続・サンタロガ・バリア  (第75回)
津田文夫


 ケンペの1957年コヴェントガーデン歌劇場版ライヴ『ニーベルングの指輪』をようやく聴き終わった。全体の印象は、客席のしわぶきがメチャクチャ入っている、だな。咳をしにきとんか、オマエらは!ってなくらい、のべつ幕なしに入る。まあ、この聴衆もまさか50年後に日本のリスナーを悩ませることになるとは思ってもいなかったろうな。演奏そのものはケンペらしいコントロールの行き届いたもので、このあとバイロイトで最高のブリュンヒルデ役となるビルギット・ニルソンの声も素晴らしい。
 BUMP OF CHICKEN のいわゆるB面集「 present from you 」は、埋もれさせておきゃいいものを、というファンの意見もチラホラしているシロモノ。B面集だと作詞作曲をほぼ一人で受け持つヴォーカル&ギターがいつも以上に前面に出てくるので、ワンマン・バンドっぽく聞こえてしまうのが、あまりおもしろくないのかな。初期の3曲あたりはバンドの勢いが感じられて今でもそれなりに新鮮。「銀河鉄道」は名曲ぶりが板に付いているが、それがバンドとしての面白さを殺している気もする。

 大森望&豊崎由美『文学賞メッタ斬り!-たいへんよくできました編』は、副題通りで攻めの姿勢が取りにくいせいかテンションが低い。そのせいもあって週刊現代の「ナナ氏の書評」で「面白くないのになぜ批判されないのか!」ってないわれ方をしていた。そのセリフをみて思い出したのが、大昔小松左京が噛みついたSF批判文のいいまわし。ナナ氏の方は、つまらないぞ、自分が権威(!)になってどうする、座談会の再録(?)はあまりにもお手軽だ、などと文句を言いつつその座談会が面白いと書いていて、笑わせる。つぎは「出がらし編」だな。

 河出の奇想コレクション新刊のマーゴ・ラナガン『ブラック・ジュース』は、収録作はどれもそれなりに印象的だけれど、どちらかというとメインストリーム系なファンタジー短編集。表題が中身の各短編の持ち味をすくい取って付けられているかどうかは、判じがたい。「訳者あとがき」の収録作解説がとてもベタな感じで最初読んだときは、こんなのでいいのか?と思ったが、すぐに短編のタイトルから中身が思い出せなくなるような人間にとっては結構親切な解題であることがわかった。

 連発で発刊なった古沢訳書は、先に〈未来の文学〉叢書のプリースト『限りなき夏』から読み始めた。表題作及び「青ざめた逍遥」はきれいにピントがあった感じの訳で、あのころのプリーストに対する印象がそのままよみがえる。SFであることが当たり前な書き方をしていたころのプリーストは愛おしい。後半を占めるドリーム・アーキペラゴ・シリーズの諸作は作家の技量を見せるものになっていて、「奇跡の石塚」はその最たるものだろうが、これらのシリーズ作品から連想が向かうところはバラードのヴァーミリオン・サンズだ。

 〈プラチナ・ファンタジイ〉のジェフ・ライマン『エア』は、読み始めてびっくり。この話は読んだことがある。いつ読んだのかまったく思い出せないのだが、すくなくとも最初の100ページ分は再読気分だった。これって短編版がどっかで訳されていたんだっけ? それともペイパーバックを途中で放り投げたか。昔読んだ印象ではヒロインのイメージはもっと若いような感じだったが、ちゃんと読むと大きな息子がいる中年だったのね。メールでやりとりしたり、研究施設に入れられたりのエピソードはまったく覚えていないので、後半は初めて読む感じだった。そのせいもあってかクライマックスの話の運びはピンと来ず、前半の重みからするとやや走り気味に見える。結末はグロさと輝かしさという点で『黙示録3174年』を思わせる。

 積ん読になっていたパトリシア・A・マキリップ『オドの魔法学校』をようやく読む。ハリー・ポッター人気に乗じたような訳題は、地味な上に必ずしも内容と一致していないが、原題も「オドの魔法」でまったく人目を惹くようなものではない。だが作中の主要脇役である魔術興行師親子ティラミンとその娘ミストラルのショーを描いた美しくもやや散漫なイラストラーションは、この作品の愛らしさを十分に反映している。マキリップの美点はこの最近作でも効果的に現れていて、『影のオンブリア』のような駆け引きのサスペンスは遠ざけられているものの、ささやかなハイファンタジーの手品を堪能できる。波瀾万丈大長編ファンタジーが幅を利かせている当世にあって我が趣味に合う貴重品。


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