続・サンタロガ・バリア  (第88回)
津田文夫


 8月の終わりにNHK教育チャンネルで放映した井上陽水の特集番組を見ながら、レコードやCDを1枚ももってないのに、それなりに興味を惹かれたのは陽水のキャラクターの魅力と一種のノスタルジーの所為か。それとは関係ないが、最近ザ・ナイスの2009年リマスター盤と初CD化という1969年のフィルモア・イーストの2枚組ライヴが出ていたので、聞き比べがてらフィルモア・イーストの2枚組ライヴと70年ライヴの「エレジー」を買ってみた。較べて聴くと「エレジー」の演奏の方がエネルギッシュな感じ。未発表になった演奏は悪くはないけれど、ちょっと室内楽的なおとなしさが感じられて、「エレジー」に使った演奏と較べてストラトン・スミスが発売を見送ったのもよく分かる。フィルモア・イーストの2枚組ライヴではアブリッジ版「少年老易学成難」が聴けるのが嬉しい。

 チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』は、割と地味な始まり方をしてゆっくりしたテンポで語られるのかと思っていたら、えーっ、そっちに展開するの、という驚きのある話。最初の内はいちいち巻頭の都市マップで登場人物の位置を確認しながら読んでいたのだけれど、サスペンスタッチになってからは、ひたすら物語を追うだけになった。しかし、新しい展開に入ってからのイメージのたたきつけ方は素晴らしく、スレイク・モスや異次元巨大蜘蛛などの描写が見事。主要登場人物の扱い方もこれでもかというくらいの非道さで、こういうのは最近のSFではめずらしい。終わりまで読んでもプロローグに対応するエピローグが物語世界の暗さを反映しつつわずかな希望が述べられるだけで、作品の色調が乱れることがない。プラチナ・ファンタジイから出ただけあって、サイエンス・ファンタジーだけれども、今年読んだ翻訳SFの中では『アッチェレランド』よりも好きな作品。それにしても長い。

 佐藤哲也『下りの船』は、『妻の帝国』のタッチを思い起こさせる一種の政治小説のように見える。ある少年の物語が断片的に配されてはいるもののそれが中心的なエピソードというわけではない。それは読者を逃がさないためのニンジンみたいなものだろう。作者のユーモアは非常に乾いており、悲惨な世界でニヤリともできない。こういう小説を読むと佐藤哲也の創り出す物語の不透明さが強く感じられる。文学みたいだ。

 ポツポツと読んでようやく読み終わった若島正編『モーフィー時計の午前零時』は、チェスを扱った短編集ということで、ちょっと引き気味だったのだけれど、読み終えるとかなり良い作品の集まったアンソロジーだった。エンターテインメント系の作家を集めた前半の作品群のトリを飾った若島訳で読むゼラズニイ「ユニコーン・ヴァリエーション」は、この作品群の中であっても異色な軽みがあって、かえってゼラズニイの良さを際だたせている(ひいき目?)。SFファンとしてはライバーやウルフが嬉しいけれど、ジュリアン・バーンズのチェス世界チャンピオン戦のリポートはその読ませる力の強さで群を抜くし、まったく聞いたこともない作家ティム・クラッペ「マスター・ヤコブソン」が前半の作品以上に印象的であることも編者若島正のアンソロジスト力を感じさせる。チェスは中学生の時に駒の動かし方を習った、もう忘れたけど。

 アンソロジーつながりで、日下三蔵編『日本SF全集11957〜1971』もポツポツ読みながら、ようやく読み終わった。第1世代の日本SFの短編はこんなにも豊壌だったんだ、というのが今回初読の作品も含めて、湧いてきた感想。そりゃ古めかしいのは当たり前だけれど、星新一の持つ詩情、小松左京の驚くべき知識の詰まり具合をはじめ、個々の作品の出来不出来はあるものの、昔、石川喬司が描いて見せた日本SFランド開発見取り図がそのまま脳裏に浮かんでくる。その石川喬司のは文学志向な作品だったけど。今回、山野浩一「X電車で行こう」を何十年かぶりに読んで、こんなにエンターテインメントな話だったっけ、とビックリした。まあ、タイトルの悪ノリぶりを見れば当然の話なんだけど。

 昔の話つながりでこれもポツポツと読んでいた野田昌宏『レモン月夜の宇宙船』。野田さんの隣に座ってその話しぶりを目の当たりにしたのは、後にも先にも数十年前の福岡でのコンベンションただ1回だけど、この本を読んでいるとその時の光景が浮かんでくる。周りに誰がいたのか思い出せないのに、野田さんだけがソファに腰を落としてしゃべっているシーンが見える。野田さんの訳したスペースオペラはもちろん、ゼラズニイ名義のエーリアン・スピードウェイ・シリーズでさえ読んでいないのだけれど、この本をあの声と表情で読めるのはやはり幸運だったと思う。

 伊藤さんはSFMの野田さん追悼文で、矢野さんの家で野田さんとパルプ雑誌をもらって帰った話を、野田さんと違う形で、ある意味エンターテインメント抜きでまじめに回想していたのがいかにも伊藤さんらしかった。その伊藤さんが、よりにもよってジャック・ヴァンス『ノパルガース』などというほとんど誰も気にしていない作品を訳したのにはビックリした。この前のロバート・リードもビックリだったけど、これまたレアなヴァンス作品を選んだものだ。エースダブルの片割れということでほとんどノヴェラ並の長さ、主要キャラもたったの4人、アイデアは、たぶんヴァンスが先なんだろうけど、『人形つかい』かアミガサダケのバリエーションみたいで、最後のどんでん返しが、いかにもシニカルなヴァンスというシロモノ。世上に評判の高いヴァンスの異世界描写はほんのわずか(でも楽しめることはありがたいが)。


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