内 輪   第237回

大野万紀


 5月の終わりだというのに、肌寒い日が続き、雨も多い、梅雨のはしりみたいな天気です。何でしょうね、これも地球温暖化の影響なのか。
 宮崎では悲しい出来事が進行中です。鶏の処分に比べ、口蹄疫による牛や豚の処分が心に響くのは、同じほ乳類だからでしょうか。食肉のための屠殺は意識にのぼらないのに、身勝手といえば身勝手なのですが、そういうものだというしかないでしょう。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『粘膜人間』 飴村行 角川ホラー文庫
 2年前の本だが、第2作が評判なので、まずは1作目を読んでみた。いきなり凶暴な身長195センチの小学生が出てきたり、普通に村はずれに河童が住んでいたり、森の中に異界の精霊がいたりと、わりと和風なファンタジーっぽい雰囲気がある。けれど、書かれている内容はとてもグロテスクで残酷で、スプラッター。ホラーというより、ひたすら激しい暴力と虐殺が描かれている。ただしそれは幻想的というか、悪夢的なタッチで書かれているので、現実感には乏しい。
 いわば野放図な妄想を書き連ねた感じで、それぞれのシーンには迫力もあり、インパクトも魅力もあるのだが、全体としては誰かの悪夢をなぞっているみたいで、つながりが悪く、ちょっとちぐはぐな感がある。小説としての完成度はもう一つのように思えた。しかし、まあそんな荒削りなところもこの作品の魅力なのかも知れない。マニアな人たちの評価が高いので、続編も読んでみることに。

『粘膜蜥蜴』 飴村行 角川ホラー文庫
 『粘膜人間』の続編だが、ストーリーのつながりはない。今度もまた雪麻呂という小学生の暴君が登場するが、前作と違って超人的な力はなく、親の権力をかさにきて傍若無人な振る舞いをするえげつないガキにすぎない(でもこいつも、相当なやつだけどね)。
 本書のもうひとつの舞台は日本帝国の支配下にある南方のナムール国。ここには爬虫人(ヘルビノ)という異人類が棲んでいる。雪麻呂のところにも、この国から赤ん坊の頃に連れてこられ、今はりっぱな帝国軍人となることを夢見る爬虫人がいて、彼の下男をしている。そして凄惨な殺人事件や、恐ろしいナムールのジャングルでの行軍、雪麻呂の家族や親戚をめぐる様々な事件、そして恋愛までと話は進んでページをめくらせていく。
 本書もまた、スプラッターでグロではあるが、ホラーという感じはあまりしない。前作のような河童が出たり森の妖怪が出たりということもなく、ヘルビノにしても人間とそう変わりない描き方をされている。どちらかというと不条理ギャグとして読めるのだ。SF、ファンタジー好きとしては、前作の方が衝撃的だったといえる。しかし、相当に変態チックな結末には、なるほど、これは愛の物語だったのだなあ、としみじみとした感動を覚える。

『量子の新時代』 佐藤文隆・井元信之・尾関章 朝日新書
 副題に「SF小説がリアルになる」とある。このところ〈量子家族〉SFを続けて読み、何となくわかった気になっている多世界解釈を、もう少しちゃんと読んでおこうと手に取った。朝日新聞科学部にいた尾関さんがコーディネートして、量子コンピュータなど量子情報科学と呼ばれる新分野の研究者である井元さん、おなじみ宇宙論の佐藤さんと、3人で3つのパートを執筆している。
 尾関さんは、直感に反する量子力学を「重なり」と「とびとび」のイメージで説明しようとし、イーガンを始めとするSFを引用する。井元さんのパートは尾関さんによるインタビュー形式で、量子情報科学について語られている。量子コンピュータというと、膨大な計算量のある計算を、多世界解釈で無数にあるパラレルワールドで並行に一度に計算し、その結果を瞬時に返すというイメージだが、並列計算のところはわかった気になっても、その結果をどうして意味のある形で得ることができるのかがよくわからなかった。なるほど、結果が正しいかどうかは保証されないので、普通に検算してみて、正しくなければまた量子コンピュータにかける。そのうち、普通に計算するよりは遙かに短い時間で正しい結果が得られるというわけだ。佐藤さんのパートは少し雰囲気が変わり、アインシュタインから書き起こして、現在の物理学にメタな視点を持ち込むべきだという主張が述べられている。背景には、モノ(物質)の物理より、コト(情報)の物理への転換という視点があるようだ。比喩がすごく面白い。波動関数(状態ベクトル)をコンビニの商品データを表にしたエクセルというかデータベースに例える。商品名などがベクトルの「基底」であり、売上高などが「成分」だ。要は項目がきちんと定義されていること。「演算子」は「問い合わせ」であり、このデータベースに適切な問い合わせをすることで、粒子のエネルギー分布や売れ筋商品がわかる。何となくわかった気になるでしょ。
 他に、コペンハーゲン解釈と多世界解釈とボーム解釈とを、量子力学と古典力学の混在、すべてを量子力学で解釈する、すべてを古典力学で解釈するの3種類の解釈だと解説(これは井元さん)するのも面白かった。多世界解釈がわかったかどうかは別にして、色々と刺激的だった。

『人類は衰退しました D』 田中ロミオ ガガガ文庫
 前半と後半、二つの物語が含まれているが、前半を読んであれっと思う。いつものほんわかした雰囲気とは違って、主人公の学生時代の話なのだが、暗い。シリアス。何だかこっちが実はこのシリーズのベースなんだなと思わせられる。ひどいいじめ、とかではなくて、ありがちな、他人との間に垣根を作ってしまう孤独で寂しい少女の話となっているのだが、何も考えていない可愛いドジっ娘のように見える主人公が、実はヒロインに相応しい過去を持っていたのだな、とわかる。でもここでは妖精さんも前面には出てこないし、なぜここでこの話が出てきたのか、不思議な気がする。
 後半はうって変わって、いかにもこのシリーズらしいお話。世界がゲームの世界(ファミコンから今どきのポリゴンゲームまで)になってしまうという、こっちは妖精さんマジックが炸裂している。この路線が楽しくていいのだが、小説としては前半のような話も悪くない。というか、作者の語り口がとてもうまくて、読み応えがある作品となっている。

『WORLD WAR Z』 マックス・ブルックス 文藝春秋
 ZはゾンビのZ。人間とゾンビの最終戦争。なんていうと、ちょっと笑えてくるが、パロディやブラックユーモアではなく、またホラーやパニックものというよりは、アフター・ホロコーストを描いた本格SFとして読める。大力作である。
 ゾンビ(蘇る死者)ものというと、なぜか傑作が多い。リチャード・マシスンもそうだし、小野不由美の『屍鬼』もそう。本書の場合、ゾンビは、蘇った死者に対する人間的な反応(単なる恐怖ではない畏怖)を呼び起こす対象としてよりも、ひたすら増殖し、簡単には駆除できず、大地を覆い尽くす害獣や疫病や災厄として描かれる。かつては生きていたヒトとしてではなく、とにかくうっとおしく困ったモノなのである。
 本書の〈人間的側面〉とは、ゾンビ禍に立ち向かう人々の側にある。本書ではゾンビ禍の始まりから、アウトブレーク、そして世界中に広がって人類滅亡の危機を迎え、さらに人々の反攻と勝利、新たな秩序の形成までが、全世界の当事者たちへのインタビュー形式で描かれている。それはパンデミックと戦う医師や、過酷な戦闘を生き延びた兵士たちの言葉として、まさに人間的な悲劇や感動的な物語として語られる。それぞれの物語が、断片的ではあるが、生きるか死ぬかの厳しい大戦を経験した者たちの証言として、重みをもって書かれているのだ。
 大部な本だが、読みやすく、とても面白く読んだ。とはいえ、ここまでゾンビが単なるモノとして描かれていると、何でゾンビなのか、というところで疑問が出てくる。ゾンビについてSF的な説明があるわけではなく、その物理的な性質(脳を破壊しないと死なない、噛まれるとゾンビになる、寒いと活動を停止するが暖かくなるとまた動き出す…)が敵の属性として描かれているだけである。またやられっぱなしではなく、反攻と辛い勝利、廃墟からの新しい世界の復興というSFとしてとても美味しい物語があるのだが、こっちはインタビューの断片からおぼろに見えるだけであり、大きな物語として読み取るのは難しい。SF読みとしてはそういうところに不満が残る。

『密閉都市のトリニティ』 鳥羽森 講談社
 京大教授が書いたデビュー作ということだが、人類進化テーマの、りっぱなSFである。でもちょっと読みにくいな。
 致死性のウィルスがばらまかれ、京都市民の三分の一が死亡したバイオテロから17年後、2010年の封鎖された京都で物語は始まる。舞台はほとんど京都から出ることはなく、登場人物も洛都大学の関係者が中心、狭い範囲で、しかし物語は全共闘の時代から人類の未来への予感まで、時間と視点を様々に変えながら、殺人事件とバイオテロの真相と、何重にも入り組んだ謎と、激しい暴力と性描写がふんだんに盛り込まれつつ、錯綜しながら展開していく。遺伝子進化と人工知能が大きなテーマだが、二つの性から三つの性への進化という通常あり得ないアイデアを、SF的な説明やペダントリーを駆使して納得させようとする。
 目まぐるしいほどのアイデアはとても面白いのだが、ちょっと盛り込み過ぎかも知れない。それと、一番気になったのは、複数の人物の会話を段落なしで続けるような独特の文体。このせいで、ぼくには読むのにひどく時間がかかった。ヒロインたちはみんな素敵でかっこいいのだけれど、男たちは(光源氏的な主人公も含めて)何だか好きになれない奴らばかり(あ、でも坊さんはちょっとかっこよかったし、人工知能学者は豪快で好きなタイプだ)。しかし、作者は一体いくつなんだろう。アメリカを「帝国」としたり、全共闘や連合赤軍への思い、東大入試がなかった年(薫くんかい、ってこれも古いか)なんて、どうもぼくより上の世代のような気がする。


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