内 輪   第219回

大野万紀


 2008年もあとひと月。日本では政治の混乱が続いていますが、アメリカでは次期大統領にオバマが決まり、そろそろ本当に21世紀になったのだな、という印象があります。黒人大統領というのは、けっこう昔のSFでの隠し味的定番でしたからね。でも現実には難題が山積みで大変でしょう。
 ご近所に西日本最大規模というショッピング・センターがオープンしました。昔の西宮球場の跡地に出来た阪急西宮ガーデンズです。とはいえ、ぼくにとって興味があるのは、本屋と電気屋とシネコンくらいなのですが。でも歩いていける距離にシネコンができたので、これからは映画を見に行く機会が増えるかな、と思っているのですが。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『20世紀の幽霊たち』 ジョー・ヒル 小学館文庫
 傑作短編集である。ホラーがベースだが、ダーク・ファンタジーというか、幻想小説の風味が強い。”奇妙な味”の普通小説も含まれている。「謝辞(この中にもおまけ小説が含まれている)」や「収録作品についてのノート」、それに収録された短篇の削除部分まで含めて、19編が収録されている。作者はスティーヴン・キングの次男。とはいえ、それは重要なことではない。何より本書の短篇はいずれも個性的で、深いところで心を揺さぶり、不安を呼び起こす、そんな物語ばかりなのだ。一番気に入ったのは風船少年(しかもユダヤ系)と友達になる「ポップ・アート」。奇想小説ではあるが、少年時代の不安や喜び、優しさと残酷さを見事に描き出している。ホラーでSFでファンタジーでもある「自発的入院」も素晴らしい。地下室に段ボールの箱で迷宮を作り出す、少し障害のある弟を巡る物語だが、その迷宮が異界に通じているのは当然として、父親の示す控えめな愛情や、暴力的な友人との痛々しい関係性といったものがリアルなだけに、その日常と異界との連続性が心に染みる。解説で東雅夫が書いているが、恒川光太郎との作風の類似性を感じるのもこのような作品である。奇妙で不安をそそるが、どこか懐かしく叙情的なオブジェの描写などもそうだ。他にも家族の抱える闇を、ごく日常的な風景とおとぎ話の魔女が存在する異界との狭間に捉える「おとうさんの仮面」(この作品のもつ微妙なエロティシズムはとても魅力的だ)、映画館を舞台にしたノスタルジックな幽霊譚「二十世紀の幽霊」、不気味なホラーとしてかなりの怖さがある「年間ホラー傑作選」や「黒電話」など、いずれも印象的な傑作である。

『マーブル・アーチの風』 コニー・ウィリス 早川書房プラチナファンタジイ
 コニー・ウィリスのSFコメディは嫌いじゃない。面白いと思う。でも、何というか、アメリカのTVでよくある、ボケ役の一人がおかしなことを言って、関西人ならそこですかさず突っ込みを入れるところを、一瞬の間があって(ちょっとあきれたような表情を見せたりして)何事も無かったように話題を変え、ここ笑うところとばかりに観客の笑い声が入る、そんな演出が繰り返されるといささかうんざりするのも事実だ。というわけで、「白亜紀後期にて」や「ニュースレター」にはちょっと点が辛くなる。でも「ひいらぎ飾ろう@クリスマス」には甘くなるのは、ロマンチック・コメディという味わいが強くなるからかも。ヒロインのモーレツ仕事ぶりは何か修羅場のリアリティがあって強烈だ。これにもしつこい繰り返しギャグがあって、そこはうんざりするのだけれど。表題作「マーブル・アーチの風」はコメディではなく、老いとエントロピー増大、いわば個人と宇宙の熱的死を見据えたSF的な観点のあるシリアスな普通小説。傑作である。訳者後書きにもあるが、ある程度以上の年齢の読者には本当にリアリティがあり、身につまされる話だ。「インサイダー疑惑」はオカルトやトンデモを激しく攻撃した懐疑論者H・L・メンケンの霊が、インチキ霊媒師に憑依してしまったというユーモア・ファンタジイだが、そういうミステリ的・技巧的な面白さよりも、ベタベタといっていいロマンチック・コメディの味わいが炸裂していて、そこがとても素敵だ。何といってもヒロインがあり得ないほど魅力的。ちょっと(TV版の)「富豪刑事」のノリかしら。

『美女と竹林』 森見登美彦 光文社
 森見登美彦のエッセイ集。というか、これはエッセイなのか。ほぼ小説として読める。竹林を愛する登美彦氏のぬるい日々。あんまり期待していなかったのだが、読み出すとこれが面白い。荒れた竹林を手入れすると決めて、出版社の連中を巻き込みながら竹を切ったりもするのだが、ほぼ何もしないことが多い。といった大筋よりも、やっぱり彼の語り口がいいな。体温低そう。しかし、終わりは何と本格SF(ちゃんとハードな落ちもついている)となるのだ。びっくり。まあ妄想だけど。妄想竹。えーと、美女もちゃんと出ます。それから吉永小百合似のおばちゃんも出ます。

『詩羽のいる街』 山本弘 角川書店
 水鏡子が傑作だというので、積ん読になっていたのを読んでみる。なるほど、水鏡子がそういうのはわかる。彼が最近よく口にする「システムが立ち上がる」という意味がわかるような気がする。まあ彼は社会学の人だから、本書のような、ほとんどシステムだけを描いたような作品にも反応するのかも知れない。例によってアニメやSFへのオマージュがちりばめられているのだが、根本的にはシステムの話である。お金によらない経済、親切の交換、助け合いのネットワーク。ヒロインの詩羽は、実際にその触媒、ネットワークのハブとしての存在であり、言ってみれば生身の人間である必要はない。詩羽をはじめとするキャラクターは大変魅力的ではあるが、全く記号的な存在であって、それはそれでいっこうにかまわないものだ。つまり個々の人間よりも、その人間たちの関係性、現実の日常の中に存在しうるかも知れないもう一つの社会、システムが立ち上がってくる姿を描いているのである。おー、まさにSFだ。ここにあるのは部分的には現実に存在するものだ。ボランティアのNPOや、地域通貨の試み、ネットでのフリーな情報交換、オープンソフトの共同体、コミケや、もしかしたらSFファンダム……。詩羽はそのある種理想化された象徴であり、触媒であり、ハブである(スモールワールドの理論では、そういうハブの存在により、つながりの距離は極端に短くなる)。とはいうものの、ちょっとその象徴性が理屈っぽいというか、あからさまというか、作り物っぽさがぼくには気になる。街の中に立ち現れるオルタナティヴなもうひとつのネットワーク、コミュニティというテーマは、ぼくの好きな古川日出男が執拗に繰り返しているテーマでもある。その奇想天外で圧倒的な存在感とつい比較してしまうのである。

『探索者』 ジャック・マクデヴィット 早川書房
 2007年のネビュラ賞受賞作で、70歳になるおじいさん作家の邦訳2冊目の長編。邦訳1冊目は『ハリダンの紋章』だが、覚えている人いますか? 普通に面白かった記憶はあるのだが。それよりは、作者の短編「標準ローソク」(『90年代SF傑作選』収録)の方が印象に残っている。本書は『ハリダンの紋章』と同じシリーズの3作目にあたるのだが、独立して読んでも何ら問題なし。1万年後の遠未来での、宇宙をまたにかけた宝探しの話――のはずなのだが、全くそういう感じはしない。とてもまったりとした、ミステリ・タッチの作品で、ホームズ役の古美術商アレックスと、ワトスン役の美人宇宙船パイロット(本書の語り手)チェイスの、時には命に関わる暴力沙汰もあるが、基本的にのんびりとした大時代な雰囲気の作品である。大事なストーリー展開の途中で観光旅行に行ったり、ちょっと展開がのんびりしすぎという気もしないでもないが、この悠然としたペースはけっこう好みだ。遙かな未来の話にしては、むしろ前世紀のような人間描写で、まあそれはそれでいいのではないか、と思えてくる。9千年前に地球から出発したまま消息を絶った移民団の遺物が発見され……というストーリーは、あまり大きなSF的飛躍もなく、淡々と進み、でも結末の雰囲気はなかなか良い。あんまりネビュラ賞という感じではないのだが、こういうSFもいいと思う。


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