ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜031

フヂモト・ナオキ


ロシア編(その二) ブリューソフ/酒井真人訳「南十字座共和国」Республика Южного Креста

 タイトルの印象も手伝って、ユートピア小説だとばかり思ってたんやが、実は最近も流行ってる?パンデミックな疫病物という意味合いのほうが遥かに勝っている作品(正確にはエピデミック物?)。
 <新青年>1936年8月5日に、邦訳を発表した酒井真人は、その十年以上前、1924年10月の<文芸春秋>に掲載した「文学口舌気」に「反対病」という見出しで、「南十字座共和国」に言及している。

 ワレリー・ブリユーソフ氏は僕の愛読する露西亜の作家である。就中、彼の代表作「南十字座の共和国」はその着想といひ、想像力といひ、背景といひ、近頃珍らしい面白い小説である。マニア・コントラデイセンス(反対病)といふ病気がこの国に流行する様々の奇抜な事件を書いたものだ。
 この国といつても、何しろ極のまん上にあつて、地球上の子午線が一ツに落合ふ個所に市役所があるてえんだから、さあ事なのだ。一ぺんこの病気が流行り出すと、左に行かうと思つて右に曲る奴や、帽子を取らうとしてあべこべに縁を目深に下ろして了ふ奴や、車掌が乗客に金を払つたり、交通巡査が交通を混乱させたり、看護婦が毒を盛つたり、機関手が列車を断崖から墜落させたり、色々なこの病気に襲はれた者の奇抜な事件が詳細に書いてあるのだ。一種の文明人のburlesqueではあらうが、中々日本人の思ひも付かぬ想像力が、よく生々と描出されてあるのだ。是非皆に一ぺん読んで貰ひたいので何処かの新聞にでも出したい考だ。勿論要を摘んで自分のものに書きかへてだ。これは英訳で読んだのだが、この小説丈は中々辞引無しでは読めないのだ。ぐづぐづ云ふなら貸してやるから俺の前で読んで見ろ。

 この時期には、すでに学校の先生になってたような気がするが、なんか、伝法な書きっぷりやねえ。この節はさらに、さかさまな事が書いてある小説としてエレフオンに、伝染病ものとしてデフオとポーにふれて、「どうだ!俺の博学が。一身是胆今の東光と天下の名双璧であることが分つたか、呵々。」という自慢で終わっている。
 ただよくわからんのが、その前にこんな一節があるのよな。

「ところで序だから紹介するが、同じ作家の戯曲「地球滅亡」は是も想像力の偉大な奇抜なものだ。五幕九場、未来大悲劇と銘がうつてあるだけある。僕の手にしたのはハンス・フオン・ウエーバー発兌の独訳本だ。憚り乍ら権利付の訳本だ。そこらのヘツポコ露語出身者に馬鹿にされめえぜ。築地でも何処でもいいからこの台本をそつくり買つて呉れる奴はないか。」

 どうもルビはエルドウンテルガングとあるみたいなのでタイトルはWeltuntergangで版元はHans von Weberか。白水社の『南十字星共和国』が割愛した「大地」のことやろうとは思うけど、それだけ独立させた本がドイツで出てたの? あっ、Erduntergang : Tragodie kunftiger Zeiten in 5 Handlungen und 9 Szenenなのか。

 12月号では「先月紹介に及んだブリユーソフ氏はたうとう月の半ばに死んでしまつた。氏の愛読者としての功徳を果した気持がして何より嬉しい。」などと書いているのだが、なるほど「冥護」(<人間>1922年6月=「防衛」)「身のため女のために」(<新潮>1922年10月)と翻訳を発表するぐらい愛着はあったわけやね。あと、Eluli, Son of Eluliも、こっそり「屍棺の呪文」(<サンデー毎日>1928年10月14日)として発表してます。ただし、<新青年>1933年8月5日掲載の「夢―或る精神病者の手記」(=「いま、わたしが目ざめたとき……」)は英訳版未収録なので酒井訳ではないのか、それともその後独訳本を手に入れてるのか。

 さて、「南十字座共和国」を紹介した文献は、<文芸春秋>よりもさらに溯る1919年2月14日の<時事新報>に「空想?真実?」ってのがある。これも英訳本を読んでの紹介なんだが、粗筋がかなりあやしい。そもそも「先づ地球上の凡ての子午線の集まつた所に、南極星と呼ぶ一つの星が在る、そして其の星の上に新に一つの理想郷が建設されたと云ふ書出しであります」って。

「◇所で其の理想郷とは何んな処かと申しますと、政体の共和制たることは勿論の事、一切の物権が均等分配で以て、家並までも同じ建方の同じ高さで、極めて秩序の整つた、美しい街なのです、すると何時の間にか、其の街に「マニア・オブ・カントラデクシヨン」つまり「反対病」とでも云ふのでせう、左様いつた一種の病気が流行し出したのです。◇そして一旦此病気に罹ると云ふと不思議に何んな人でも時分の精神と反対の行動に出でずには居られなくなるのです。ですから大変です。折角苦心の結果に成つた理想郷も何もモウ滅茶滅茶で、あらゆる破壊惨逆が到る処に行はれ、さしも理想的に建設せられた一大共和国も、唯此一つの病気の流行から、全然破滅の悲運に陥るの已むなきに立到る。◇此の小説はこれでお終ひなのではありません。作者は其後に一人の生残者を或る無人嶋に遁れしめ、後日其の人間が其処に第二の理想郷を建設する條まで書き続けて…」

 なんじゃそりゃ。酒井先生も、辞書なしにでは読めんとか書いてるので、小難しい訳になっておったのを、読み飛ばしてテキトーなことを書いとるのか。
 手元にあるのはPre-Revolutionary Russian science fiction : an anthology (seven utopias and a dream)(1982)所載のものなんだが、これはLeland Fetzerによる新訳なんだよなあ。って、ガスライトに1918年版の翻刻テキストがあるのか。無人島は出てこない気がする。(よく見たら、インターネットアーカイブに本全体のスキャンデータが上がっとるがな)

 <時事新報>の記事の最後はこんな感じ。

今仮に、此の「反対論(ママ)」の代りに今日流行の「世界感冒」を置き換へて見たら何んなでせうか?◇世界は今や前後五箇年に亘つた独逸との戦争を終へて、平和の到来を欣ぶと共に、ヤレ国際連盟だとか種別撤排だとか、盛んにデモクラシイを歓迎して所謂「共和制」を享楽して居ますが、さて其際此の「流行感冒」が、一層猖獗を極めたとしたら何んな結果になるでせう。◇第一に焼場が無くなる。医者と云ふ医者が倒れる、交通機関や電信機関が止まる、新聞が出なくなる、左様なると世の中は唯暗と破壊のみです。勿論これは凡て空想ですが感冒も此頃のやうに猛烈だと恁な空想も真らしく感じられないでもありません――或る所で或る小説家が恁な話をして居ました。」

 スペイン風邪ってのが無茶苦茶ヴィヴィッドな時代やったんやねえ。それで1918年に出た英訳本も表題作に「ザ・リパブリツク・オブ・サザアン・クロスツ」を持って来たんか? 「黒死病」ものは結構あるんだが、人がバタバタ倒れてるだけで、人的資源の欠如が社会インフラの機能不全につながるという事実を的確に押さえて描写している作品は意外に少ないのでは。しかも1907年にでた短編集に収録(1904〜5執筆?)というんだから、ブリューソフ、えらいよな。

 英訳本が出た時にTimes Literary Supplementにヴァージニア・ウルフが書評を書いてる、ってんで見てみたら、現物(1918.10.24)は無署名記事で、表題作は完全スルーだったね。
 同時代的にはロシア革命ってのも赤丸急上昇な話題だったはずだが、「南十字座共和国」が表題作に選ばれるのは独訳Die Republik des Sudkreuzes以来の伝統なのか。というか、英訳本は「最後の殉教者たち」を落としてるよ。編者が推したいブリューソフ像から離れた、生々しすぎる読み方がなされてしまうという判断やったんかのお。まあ戦後の白水社も『南十字星共和国』なので、翻訳する時は、Южного Крестаを表題にという条例かなんかが。←ないと思います。

参考のため各国版の収録内容の対象表を作ってみました。

独(1908) 英(1918) 戦前訳(筆者確認済のもの) 白水社(1973)
Im unterirdischen Kerker. - - 「地下牢」
Im Spiegel. In the Mirror - 「鏡の中」
Jetzt aber, wo ich erwacht bin. - 「夢」 「いま、わたしが目ざめたとき…」
- In the Tower - 「塔の上」
- The "Bemol" Shop of Stationery - 「ベモーリ」
Das Kopfchen aus Marmor. The Marble Bust - 「大理石の首」
- - - 「初恋」
- Protection 「冥護」 「防衛」
Die Republik des Sudkreuzes The Republic of the Southern Cross 「南十字座共和国」 「南十字星共和国」
Die Schwestern. - - 「姉妹」
Die letzten Martyrer. - - 「最後の殉教者たち」
- For Herself or for Another 「身のため女のために」 -
- Rhea Silvia - -
- Eluli, Son of Eluli 「屍棺の呪文」 -

「身のため女のために」には小山内薫による訳「復讐」もあり。


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