続・サンタロガ・バリア  (第99回)
津田文夫


 暑い上にもう1ヶ月以上まともに雨が降っていない。それでも枯れない草木は凄いなあ。毎年のことだけれど、暑くてステレオを聴く気にならない。たまに汗を掻きながらディーリアスの「夏の歌」や「夏の庭」を聴くのがここ数年の夏の恒例行事だ。

 で、やり始めたのがレーザーディスクのDVD へのダビング。もはや生産中止になって久しいLD/DVDコンパチプレーヤーが動く内に息子がくれた5年くらい前のDVDレコーダーでダビングを作ろうと思い立ったわけだ。所持しているLDは大体20年前から10年くらい前のもの。まずレコーダーにDVD-Rを食わしてみるが拒否される。8倍速だったり16倍速だったり、データ用だったりどれも拒否される。取説にはDVD-Rが使えると書いてあるが、試しに入れたものはすべて拒否された。ようやくたどり着いたのが、2倍速DVD-RWのビデオモード。LDプレーヤーにディスクを入れて、画面が出たところで録画開始、後はお任せ。等速ダビングなので、2時間弱後に停止ボタンを押して再生してみると、LDプレーヤーがオートリターンで裏面に行った後の画像が流れているのを発見。2〜3枚試したけれど、程度の差はあれどれも同じ症状が見られる。オートリターン直後のピックアップが安定を取り戻すのに時間がかかるらしい。いまさら修理も出来ないので、人力で盤面を入れ替える。ほとんど時間の無駄である。ちなみにダビングしているのは「ベスト・オブ・ビート・クラブvol.2」とかピンク・フロイド「ポンペイ・ライブ」とかELP「展覧会の絵」など。大量にあるアニメは試しに「パトレイバーTV版」をやってみたけど赤味が強くてちょっとどうかなあという感じ。どちらにしても徒労感ばかりが残る作業ではある。

 ラノベ作家書き下ろしシリーズの藤間千歳『スワロウテイル人工少女販売所』は、人間の性的志向の多様性が無視されている設定で、いまいち納得しがたいのだけれど、まあ別世界の話(モーツァルトやバッハ?の曲の性格が現実のものとまったく違う)だと思えば、それもありだ。問題はラノベ的な語りが醸す雰囲気とシリアスなテーマが展開するときのムードが乖離した作風だろう。読むのに結構時間がかかったのはその所為か、いや単に毎日眠かったというだけのことだったかも。

 好調小川一水『天冥の標V−アウレーリア一統』は第3作になって、アレレっとなるラノベ調スペースオペラ。自分の引き出しにあるものは何でも使おうという意欲がよく分かる。残念ながら読む方がこのスタイルに乗り切れなかったので、面白く読ませてはもらったものの、先行する作品ほどのうれしさはなかったかな。次回はネットワーク知性がこの先(いやこれ以前?)羊群としてどう世界を動かすのかというところにいくのかな。先史時代の遺産がどこへ向かうのかも気になるし。ま、まったく違うサイドストーリーということも十分あり得るか。

 評判の高いロシアSF作家ヴィクトル・ペレーヴィン『宇宙飛行士オモン・ラー』は、読後感がSFというよりは世界文学。この作家をはじめて読んだけど、オタク的なネタを使い倒しながら、その内容を多面体もしくは多層体とすることに成功している。この短い物語が歴史と寓意と笑いと悲哀とその他モロモロを抱え込んでなおかつSF的な物語として成立しているところは、いまどきのエンターテインメントでは滅多に見られない代物。いやあ、いるところにはいるもんだねえ。

 ペレーヴィンの後で読むといかにも鈍臭く見えてしまうのが、ポール・メルコ『天空のリング』。SFオタク的作家のデビュー長編ということもあって、『人間以上』以外にも先行する作品を思わせるアイデアが顔を出しているけれど、いかんせんバランスがあちこち悪い。キャラクター毎の物語はその出来映えにかなり凸凹があるし、ご都合主義的冒険物語と見られても仕方がない筋運びも散見する。確かに天空にはリングがあるけれど、作者はそれを十分に使い切れていない。と、これだけケナした後でなんだけど、実はこの作品、結構好きなんである。自分がSFを書いていたとしたら、こういう物語が書いていたかもなあ、と思わせる愛らしさ(アホらしさ?)があって憎めない。次作もこの調子なら投げるかもしれないけれど。

 親父の本棚にある本を読む子供と読まない子供はどこが違うのかよく分からないが、わが親父の本棚にはキリスト教系の書物(内村鑑三、南原繁、矢内原忠雄、シュヴァイツァーなどの全集、ティヤール・ド・シャルダン著作集なんてのも)がいっぱいあった。子供は当然ながらそんなものはひとつとして読まなかった。そうした揃いの中にG・K・チェスタトン著作集もあったのだ。ブラウン神父は中学生の頃に読んだはずだけれど、親父の本棚には見向きもしなかったので、「新ナポレオン奇譚」などという面白そうなタイトルがあっても手を出さなかった。なにしろその横には「正統とは何か」や「自叙伝」といかにもなタイトルが並んでたからねえ。で、それらの大量の全集類は今、わが家から遠く離れたボロアパートの1室に積み重ねられた段ボール箱に入れられて紙魚のエサになっている。

 今回G・K・チェスタトン『新ナポレオン奇譚』を読んだのは、初文庫化ということと佐藤亜紀が解説を書いていたからだ。時代は書かれたとき(1904年刊行)から80年後という設定だけど、町の様子は書かれた当時と大して変わらない。まあ、お話ですよということわり書きみたいなものだ。大筋は原題にあるように、ノッティング・ヒルというロンドンの一角で、くじ引きで国王となった男にそそのかされた勇敢な若者が、大きな道路を通す為に一つの短い通りを買収しようとする商業資本連中からそこを守るため通りに立てこもって、攻めてくる商業資本の軍隊を打ち破り、ついにはロンドンの征服者となってしまい、最後には倒されるというもの。でも大筋はこの小説の面白さをまったく伝えてない。まあ、反骨というかシニカルというかブラック・ユーモアというか、あ、諧謔か。この作品がカネ稼ぎの為のやっつけ仕事に近い処女作で、作者本には気に入ってなかったということらしいけれど、今読んでも十分作品のパワーが伝わってくる。

 分厚くなった3年目の大森望/日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 量子回廊』は2編のコミックが目立つ。八木ナガハル「無限登山」は絵柄も話もいかにもSFマンガらしい1作だが、市川春子の方はフツーの漫画の手触りの中にSFがある話でどういう読者層が想定されているのかよく分からないけれど佳品。小説の方はプロパーとジャンル外作家との間で約束事の有無の違いが目立つ結果となった。前半に並ぶ女性陣の作品の方が印象が強く、男性陣はやや不利な感じ。男性陣の方が叙情的か。第1回創元SF短編賞受賞作松崎有理「あがり」は語りの声の調子とアイデアのバカっぷりにちょっと違和感がある仕上がり。悪くないけど。全体として何がSFなのかサッパリ判らなくしてあるといった印象の1冊。


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