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第1位
いやもう充分愉しんだ男どもがゴマンといるようなのでどうでもいいじゃないかという感じもあるけどね。一人称にすこしフラットな部分があってどうかなと思ったけれども、学祭の章ですべてが許される。やはり絶賛か(津田)
四つの連作からなる長編だが、なるほど間違いなく傑作である。いずれも傑作だが、ぼくは最初の先斗町の話で圧倒された。こんな女性はあり得ないとみんな言うけど、何だか既視感があるんだよねえ(大野)
前作(『きつねのはなし』)で、“森見京都3部作は完結”と感じたけれど、本書を読んでますますそう思えてきた。というのも、この作品は『太陽の塔』と全く同じ位置にあるからだ。一周回って同じ場所に還ってきたのである。ただし、『太陽の塔』とテーマが同じでも、よりディープに掘り下げられている(つまり空間的には上の位置だ)(岡本) |
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第1位(同率)
ファンタジイの配合具合も絶妙で、人間ドラマを壊すことなく、地味ではあるが必要不可欠な世界構成要素として位置どりをしっかり確保している。G・R・R・マーチンの最高傑作ではないか。それなりにおもしろかった前作『王狼たちの戦旗』がシリーズ全体を通して見るときの意図されたダレ場であったのだと本編を読んで初めて思う。このさきファンタジイにとどまるか、SFに転ぶか、なんともいえないところだけれど、物語的には今年のベスト(水鏡子)
やっぱりすごく面白い。異世界ファンタジーというよりは戦乱の中世に生きる人々を描く歴史小説として読めるし、基本的に本書は過酷な時代と制度の中で翻弄される、それでも知恵と勇気を絞り、必死に生きていく登場人物たちの運命をドラマチックに描く骨太な大河小説である(大野) |
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第1位(同率)
なによりも組み立てがいい。基本は1作品4ページ。題字に作品名・作者名に加えて書影と書誌情報を載せる。1ページ上段は作者履歴。下段は著者のこの作品に向かう立ち位置を確認する前ふりだ。残り3ページの紹介は未読の読者に対してのあらすじ紹介を主体に、文学史的な位置づけを踏まえた読書記録である。作品の置かれている状況へ言及しつつ読み方と読んだ気分を伝えることに腐心する。評価、分析でなく、気分の共有こそを重視する(水鏡子)
いかにも教養のための本のように思えるが、まず前書きが破格である。「三悪は国語教師、学者/文学研究家と旧弊な文学信奉者で、こいつらのせいで文学は難しい/面白くないと思われている」という檄文で始まっているからだ。牧眞司の世界先端文学に対する姿勢は「何も難しくない、これほど面白いものはない」と明瞭である(岡本) |
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第4位
出だしと目次からしてたくらみはほぼわかっているのにグラグラと揺らぐ世界のそのゆれ具合が気持ちいい作品。空ぞらしいくらいの改変歴史物なのにプリーストの叙述スタイルとテクニックの冴えがまったくそのようなことを感じさせない。ニセ・イングランド作家(そんなのがあるのかどうかは知らない)として完成されつつあるプリーストという感じ(津田)
傑作。二つの並行世界が入り乱れて、といった複雑な謎解きはとりあえず置いておいて、ジャックとジョーという二人の一卵性双生児のたどる第二次大戦が舞台の波乱に満ちたドラマをじっくりと楽しむのが良い(大野)
本書を読むポイントは複雑な物語の謎解きより、戦争により人生を定められてしまった“1人の人間”の、数奇な運命に対する作者の視点にあるといえる。主人公の生きざまは、並行世界を介した手法を使うことで、従来得られなかった重層感を読み手に与えてくれるのだ(岡本) |
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第5位
これを書いて小説家としての筆を折ったことを思うとやはり感無量という気がする。レムがここまでSFにこだわり続けたことが感動的なのだ。自ら描いてきたSFを回顧しつつ、すさまじいまでのイメージ構築に力を注ぎながら、SFでしか描けないことを描こうとして、それでも遂にはSFでしかないことがレムの無念のように思える。とても大団円とは思えない最後の章で惑星に落ちてくるピルクスの運命は断念の斧なのか(津田)
珍しく人類側が技術的には相手を凌駕しているのだが、それが余裕とはならず、人類の原罪を強く意識させられることになる。結末はまさに「大失敗」なわけで、どうしてこんなことになってしまったのだろうと、現実の世界の状況をパラレルに考えながら辛い気分に陥ってしまう。そういうハッピーではない小説だが、様々な議論がとても深いレベルで繰り広げられ、知的なSFを読む楽しみがある(大野)
本書が描かれたのち4年後に湾岸戦争が起こり、その10年後に9.11が起こるが、政治的予言の書としても読める。ただ、これを人類対異星人の戦争小説と読むのも間違いである。よく読めば分かるが、実は本書の中に明確な“異星人”など、どこにも登場しないからだ(岡本) |
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第5位(同率)
本気でホラーにもミステリにも頼らないまっとうなSFを書くんだとういう意気込みは素晴らしいが、その分雑駁な小説の楽しみは乏しく、SFの希少な王道/オールド・スタイルが堪能できる一方、そういう風に考えるか普通?というツッコミも浮かんでしまう。これがSFの生きる道というのも分かるんだけどねえ。ただこれをケナす気は全然ない。SFファンだからね(津田)
いずれも傑作だが、とりわけ表題作の「沈黙のフライバイ」と巻末の「大風呂敷と蜘蛛の糸」はオールタイム・ベスト級の傑作である。(後者では)おしゃべりもなく、ジェットの轟音もなく、ただ空と大地があるばかり。そしてここでも、ささやかな生命をめぐっての壮大な宇宙的ビジョンをかいま見ることができる。小松左京は「宇宙よ、しっかりやれ」といった。野尻抱介の登場人物たちも、声には出さないかもしれないが、心の中でそっと同じことをつぶやくに違いない(大野)
小さな政府が流行るご時世では、国家プロジェクトも縮小される運命にある。ということで、主人公たちは異様なまでの執念と執着心を内に秘め(ここが肝心か)、目立たず慌てず、ひたすら待ち続けなければならない。そういったストイックさが、例えば「沈黙のフライバイ」では人類の運命にそのまま敷衍されている。待つのは主人公たちだけではない、宇宙を知るためには我々すべてが待ち続けねばならないのだ(岡本) |
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第7位
すでにその素晴らしさが言い尽くされた観があるノンフィクション。大森望がSFMで書いたことが大方のロートルSFファンの思うところだろう。50代の星新一を大長老として遇してしまったSFファンとその空気を醸成したのが小松・筒井両巨頭というのは振り返ってみれば気の毒としか言えないけれど、それを諒と出来なかった星新一も悲しい(津田)
誰もが知っている名前でありながら、短編で多作、かつ客観的な作風であることも災いして、“明瞭な印象”を残さない作家だった。それが結果的に晩年の著者を不幸にする要因でもあった。ピークを過ぎ、先が見えた時に誰でも自分の価値/存在意義を気にする。“誰もが知っている/誰も憶えていない作家”まさにその点にこそ本書の焦点がある(岡本) |
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第8位
これまでよりも読みやすい短編集。慣れたのかとも思うけど、似たような題材の短編がこれでもかとテーマを押しつけてくるので、分かる気にさせられたのかも知れない。表題作と「オラクル」が読み応えがあるけれど、肝心のアイデアがピンとこない面もある。主観と多世界解釈との間にはいったい何があるんだろう(津田)
SFのガジェットとして当たり前になっているものを、ここまで深く考えて描いているのは本当にすごいと思う。ただし、問題意識とその思弁の深さはすごいのだが、「真心」の〈ロック〉や「ふたりの距離」の意識の交換のようなアイデアを実現したいとする登場人物たちの偏執的なといっていい心理は、小説的なリアリティよりもテーマを表現したいという作者の欲求の方にシフトしているように思える(大野)
イーガンの踏み込んだテーマ、人間の“心の奥底に対する科学的解釈”は、化学作用と感情の関係といった狭い分野を超えて、量子論と人間の運命という、ある種宗教的な領域に近づいている。表題作「ひとりっ子」も、人工知能と人間の区別がつかなくなりつつある未来に、生物的な子供ではなく人工知能を子供にしようとする男女を描いている。そこにあらゆる可能性
の“網羅がされない装置”があったら、という究極のアイデアを付け加えているのだ(岡本) |
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第8位(同率)
てんでなレベルでティプトリーらしさが汪溢しているとは思うものの作品全体の力は弱い。あるブログにSFに作家の私小説的な面が入り込むタイプは鬱陶しい、みたいな感想があったけれど、ティプトリーの素性がバレなければ、自分も含めてどんな印象を持ったのだろうか。それとも正体を明かされなければティプトリーは別の書き方をしていただろうか(津田)
それにしても、古風で上品な、モラルと美意識に満ちた作品である。善と悪がはっきりと明確に存在し、まるで往時の手塚治虫のような、愛と死の賛歌を歌い上げる。いつものティプトリーのエッジのきいた悪意やアイロニー、押しつけのモラルへの反感は影を潜め、古風な、古き良きアメリカの美意識が全編を覆っている。老いたティプトリーが子供のころに読んだ、読みたかったSFとは、こういうものだったのかも知れない(大野)
SFのお話作りは、時に舞台劇のような誇張と省略を伴うことがある。本書の場合も、すべての登場人物に悲劇的な背景と運命が定められており、それらが次々に明らかにされていく。抽出された体液の秘密、ノヴァ爆発の真相、各人物の隠された過去や才能など、伏線に無駄がないのも特徴といえる。短編集ほどのバラエティは感じられないが、晩年の作品が持つ雰囲気(諦観や厭世観)を読み取ることも可能だろう。(岡本) |
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第8位(同率)
一つ一つの作品は古典的な起承転結からはほど遠く、若島正の編んだ異色作家短編集の収録作なんかとはずいぶん印象が違う。登場人物たちの個々の行為は目に浮かんでも作品全体の流れは必ずしも明らかではないものが多い。でも読んでる間はおもしろいし、キャラクターたちの立ち上がりもうまくできている(津田)
いかにもSFな作品集だが、もちろんSFやファンタジイやホラーというよりは、ケリー・リンクの幻想小説というしか言いようがない作品集である。ただし、変な話ではあるけれども、読みやすいし、わかったとはいえなくても、十分にその乾いた情感は伝わってくる(大野)
一見ファンタジイのように見えて、ケリー・リンクの小説は現実のどこかと結びついている。ゾンビが出入りするのはコンビニだし、ウェブサイトや連続TVドラマが登場する。SFでおなじみの時間の非均一性が語られる。生者と死者は対等で、憑かれた家では兎が暗躍するがそこに正邪の区別はない。いわゆる類型がない点こそ、この作者最大の持ち味といえる(岡本) |
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第8位(同率)
これがタニス・リーだ!っていう意気込みがよくわかる編集っぷりで、さすがよく読んでるなあ。「いま・ここ」から次第に遠ざかる作品配列ということだったけれども、個々の作品の手触りにそれほど大きな違いがあるわけではなく、リーにとって身近と思われる吸血鬼や魔法使いをシリアスなタッチで描く一方、リーにとってもエキゾティックなおとぎ話であるオリエンタル系は軽いタッチで仕上げている(津田)
ファンタジーの退屈という言葉があるが、どの作品も面白いとはいえ、どれも同じようなテイストがある。その点、寓話やおとぎ話風の作品にはその奥に生命力があり、世界の広がりがある。アラビアンナイトにもシンドバットの冒険があるように。そういう意味で、実はタニス・リーにも、70年代のLDG作家たちと同世代の雰囲気をもったSF作品があって、『バイティング・ザ・サン』なんか本当に面白かった。そっち方面の作品ももっと読みたい気がする(大野)
編者の考え方もあり、主に中篇クラスの粒がそろった80年代作で、かつ“SF以外”の作品を選択した中・短編集となってる。ダークだが血みどろではない、絢爛豪華で退廃的だが乾いていてウエットさがないなど、タニス・リーの特長が良く出ている。ほとんど現実とはリンクがなく、寓話的な教訓すらファンタジイとなっているのが、この作家の面白いところだろう(岡本) |