続・サンタロガ・バリア (第81回) |
年末もたいした感慨がわかなくなったのは歳のせいもあるけれど、何か当たり前に忙しく日が過ぎていくだけな感覚が身につき始めてることもあるのだろう。我ながらちょっと危ないな。
で、休みを取って聴きに行ったのが、クラシック界の寵児という噂の20代半ばの指揮者グスターボ・ドゥダメル率いるシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(って、長すぎるよ)。とはいえ、はじめは大した興味もなく前売券も買わなかったのだが、プログラムを見たらアルゲリッチのピアノが聴けるっていうので、当日券を買って入った。客の入りはまあまあ程度。1曲目はベートーヴェンの「三重協奏曲」。ヴァイオリンとチェロは最近売り出し中というカプソン兄弟。曲が始まってオケの音は悪くないと感じたが、アルゲリッチが弾き始めたとたん他の音がまったく耳に入らなくなってしまった。10年以上前にラトル/バーミンガム市響でプロコフィエフの3番を聴いて以来のアルゲリッチだったが、60代後半というのに相変わらず圧倒的な響きがピアノから引き出されてくる。ベートーヴェンにしては凡庸な作品といわれる「三重協奏曲」は特にこれといった魅力がないのだけれど、アルゲリッチの流れるアルペジオやキラキラと光を発するグリッサンドそして強靱な打鍵がもたらす低音の粒立ちが曲想から響きそのものを立ち上がらせる。
休憩を挟んでメインはマーラーの1番。ステージいっぱいにオケが広がっている。第1第2ヴァイオリンだけで50人、ヴィオラ、チェロ、コントラバスで50人、金管・木管・打楽器で50人という巨大オケ。このオケは楽団名にあるとおり青少年によるオケで、青少年が過激な戦闘集団に巻き込まれないようにと、幼児から青少年までを対象とした音楽教育システムが30年ほど前にベネズエラで作られて、その成果がこのオーケストラということらしい。だからメンバーは若く、天才の呼び声が高い指揮者もそこから出てきた。この人の指揮する姿は確かに格好いい。150人もの若い団員が奏でるマーラーは整然と鳴ってはいるものの、残念ながら木管・金管の能力はまだ弱く、終盤のクライマックスこそ2000人入るというホールでも喧しいぐらいだったが、何よりもマーラーらしい響きが聞こえてこない。指揮者はマーラーと同じグスターボ(グスタフ)という名前を持っていることで親しみを持っているのかもしれないけれど、このオケにマーラーの響きを持たせるにはまだ時間がかかると思う。
驚きはアンコールで待っていた。曲はバーンスタインの「マンボ(ウェストサイド物語の1曲)」とあのヒナステラの「マランボ(エマーソンの新作で聴けるやつ)」。メチャクチャ調子が良くてオーケストラは本当に団員が踊りはじめて、果ては弦のメンバーが客席にまで降りてしまう。聴衆は大喜びで一緒に大はしゃぎ。最後はヴァイオリンとヴィオラが立ったまま「君が代」を演奏。大喝采を浴びながらオケが解散。あー、マイッタ。
長々と音楽雑談を書いたけれども、本が読めないのには困った。12月に入って3週間近く抱え込んでいたのが、スザンナ・クラーク『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』。原書の3つのパートを3分冊にしたようだが、とにかく長い。19世紀初頭のイギリス(とヨーロッパ南部)を舞台に年譜式の章立てで進行する魔法使いたちの物語は、面白さが隔靴掻痒的に感じられる代物。原文のせいか訳文のせいか時代性がどこか中途半端に思われる。章ごとに付く注釈は魔法に関するものと歴史的なものとが混在していて、魔法が歴史の中に存在していたという設定を支えるには効果十分だが、ノレルやストレンジをはじめ様々なキャラクターはそれぞれ個性を与えられて登場しているにもかかわらず、物語の推進力を支えるにはどこか魅力に欠けているため、話全体は個々のエピソードの面白さ以上のものになってくれないのだ。ノレルの執事チルダマスやイギリス閣僚の黒人執事スティーブン・ブラックなどもっと使いでのあるキャラクターだろうに。まあ、徹底的に嘘つきな物語としてファンタジイの機能を発揮しているとはいえる。
一番短時間で読めそうな翻訳物ということで、ナンシー・クレス『プロパビリティ・サン』を読む。3部作の真ん中だから普通に中継ぎな話になっている。このシリーズを読む限り、ナンシー・クレスは読める話を書ける作家ではあるけれど、SFのエッジとは関係ないところにいるという印象だ。今回はわかりきった設定の中でセオリー通りに物語を紡いでいる感じが強く、評価は出来ないが、話の運びはきっちり作ってあるので、退屈はしない。物理学的なスーパーサイエンス「確率子」がハードSFを支えているけれども、キャラクターたちがあまりにもアメリカン・スタンダードなため、現代SFとしてはやや陳腐な部類に入るかも。でも読みやすいから最終巻もすぐ読むだろう。