ以上書き込んだら物語のバランスがとれなくなってしまうんだろうな。背景が広大なのにアクションの舞台がそれほど広く感じられないのは、作品成立過程の説明にもあるように物語の背景が後付なせいか。
たまにパラパラと読んで、ようやく読み終わったのが、大橋博之編『光瀬龍 SF作家の曳航』。1年も抱え込んでいたんだなあ。造本が大昔の本みたいで魅力に乏しいんだけれど、300ページ足らずとは思えないほど中身はぎっしり詰まっている。クライマックスはやはり「暁はただ銀色」〈初出バージョン〉だろう。丹念に集められた光瀬龍の文章から浮かび上がるあれこれを頭に入れた上で読む「暁はただ銀色」は強烈だ。これを読むとティプトリーの人生と作品のように、光瀬龍の作品もまたその人生の反映であることが伝わってくる。客観的に見れば、すでに風俗としてSFとして古びたところは散見する。しかし、ここに籠められた想いの強さだけはいまでも輝きを失わない。それは第1世代の作家たちの同時代性から生じたもので、光瀬龍に特有なものとはいえないかもしれないけれど。
SFマガジン創刊50周年記念アンソロジーという触れ込みの第1弾、中村融編『[宇宙開発SF傑作選]ワイオミング生まれの宇宙飛行士』は読み終わってみると、なるほどどの作品も宇宙開発史を意識した作品ばかり。それでも同工異曲な作品が並んでいないのは大したもの。リアリズムな作風のアンディ・ダンカン「主任設計者」を読んでいるともろに『オモン・ラー』が思い起こされる。ソ連/ロシアの宇宙開発をSFとしてここまでロマンティックに書くことはご当地の作家には出来ないかもしれない。この作品そのものは素晴らしいできだけれど。バクスターの2作はどちらもイギリスの宇宙開発であるところが面白いし、舞台の広さがどんどんエスカレートしていくのもバクスターらしい。表題作はグレイをイメージしながら読むのはちょっとイヤ。全体としてアンソロジーとしてはハイレベルな1本。
その大きさと値段にいまどきの児童向けって誰が買うのかといぶかるチャイナ・ミエヴィル『アンランダン』上下は、本当に子どもが喜んで読むのかと思わせるけったいな代物。大体カバーの折り返しにある登場人物紹介からして読者を混乱させるように書いてあるんだから始末に悪い。無理矢理付けたとしか思えない副題も内容と合ってないし。それはそれとして、この作品にはミエヴィルの長所と短所が強く出ている。長所はもちろんミエヴィル特有のイメージづくりで、妙にリアルで不気味なイメージが次から次へと湧いて出てくる。短所はストーリーテリングの不安定さで、読んでいる間中ずっと自分の物語理解に疑問を抱かされる。ここら辺はニール・ゲイマンの敵にはなれないところ。冒険ファンタジーの定石外しはいいとして、キャラの動きがぎこちなく時々何をしているのか理解できないこともある。それでも詰め込まれたイメージは魅惑的で『ペルディード・ストリート・ステーション』の作者であることを再認識させる。自作の挿絵も悪くない。
そういえばこの駄文が100回も続いているんだなあ。毎度面倒を見て下さる大野万紀さんには改めてお礼申し上げます。土日が仕事で使えなくなって以来、ご尊顔に拝せるのは年1回あるかないかですが、これからもよろしくお願いいたします。
万が一、昔のことを知らないヒトがいたらコラムのタイトルが謎かもしれないので書いておきましょう。サンタロガ・バリアは、もともとフランク・ハーバートが1968年に出したペイパーバックThe Santaroga Barrierを少しずつ訳しては、紙THATTAに載せてもらっていたんだけれど、途中で飽きて(面倒くさくなって)読書感想文が主体の駄文コラムになったものです。ハーバートの作品についてはWikiにあるので、興味のある方はこのタイトルをググってみてください。自分でググってみて、ものの見事に話を忘れているのは、我ながら情けない。