<新青年>に邦訳掲載された三大非英語圏ロボットSF短編といえば、ブーテの「アメリカ人殺し」、クローナーの「ロボットばらばら事件」、ファルベルグの「ロボット騒動」である。違うかもしれんが、とりあえず言ってみるだけ言ってみる。
で、タイトルがタイトルだけに一番、スルーしてしまいがちなブーテが一番、原作を手に入れ易いんだよな。初出まで到達できてませんが、ともかくLe Meurtre de l’Americainを収録した短編集は割りと手頃な値段で売ってるかと。
フレデリック・ブーテFrederic Boutet(1874〜1941)というと、まず第一にあがってくるのが森鴎外訳の「橋の下」、続いて堀口大学訳の「嫉妬」。以上。って感じで、なんか貧乏臭い、人生の悲哀を描くコント作家というイメージがあるんですけど、どっちかというと男女関係の機微みたいな話が多いのか。
実際訳されているのはそのあたりのものに集中しとる訳ですが、SFだって怪奇小説だって手掛けてます。
いや、まあ『蟹工船』ブームの昨今、本を出すんだったら、貧乏臭いところを集める方が金になる気がせんでもないんやが。
ともかく、本稿執筆時点ではネット上にブーテの邦訳リストはないようなので、発掘できたメモのデータを以下に示す。
「橋の下」(鴎外訳)<三田文学>4(10):1913.10.1→『諸国物語』の一編(採録本多数)。青空文庫にあり。Sous le pont
「環境の力」(谷口武訳)『現代仏蘭西二十八人集』新潮社、1923.6.6
「嫉妬」(堀口大学訳)<新潮>25(2):1928.2.1
→『詩人のなぷきん』第一書房、1929.9.17(他全集、アンソロジーにも採録)
「隠れた魅力」(岡本和夫訳)<ブラジル>2(2):1928.2.1
「無経験」(北原由三郎訳)<仏蘭西文学>1(7):1928.7.1
「唯二荘」(平野保次郎訳)<仏蘭西文学>1(10):1928.10.1
「二つのサファイア」(梶原勝三郎訳)<近代生活>1(1):1929.4.1
「夢魔」(梶原勝三郎訳)<近代生活>1(4):1929.7.1
「恋敵」(佐藤益治訳)<近代生活>1(9):1929.12.1
「ヴイクトルの仕事」(妹尾韶夫訳)<サンデー毎日>9(40):1930.9.7
※「環境の力」と同じ話
「フリントの耳」<新青年>10(10):1929.8.増
「アメリカ人殺し」(訳)<新青年>11(3):1930.2.増
「フリントの耳」(浅野玄府訳)『模造宝石事件』(探偵小説全集24)春陽堂、1930.10.18
「亜米利加人殺し」(浅野玄府訳)『模造宝石事件』(探偵小説全集24)春陽堂、1930.10.18
「寝床の母」<新青年>11(13):1930.10
※「環境の力」と同じ話
「第一歩」(寺島正夫訳)<新青年>12(11):1931.8.増
「死の面」<新青年>13(3):1932.2.増
「緑衣の淑女」(浅野玄府訳)<新青年>14(11):1933.9
→二宮佳景『一分間ミステリ』荒地出版社、1959
「素面の男」(浅野玄府訳)<新青年>15(3):1934.2.増
今回の作品は短いし、誰かがアンソロジー作って入れる、もしくは手入力してネットで公開を考えてるかもしれないので、ストーリーには触れない方がいいのかも。
といいつつ、冒頭部分を御紹介。
パリのコスモポリタン・ホテルの五階から人体が歩道に落下するのが目撃される。そこに横たわり絶切れていたのはアメリカ人ジョシュア・ウィルスンであった。同室していた従兄トマス・ウィルスンによる殺人事件として捜査と審問が開始されるが…。
って、ロボット物だと書いた時点で、かなりネタばれなわけですが、大丈夫二段オチですから。是非、どっかの図書館で<新青年>の復刻版にあたって、結末をご確認下さい。
この「アメリカ人殺し」は1930年の<The South Atlantic Quarterly>に掲載されたJames B. TharpのThe
fantastic short story in Franceのリラダンをうけた注に「後にフレデリック・ブーテは完成された自動人形を「アメリカ人殺し」で描き出し、このアイデアは演劇や映画で使われるようになった」と言及されてます。それはええんやが、Tharp論文の抜刷が東大の図書館に所蔵されているのは何故。
Tharp先生は「フレデリック・ブーテはヴェルヌの筆を継ぎ「L'Homme sauvage」のように愉快な冒険ファンタジー、ポーとマーク・トェインのミクスチャーと呼ばれる、陽気な「Julius Pingouin」(1901)を書いた」とか書いてはりますけど、今読んで面白いのかっ。
「アメリカ人殺し」以外だと、サイコな「緑衣の淑女」が印象に残るぐらいで、邦訳はなんか今となっては御約束なコントばっかりで、がっかりさせられた記憶が。それは俺がナナメ読みしとったせいなのかのお。
ちなみに<新青年>の「アメリカ人殺し」と『探偵小説全集』の「亜米利加人殺し」は別の訳文。前者をそのまま単行本に入れただけだと思ってたら、違ってたのでびっくり。
全く正反対の方向から驚かされたのは「緑衣の淑女」をおさめた『一分間ミステリ』。まず、そのバラエティあふれる作品選択にまず驚かされるわけなんやが、ある時、<新青年>に同じ作品があるけど、訳はどうなっとんのかと比較してみて、さらに驚愕。
「緑衣の淑女」を付き合わせたわけやないけど、俺が見たものは<新青年>の訳文をそのまま、新字新カナに直しただけ。そんなことは一言も書いてへんのやが、実はこの本は<新青年>傑作選なのであった。あのぉ、著作権とかいう概念はまだなかったのかのお。おそるべし二宮(鮎川信夫)。
しかし、昭和のはじめには、ちょこちょこ紹介されとったのに、あっというまに埋もれた作家になったわけやね。本当にダメダメになってしまったのか、誰か丹念に作品を読み直してくれる偉い人が出てこんものか。
ま、全然期待でけへんけど『ブーテ傑作集』が書店に並んで、驚かされる日が来ることを祈念しときます。