ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜027

フヂモト・ナオキ


ロシア編(その一) パウレンコ/上脇進訳『極東』На Востоке

 日ソ未来戦ものとして知られるパウレンコPetr Andreevich Pavlenko,(1899〜1951)『極東』。ひょっとして今の人は「ソ」といっても何なのかわからなかったりすんのか。おっさんの若い頃にはのぉ、ソビエト連邦ってのがあってやのお…。

 それはさておき<ロシア文学研究>(4):1949年11月の除村ヤエ「パウレンコの「幸福」について」では「日本で名前だけは知られている「極東において」は一九三四年に書かれた」と、上脇進訳はなかったことに。ロシア文学研究者が、気づいていないってアリ? 日ソ戦きっかけで人民政権樹立な結末(といっても、そのあたりは全く訳されてないけど)の本に言及すると占領軍に怒られる判断、ってことなのか。

単行本の「訳者序」には未来戦部分を<改造>の昭和12年4月号に載せたと書いてあるけど、実際に載ってるのは5月号。上脇進訳編で「ソヴエート国防小説 極東 日ソ未来戦記」として掲載されていた。

 「パウレンコの問題作「極東」を紹介し得た。日ソ戦争未来記として、ソ連において一大反響を捲き起した小説で、時節柄この掲載はわが国においても一大センセエシヨンを呼ぶことと信ず」と「編輯だより」にはあるが、「紹介し得た」という割には当局に配慮しまくりで、「戦闘」部分をダイジェストして紹介しただけで「戦局」とか「顛末」部分は完全に隠蔽ですよ。これでもかなりがんばりました、ってことなんやろけど。

 そのあたりの不満が海野十三の<大阪朝日新聞>1937年11月10日の書評にも出ている。

 「……東京空襲の部分はさきに雑誌にも発表されたが、その部分が読者の興味の中心であることは疑ひない。ところがその箇所が記者も断り書に述ぶるが如く、大変削除されたり手心した訳し方をしてある。それにしても全体としてプリボイの『日本海海戦』を訳して麗訳を歌はれた上脇氏の筆をもつてするも原作の理解と記述とを日本人にピツタリはまるやうには消化できない結果になつてゐる。」

 それはええんやが、小林秀雄がわざわざ「「極東」(パウレンコ)といふソヴエト国防小説なるものが、大見出しで紹介されてゐるがこんなものが文学なら山川均の便覧の方が百倍も文学だ。」などと新聞紙上で罵倒しているのは何故? そんな一部分を抜書きしただけの未来戦パートをわざわざ読んで怒る方がどうかしとる気が。普通、無視するやろ。誰か小林先生のまわりで、うっかり褒めたヤツがいて、鉄槌を下さねばと思いいたらせてしもたんか。

 単行本版は未来戦の始まる前、対日本の緊張感に満ちたソビエト連邦極東地方の姿を描く第一部の三章(英訳だと第一部〜第三部となっていてその下にまた章と節がある)を「多少の手心を加へ不完全ながら全訳に近いものとし」て、最後に既訳の<改造>掲載未来戦パートを加えた作り。

 「一二行抜くのと違つて纏めて抜かねばならぬ場合、意味不明の場所が出来てくる。と言つて訳者が説明的補足をなすことは出来ない。抜くことは許されるが、加へることは許されるてゐない。勢ひ原作の辻褄を合はせるやうに抜いて、原作の内容持味を可及的に生かさねばならぬ。まつたく翻訳といふ仕事も面倒臭くなつて来たものである。」と上脇先生は慨嘆するわけだが、……、……と省かれているところ、英訳Red planes fly eastで見てみると何で切ってあるのかわからん。

 冒頭の満州国境地帯でソ連に逃亡する中国人が日本の警備兵に追われて射殺されるシーン。「日本の警備兵」という部分をうやむやにしてあるところとか、朝鮮の農民に扮した日本のスパイ室島の、「朝鮮の農民に扮した日本のスパイ」という部分がわざわざ伏せてあるとか、そんなとこに気を使う必要があったん?

 ところで手を加えさえしなければ、順序を入れ替えるのはアリなのかのぉ。未来戦パートは、本人が「梗概」扱いしてるくらいなんで、流せっ、流せっ、ってことやろうが、日本版ではソ連が東京空襲をやって、それに対して日本が反撃という展開になっているけれど、ソヴェートのプロパガンダ小説な原作が、そんな書き方する訳はありません。
 もちろん悪の日本が攻めてきて、東京に反撃に行くという王道パターンだわさ。レン子、プンスカッ(←どーゆーキャラだよ)。

 なお、昭和14年の園部均訳『極東 : 日ソ戦争未来記 ソ聯ではかく日ソ戦を見る』森本書院は、上脇進版の未来戦パートのみ、全く同じ構成で出版したパンフレット風の出版物。文章をちょっといじっただけだが、普通の架空戦ものとして読むのなら、こっちのほうが読みやすい。

 コラーズ『ソヴェト極東民族誌』(1956・国際文化研究所)にはソヴェート・ロシアの対日本対処理論の一例として、パウレンコに言及。「『赤機東へ飛ぶ』として英訳されたピーター・パヴレンコの小説『ナ・ヴォストケ』…この本はロシアと日本の間の戦争を予期している。著者はそれが共産側の勝利とロシア人、中国人、朝鮮人および日本人各共産主義者間の集団的親交交歓を以て終結することを予言した。この本の最後の章はソヴェート極東内に朝鮮国境の近くに位する新しい国際的都市の建設を扱つている。この新しい都市の住民の大部分は日本人戦犯であるから、この都市に有名な日本人共産主義者の名前を取つて、「セン・カタヤマ(片山潜)」という日本名を与えるだけの理由がある訳である。」

 パウレンコだと悪いのは日本の政府であって、対日勝利後のソヴェート・ロシアの政策は国際的な共産主義者同士の友愛による共働・共存路線だということになっていたのだが、結局、実際の「極東」では容赦ない植民地主義的な政策がとられて、ツァーの後継者ぶりを発揮。東ヨーロッパとかだと、一応資本家からの解放とかお題目を唱えてたけど、アジアだと好き放題だな>ソ連。ってなことをコラーズは指摘。
 現実の歴史とズレた分、ユートピア度もアップ、ってところだが、改造社の『極東』に関していえば、お上に対する配慮ありすぎなので、大枚はたいて買うのはおススメできません。


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