ん、フランスかぁ? うーん。ベルギーがカムバック・ロニーってキャンペーンはじめて札束積んできたら、改めて考えるってことで。
さて、佐々木孝丸(1898〜1986)といえばマッド・サイエンティストか右翼の大物。村山知義といえば忍者だと、ずーっと思ってきて、戦前の活躍ぶりを知ってびっくりというのは、俺がヘンなの? いや、俺の同年代だと、そーゆー印象やと思うんやが。
今となっては佐々木孝丸の出てくる映画を見る機会もそれほどなさそうな気もするので、フランス文学の人とかプロレタリア演劇の人というイメージの方が回復してきているかもしれん。村山は『忍びの者』が岩波現代文庫に入ったけど、今だと結構挿絵画家なイメージも流布していそうな気が。
さて、調べてみると佐々木孝丸は、科学小説叢書を作るつもりで、その第一弾としてJ.H.ロニー(ロスニイ)兄 J. H. Rosny Aine(1856〜1940、出身はベルギー)のLa guerre du feuに目をつけたのであった。
そのことを語ったのが小牧近江「『十万年前』―神の出ない有史以前の小説」というエッセイで、佐々木孝丸は叢文閣のフラマリオン社自然科学叢書の企画を進める傍ら科学小説の紹介も考えていたという。
そこで小牧は、原書は持ってないけど「差あたりローニ・エーネの『火の戦ひ』などもどうだらう」といい、その後、大正13年にリ・ユマニテの書籍部で手に入れた同書を佐々木に贈ったという。
すかさず佐々木は翻訳を進めると同時に、新光社で科学小説叢書を作って、そこから出版するという企画を立ち上げたのである。
ところが、この時期、新光社の経営が行き詰まる。ほとんど刊行直前のことだったらしく「資文堂とやら、聞いたこともない本屋が紙型を押へて出したのだといふ」。
新光社の破綻と再建の話は小川菊松『商戦三十年』に出てくるんだが、科学小説叢書の話はなし。
小牧は資文堂が訳者に一遍の挨拶もなく勝手に出版すること「佐々木君の立案である『科学小説叢書』の計画まで取上げることはどうしたもんだらう?」と憤っている。
資文堂は単に紙型を買い叩いただけで、佐々木の企画を呑み込んで叢書を続ける気があったとは思われない。一応『十万年前』の巻末には「海底に展開される奇怪極まるローマンスは、これ科学と情操の交響楽である」の惹句とともにジユール・ヴエルス/吉田甲子太郎訳『海底二万哩』が近刊として予告されてはいるのだが、この広告頁も元の紙型をそのまま流用しただけのお飾りだったらしいのである。
佐々木孝丸が<文芸市場>の1925年11月号に記した「十万年前」という随筆で自訳書を語っているのを引いておく。
…僕は最近、惚れたり振られたり、接吻したり孕んだりする小説に飽き飽きして来たので、所謂オーソドツクスな小説道から見れば邪道と思はれ相なものばかり読んでゐる。そしてこの原稿が「市場」に現はれる頃には、ロニー・エーネの考古学的小説「十万年前」の翻訳が、一般の市場に出されてゐる筈である。
この「十万年前」は、原名は「火の戦ひ」といふので、火を失つた人間の一隊が、再び火を求めて涯知れぬ大地の上をさまよう間の出来事を書いたものだ。…出鱈目な空想と思はれるやうなところは一つもない。然も事件の展開する面白味だけから云つても到底世の常の群小冒険小説の比ではない。自訳自賛ではなく、原作の提灯を持つて万人の必読をすすめるゆえんである。
と、がんばったわけだが、恐らく売れなかったんやろうねえ。というのは改造社の世界大衆文学全集のロニーの巻の解説に邦訳のことが出てこないからである。
「色々の種類の小説のうちで、彼が科学的想像を縦横に駆使した小説が一番優れてゐるやうである。その傑作「クシペユゥズ」や「大洪水」は、彼自らの言葉、「私の考へでは科学は詩的情熱なのである」を証拠だてるものである。而してまた、彼は有史以前時代研究に心を潜め、小説の中に野蛮時代の叙事詩的幻想を導いて大いに異色あるものを書いた。(「ヴァミレェ」「巨猫族」ことに「火の戦」は傑作。)
本全集に採つた二つの作品も彼の個性の瞭然とうかがはれるものであつて、科学的知識を背景にして構成的な想像力と写実主義的な視覚を以て描かれてゐる。真に、これ等の小説にはロスニイ兄の面目が躍如としてゐるのである。」
しかし、世界大衆文学全集のセレクトは、どーなっておるのか。収録された二作品「失踪夫人」La Femme Disparue(1926)、「赤狼城秘譚」Au Chateau des Loups Rouges(1929)、両方とも、女性が行方不明になる〜遺産を巡るトラブル。と、思い切りネタがかぶってるよ。そんなら解説で言及した作品の方を訳せよ、という感じやね。
戦後はジャン・ジャック・アノー映画併せで『十万年前』の新訳となる『人類創世』が出ている他は、各種アンソロジーに何編か訳されている(『世界SF全集31』「もうひとつの世界」『世界幻想文学大系33』「クシペユ」『フランス幻想文学傑作選3』「吸血美女」<小説幻妖>「超自然の殺人者」『パルジファルの復活祭』「大異変」「マリーの庭」)ぐらいということになっていて、意外に見落とされている気がするのだが、フィリップ・ホセ・ファーマーが適当に訳した(翻案ともいう)ことで知られる L'Etonnant Voyage d'Hareton Ironcastle(1922)が<宝石>で連載されているのでお忘れなく。水谷準訳による「人外秘境」1954年10月〜12月ね。
あとロニ―関連で珍しいのは<みすず>1974年1月号の海外文化ニュース欄で8頁にも亘って取り上げられていることか(「ロニー・エーネ」)。この時には経歴と復刊の動きが短く紹介されたあと、延々「天変地異」(「大洪水」)のあらすじ紹介がなされていた。ちなみに同じ号の恒例読書アンケートでは、二人ほど『日本沈没』を挙げている人がいるよ。
近年では、新島進先生が岩波書店<文学>のSF特集で「クシペユ」ついて力の入った紹介を書かれておられたのだが、果たしてロニーが新たに邦訳されることなんてあるのかなあ。
一応、新光社から分離して科学画報社として新規まきなおしを図った<科学画報社>1926年4月号に出た新刊紹介も掲げておこう。
科学小説十万年前 佐々木孝丸訳
仏国現代の特異な作家エーネの名作「火の戦」を訳したもので、恋愛小説の甘さに飽き、探偵小説の俗悪さに閉口した読書子に今まで知られなかつた新境地を開拓してゐる。火をも水をも草も木も、一切を生きものと見、野獣と格闘し、マンモスと親しんで行く、先史時代の一英雄を中心として原始人の火を求める物語である動物心理を浮彫にする手腕は驚くべきものだ。(東京麹町区飯田町二ノ三資文堂発行。一円六十銭。四六版三三六頁)