ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜021

フヂモト・ナオキ


フランス編(その十三) ロマン・ロラン「機械の主、人間」/「機械の叛逆」(La Revolte des Machines)

 ロマン・ロラン Romain Rolland(1866〜1944)といえば『ジャン・クリストフ』。ジャン・クリストフは英語圏だとジョン・クリストファー(多分)。ということで『草の死』でトリポッドである。SFじゃ、SFじゃ〜。
 などという、ネタではなく、ロマン・ロランは、本当にSFを書いていた、というかSF映画を作ろうとしていたという話。
 機械が人間を襲う、って物語なんで、キルドーザー? ひょっとしてトランスフォーマー、なんてことを思ってたら、ターミネーターだなこりゃ。

「湖水の底から大きな触角が、それから潜望鏡が段々に現れ出る。遂には厖大な水上飛行艇が姿を現はす。画面の右側、避難者が逃げてきた峡谷の方に、岩の上から巨大な怪物の頭が、緩やかに、非常に緩やかに、現はれる。その輪郭が漠然としてゐるから、一層脅威的な効果を示す。それは人間種族を飽くまで追跡する機械軍の偵察機なのである。」(広瀬将訳)

 エリスンをブレーンに訴訟を起こせば、きっとガッポリ金が入ってくると思うぞ>ロラン。

 とゆー話はさておき、カレル・チャペックが『RUR』を書いた1921年、何を思ったか(伝記を読めばわかるのか?)ロマン・ロランは機械が大暴れするという映画の企画をたてる。それもラブ・ロマンスはおっぽってアクション主体の。

「『機械の反抗』では、愚かしくてばかばかしい、永遠にくりかえされる恋愛事件には、礼拝しないつもりです。われわれの筋に含まれる恋愛事件は、舞台の後景へおしやらなければなりません」

 メカデザインについてはフランツ・マズレールにこんなことを書き送っていた。

「あなたがお書きになったいろいろな機械のうちで、どれかお選びになること。いちばん目に立つもの、そしてそれぞれがその種類で怪奇なものをお選びになること」「機械の人物のすがたや奇形化では、できるだけはっきりとした特徴を出すこと」(以上の引用は『ロマン・ロラン全集12』より)

 フランスではなくアメリカで映画化するという計画で、脱稿された原作は209冊のみ印刷されたが、映画の封切りまで非公開としたいという意向で、隠匿されることになる。
 結局、映画はできないまま、アメリカではMan, Lord of Machineryとして英訳されたものがVanity Fairの1923年7、8月号に発表されたものの、本国では未公表のまま時は流れる。
 第二次大戦の数年前に秘密の初版を手に入れた出版社が公刊をロマン・ロランに持ちかけると、あー、そんなもんあったっけかな。どれどれ。いや、これはやっぱりやめといてや、と言われてしまう。
 ということで、フランスで正式に出版されたのはロマン・ロランの没後の事になるわけである。
 出版を断るに際しロランは「もっときびしくてスケールも大きい仕事にとりかかっている」んで、といってたとか。機械の叛乱よりスケールのでかい話って何。質じゃなくて単に量的なことなのか? それともひょっとしてロマン・ロランにはワイド・スクリーン・バロックな大宇宙スペクタクル小説があるんかっ。見つけた人は通報してくれたまへ。←自分で調べる気はゼロかいっ。

 日本での戦前訳は二種類確認しているが、当然ヴァニティ・フェア経由だろう。
「機械の主、人間―近代生活の架空的活動写真」(北村小松)<テアトル>1926年4月
「機械の叛乱(映画的幻想詩)」(広瀬将)<新青年>1933年2月増刊

 「ロマン・ロランの映画台本も、自慢が出来るものだと思つてゐる。これも北村氏の忙しい中を無理に、しかも追ひ立てるやうにして訳了して貰つたものである」と編輯後記に書かれた北村小松訳は、前半部のみの訳。人類が機械に追われて、お先真っ暗なところで終っているので、ロマン・ロランやるな、と思ったのだが、後に実は続きがあったことを知って、拍子抜け。いや、ハリウッド映画にしようとしてたんだから、そないなエンディングはないよな。

 ということでおそらく<テアトル>の人は<ヴァニティ・フェア>の7月号だけみて、それで終っていると思い込んで北村に訳を頼んだ説。
 本来、いつの日にか<ヴァニティ・フェア>をちゃんと手に入れた時にこの項を書くのが常道なのだが、それまで待っていると、今手元にある資料は全部どっかに埋まって、二度と発見できないと見たので、ここで取り敢えず投げ出すのであった。

 ともかく良い子は、わざわざ戦前版を探したりしないで『ロマン・ロラン全集』の12巻に収録された、挿絵がたっぷりの「機械の反抗」(蛯原徳夫訳)を読むのがいいと思います。


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