ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜023

フヂモト・ナオキ


フランス編(その十四) エルヴェ・ド・ペルアン/風間緑(水谷準)訳『白色革命』

 風間緑訳、エルヴェ・ド・ペルアン「白色革命」。うーむ、このペルアンってひょっとすると、Herve de Peslouan? ということは「白色革命」って、ヴェルヌ賞獲ったl'Etrange menace du professeur Iouchkoffのこと?

 フランスSF界において歴史的価値はあっても、作品的には問題外扱いのジュール・ヴェルヌ賞 Prix Jules-Verne。ということで、受賞作についてはタイトル以外の情報は、そこいらには落ちてません。
 偶然、部屋の深淵から浮上してきたので開いてみた『現代SFの歴史』では、第一回受賞作のオクターヴ・ベリヤール『ミシェル・ストロゴフの孫娘』La Petite-fille de Michel Strogoffを「冒険小説的な部分と比べて、SF的な要素が極端に少ない、まったく期待外れの作品である」と文句をいいながら紹介しているだけ。
 このあたりは、ヴェルヌゆーたらSFやろ、とゆー心の狭いSF者にありがちな反応のような気が。
 冷静に考えればヴェルヌ賞の選考基準がSF度に基づいていたとは思えん。
 1920年代においてヴェルヌが表象していたのはなんたら、という分析の一環として、ヴェルヌ賞の選考システムとか選評を調査して研究してる人とか、いてもおかしくなさそうな気はするのだが、そーゆー情報はおいそれとはころがってない模様。
 ともかく、なんじゃこりゃ、と悩んでいた過去の俺には、とっと編集後記を読まんかっ、と罵声を浴びせておきたい。

 <新青年>1932年1月に風間緑訳で掲載された同作品について、「編輯だより」には以下のように書かれていた。

 「その他小説欄に名篇続々と集り来つたが、翻訳には三二年を迎へるに特別意義ありと自負するところの「白色革命」二百枚を掲載した。探偵小説にして科学小説、而も戦争小説である本篇は一九三一年ジユール・ヴエルヌ賞を獲得した名篇である。「新青年」はかうしたRomance scientifiqueをこれからどしどし紹介していきたいと思ふ。」

 ところで、風間緑って誰ってところだが、1936年2月に黒白書房の世界探偵傑作叢書の14としてアルフレツド・マシヤールの『爆弾』とカップリングで出た時には水谷準としかでていないので、水谷さん御本人の訳と思われ。あ、単行本だとちゃんと原作者原作名が原綴で書いてあるがな。

 さて、栄えある1931年の第五回ヴェルヌ賞受賞作『白色革命』はLectures pour tousの同年8月から10月に掲載され、すぐに単行本化された。

 <新青年>では冒頭に以下の惹句が置かれている。

「東洋の風雲は今更喋々を要せず。緑濃き欧州の天地如何。本篇は探偵小説にして科学小説また戦争小説なり。紅き血に躍るもの、この一九三二年型に酔はれよ。」

 ま、実はあんましSFじゃない気もすっけど、物語は冴えない独身中年教師ジヤン・マリイ・ユチコフの元に、あんたのヨメだと自称する謎の女が訪ねて来るところから始まる。
 このジヤン・マリイは、本人の気づかぬままに同名の教授の身代わりに仕立てられ、協産党(ママ)一派の前に投げ出され、捕らえられてしまう。
 協産党に対する反革命を意図する一派は、「大脅迫」なる一大計画を発動、協産党側はそれをなんとか阻止しようと火花を散らす。
 その中で秘かに建造された「大脅迫号」なる超巨大垂直上昇飛行艇はロシアへの進攻を開始する。
 ってな話。道理でSFの歴史には名を残してないわけやね。

 章立てはこんな感じ。

ニイス行一等切符/魔の触手/古城の怪/潜航艇の虜/嵐の前/戦機熟す/空中戦/廃墟の巨人/黒い稲妻/ナターシヤの秘密/滅亡か平和か/人質/ムツシユ・ジユピタ/平和と幸福

原書
第一部 UNE VISITE PEU BANALE/UN ENLEVEMENT INATTENDU/N.52B/D.53>6/ETONNEMENTS ET RENCONTRES
第二部 L'ETRANGE MENACE/BATAILLES!!!/LIBERTE, LIBERTE CHERIE/DE PUISSANCE A PUISSANCE/EPILOGUE

 なお、同年の<新青年>2月増刊号にはペルアン「接吻したが」ってのが載っているが、これは普通のコント調の掌編で、同じペルアンの作品かどうかは良くわからず。


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