ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜016

フヂモト・ナオキ


ドイツ編(その三) カール・ブライプトロイ『黄禍白禍未来之大戦』(=『予言大東亜戦争』)

 『黄禍白禍未来之大戦』自体は匿名作者の作品なわけであるが、調べてみてこいつの原作はVolker Europas ...! Der Krieg der Zukunftと判明。で、その実際の作者はカール・ブライプトロイCarl(Karl) Bleibtreu(1859〜1928)なのであった。

 ブライプトロイといっても、そんな人、ドイツ文学の専門家でもあんまし知らへんのでは。
 『ドイツ文学史 第2版』東京大学出版会、1995年、だと「ベルリーンから<社会>に協力したカルル・ブライプトロイも、一八八六年に論文『文学の革命』で新文学の宣言を行ったが、実作においては短篇集『悪い社会』(一八八五)と長篇『誇大妄想』(一八八八)において芸術的創作生活の挫折を心理的に扱い、実践行動への参加を訴えた」と出てる程度。

 邦訳は『ベルリン 世界都市への胎動』(ドイツの世紀末 第4巻)国書刊行会、1986年、所載の「軍国主義の誇大妄想狂と教師根性」(平井正訳)くらいかのお。そういえば、<千葉大学人文研究>15号(1986)に載った水上藤悦「リーリエンクローンの「現代」」という論文中で『世界と意志』(1886)からSchnellzugが「急行列車」として訳されとったな。
 あとは、中村元が「西洋思想史における仏教」(『現代仏教講座4』角川書店、1955所載)で「ドイツにおける近代派の文学運動の先駆者の一人であつたブライブトロイは個人的に仏教信者であつたが、国民生活の指導原理として、仏教にまさるものはないといふ見解をもつてゐた。『ロベスピエールよりブッダまで』(1899)といふ歴史的心理的研究はこの思想を系統的に論述したものであるが、かれの戯曲『業』(Karman,1899)は回教王に圧迫された仏教徒の悲劇を問題とし、戯曲『救世王』(Der Heilskonig,1903)は理想的帝王としてのアショーカ王の姿を描いてゐる」と書いていて、その参考文献が上村清延の『ドイツ文学と東洋』郁文堂、1951年。
 そちらには『業』(カルマ)、『救世王』の粗筋紹介があるんだが、「晩年には仏教に関して深い興味を示し」って、昭和まで生きていた人の明治時代の作品を取り上げといて「晩年」作品扱いなの。いや、なんかドイツ文学の人は豪快だ。
 同時代的な紹介としては<帝国文学>1896年11月、2巻11号の「独逸自然派の抒情詩人」中に次の一文を見いだすことができる。

「非常の天才を有すれとも、多作に累へる詩人をカァルブライブトロイと為す。三十歳にして公にしたる著作既に三十種ありて、詩歌評論等文界の凡ての範囲に馳聘せり。千八百八十六年以後公にせし「文学の革命」等の論文に由て文壇の新生面の熱心なる先駆者なる事を証しぬ。渠の抒情詩家としての才能は其詩集「抒情詩日記抄」に於て窺ふ事を得べし。其中の多数は韻律に諧へる散文にして用語は自由にして装飾に富めり。思想の独特偏頗にして読者の思想を箝制するの風あると、時に自負高謾の調あるとは吾人をして嫌忌を起さしむる事少からず。」

 ともかく日本における従来の紹介ではブライプトロイが未来戦小説を書いているなんて話は一言も出て来ませんが、クラーク先生の本のリストにはブライプトロイの本が『未来之大戦』以外にも以下のように並んでます。

1888 Die Entscheidungschlachten des europaischen krieges 18..
1. Die Schlacht von Bochnia.
2. Die Schlacht bei Belfort.
3. Die Schlacht bei Chalons.
1907 Die 'Offensiv-Invasion' gegen England
1913 Weltbrand

 ううむ、ずっと未来戦モノを書いていたんだねえ。しかし、クラーク先生は、初期自然主義の作家という文学史的評価はガン無視。ブライプトロイを軍事史家扱いですよ。

 さて、『黄禍白禍|未来之大戦』は1907年10月、服部書店刊。千葉秀浦、田中花浪訳となっとるが、田中のはしがきと千葉の自序から、千葉がドイツ語から翻訳して、田中花浪(万逸)(1882〜1963)がそれに手を入れたものと見て良いだろう。
 で、これは新聞連載されていたらしい、ってんで調べると<報知新聞>1907年2月26日〜5月26日に「未来の戦争 独逸人の見たる将来の日本」(途中から「独逸人の著はせる『未来の戦』」と改題、休載時には「未来の戦争、本日休載」とあり、この際、本作の連載時統一タイトルを「未来の戦争」、単行本タイトルを『未来之大戦』ということにして、本稿を続ける)として掲載されていたもの。新聞連載時には訳者名は明示されていなかった。
 単行本にはない、連載第一回に付されたはしがき相当部分を以下に紹介する。

「日英の握手、英仏の接近、英独の反感は如何に著しぐ独逸人の杞憂を高めしか、無名氏の著に係る『欧州の民!未来の戦』てふ一書は其結果として生れたる空前の快著なり 独逸の出版者は遠く本社に一本を寄せて其批評を乞へり、依て本社は需に応じて茲に本書を批評しつつ其内容の一節を示し独逸人中には如何に巧妙なる架空談をさも事実らしく著したるものあるかを公にすると同時に如恁珍奇の想像が或る一部に描かれつつあるかを示さんと欲す」

 連載時は4〜18が日米戦争、19〜30が日英戦争、31〜66が世界戦争と三部に別れていた。
 と、ここで横田順彌氏の「明治時代は謎だらけ!! 生田目旭東を追跡する」<日本古書通信>1998年2月号を参照する。そこでは、日米戦争未来記の系譜としてハミルトン大尉の『日米開戦未来記』に続く作品として「明治四十年二月、報知新聞連載のドイツ人著者(姓名不詳)原作・高田知一郎訳『未来の戦ひ日米戦争』(未見だが昭和十七年一月に墨水書房より『予言大東亜戦争』として改訳刊行)」があげられている。いや、この記述、いろいろ現物とはズレてますけど、『未来之大戦』=「未来の戦争」なので、「未来の戦争」=『予言大東亜戦争』ということは『未来之大戦』=『予言大東亜戦争』ですよ。ええーっ、それは初耳。
 というか、二つを並べて読まない限り著者名が違ってるトラップに引っ掛かけられて、なんか似たような話があるのお、という間抜けな結論に陥る他ないわな。国会図書館が画像データをウェブに上げるまで普通の人が『未来之大戦』に目を通す機会は、ほぼ絶無だったと見るべきで、気にもとめられずに来て当然といや当然。

 改めて『予言大東亜戦争』墨水書房・1942年11月を見返すと、「はしがき」は確かに高田知一郎「編著」になっている。もっとも扉は「著」だよ、一応、文中で「報知新聞が翻案したものだ」と書いてはあるけどねえ。平出英夫による序文には「日米開戦の場合は、航空兵力が顕著なる活躍をなすであらうことを、喝破し、これを物語り風のものとして、当時の報知新聞に連載したのであるが」とあるけど、いや、蛇足部分にこそっと空中艦隊って書いてあるだけで、そんな話やないやろ。
 「本書の現はれた時代」と題する解説文の末尾には「文章は結びだけは、今様の口語体になほしたが、もとは無論文章体であつた。これも念のために書いて置く」とあり、『予言大東亜戦争』は改訳ではなく『未来之大戦』のリライトというのが正しいね。
 『未来之大戦』はヨーロッパにおける戦乱による東洋におけるヨーロッパの軍事的プレゼンスの低下を受けて、日本がアメリカのフィリピン支配を排除する「日米戦争」が起こる。また、清国は自国内からヨーロッパ勢力を排除にかかる。ここでは義和団事件と同様、ヨーロッパ列強は日本の協力が得られるものと期待するが、逆にヨーロッパの反攻を阻害する形で日本は行動する。で、日英戦争、世界戦争と戦争は拡大していく。
 『予言大東亜戦争』の方の粗筋は小山内宏『予言太平洋戦争』1974年8月に・新人物往来社にあるので、ストーリー紹介は思い切り端折ってみました。
 あとは近代デジタルライブラリー所載の『未来之大戦』を読め、ってことで。

 これが原作とどれぐらい違ってるかというと、原作は章が切られてなくてだらだらと続いているので対応関係を例示するのが難しいが、大前提としてのヨーロッパにおける戦乱部分がかなり端折られて、アジアにおける軍事バランスの不安定化によって日本・清国が攻勢に出るところから割りと忠実に原作をトレースしていると見て良いと思う。
 ただし5月18日の連載65回がおそらくは本来のラストで、その8日後、忘れた頃に掲載された最終回(『未来之大戦』の「偉なる哉日本」のパート)は、<報知新聞>で勝手に書き加えたものとみたね。
 この部分に、いきなり空中艦隊云々という、現実離れした設定が導入されとるので、ここいらはウェルズのWar in the airを訳すことになる高田のアイデアが入っている可能性はあるかも。

 おまけに新刊紹介を一つ起こしておこう。

「独人の夢想小説を訳したるものにて、嘗て都下某新聞紙上に掲げられたりと覚ゆ、英仏同盟して独逸と戦ひて破れ、欧州同盟成りて英の蒼窮甚しく終に米と戦ひ独に降る。此間日本は太洋州を手中に入れ、欧州大同盟の大艦隊来り攻むるに及び空中軍艦を以て之を台湾の南に撃破するに終る、畢竟は黄禍を唱へたるものなり、小説としては変化の多きに拘はらず興味の薄きを覚え、訳文亦稍や硬けれど、独人の我を怖るるの如何を窺ふには足るべし」

THATTA 249号へ戻る

トップページへ戻る