続・サンタロガ・バリア  (第87回)
津田文夫


 「九州・中国豪雨」という名前が付いた断続的な豪雨で近くの川は、前回書いたとおり川幅いっぱいに増水。造成途中の短い護岸は、整地のみでほったらかされた方が崩れて、後には大きな石がごろごろしている。コンクリ護岸した方は残ったけれど、両端の土をごっそり持っていかれ、きれいに整地されていた護岸の上はボコボコのゴミだらけ。いったい何だったんだろう、あの工事は。

 ひと月遅れで聴いたマーズ・ヴォルタ『Octahedron-八面体-』は前作と打って変わって、静けさと緊張感に溢れたアルバム。癖のある節回しは聞き手を選ぶとはいえ、システム・オブ・ア・ダウンよりはずっと聴きやすい。なんとなくツェッペリンぽいというところが、50代の聴き手にも受け入れやすい点なのだろう。単調なモノトーンのシンセ音を無音からヴォリューム・アップするだけで1分以上保たせられるのは、聴き手の期待感を自覚した大物ぶりというべきか。

 文庫になった京極夏彦『文庫版 邪魅の雫』は、いつもなら2日で読めるリーダビリティのはずだったのに、なぜかかったるい話の運びで題材のスケールも(背景はでかいが)小さく、こんなハズじゃと思いつつ、読み終わるのにけっこう時間を費やしてしまった。なんだかなあ、と読後感をいじっている内に思い至ったのが、これは関口巽のいる世界から見た京極ワールドだということ。そう思えばこの緩慢に動く世界のかったるさ、卑小さが理解できるし、このプロローグは関口版『絡新婦の理』ということになる。京極堂を中禅寺くん呼ばわりする元お嬢様の存在や主要キャラの出入りのバランスの悪さなども、もしかしたら計算されたものだったか。

 このジワーっとした読後感を吹き飛ばせるものはと思っていたら、森見登美彦『宵山万華鏡』が出たので、早速読んだ。同じ宵山の日の出来事を共通する登場人物を交えてくるくると回してみせる、まさに万華鏡スタイルの連作短編集。前半はコメディタッチが勝った筋運びだが、後半は怪談風味の強いエピソードを重ねてみせる。本のカバーデザインのきらきら光るコーティングとイラストが見事に内容にマッチしたものに仕上がっている。朝日新聞の連載は、毎日楽しみにしているが、新聞連載小説に毎週休載日があることをはじめて知った。

 創元の年刊日本SF傑作選の第2弾、大森望・日下三蔵編『超弦領域』(それにしても非道いタイトルだ)がすんなり出たことは言祝ぐべきだろう。早速、掲載作の人気カウンターが出来ているけれど、大森選の作品が優勢だ。でも日下選の倉田英之「アキバ忍法帳」もけっこうな人気。風太郎忍法帳ってそんなに読まれているんだろうか、水鏡子や日下本人みたいな読書猛者ばかりのカウンターだからということかね。倉田英之という名前からは、読んだ/見たことはないのだが、『R.O.D』というのが頭に浮かぶ。収録作はどれも水準以上の作品だと思うんだけれど、みんな辛口だよ。再読の小林泰三「時空争奪」と堀晃「笑う闇」はどちらも初読時より印象が強いけど、「時空争奪」は初読の時に河川争奪現象が応用されたアイデアがいまいちピンとこなかったな。津原泰水「土の枕」は作者のいう通り全然SFじゃないが、高度成長期以前の近代日本の出来事がもはやファンタジーにしか見えないという意味では、ここに収録されても不思議はない。円城・伊藤が現代SFのエッジであることはこのアンソロジーからもよく分かる。

 本の雑誌社『SF本の雑誌』はなかなかゴージャスなつくり。SFMで大森望も書いている通り、創刊号から初期の号に掲載されたSF時評がとても面白かった。あの頃のファンジンに書いてある内容とよく似てて懐かしい。当時の評者の名前をググッてみてもほとんど引っかからない。その場限りのペンネームかその後SFから離れてしまったということか。いくつかは北上次郎のものなのかな。ベスト100はなんとなく据わりが悪い並びで、挑発的。ワセダミステリークラブが78年に作ったリストの方が見てて楽しいのは、年寄りだからか。日下三蔵の復刻推薦本からは漏れているけれど、亀和田武の『まだ地上的な天使』のタイトルを久しぶりに見て、けっこう良い短編集だった感触が残ってる。円城塔の短編を読んで、こんなに分からないところの少ない円城作品ははじめて。イングリスみたいな静けさはない。


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