内 輪   第205回

大野万紀


 今年の京フェスは普段より1月早く、10月6日と7日。ぼくは本会企画の「ティプトリー再考」に出席することになりました。岡本俊弥、鳥居定夫、米村秀雄とのパネルですが、何というロートルなメンバー。まるで20年くらい前の京フェスみたい。このメンバーではホットな話題も出るはずがなく、まあティプトリーを「発見」したころの昔話でもするのかなあ、と思うのですが……。とはいえ、今年はティプトリーの没後20年のメモリアル・イヤー。またティプトリーが女性であることが広く知れ渡ってから30年という年にあたるので、記念すべき年ではあるのですが。
 古沢さんからティプトリー(アリス・ブラッドリー)の小説デビュー作である、1946年のTHE NEW YOKERに掲載された「The Lucky Ones」のコピーをもらったので読んでみました。フィクションなのか、ノンフィクションなのか良くわからない作品です。
 1945年の連合軍占領下のドイツへ、軍の重要人物である夫と共にやってきた主人公が、アメリカ軍の司令部で掃除などの雑用をしているポーランドからきた3人の少女と出会い、その日常を淡々と語ったもの。少女の一人の、米兵による予期せぬ妊娠とか、クリスマスパーティとか。司令部を引き払って、キャンプの方へ移るように言うと、彼女たちは震え上がったとか(収容所へ行けと言われたかと思ったのだ)。特別にティプトリーらしさも感じなかったけれど、アメリカ人から見たら悲惨な境遇に見える彼女たちも、すごく恵まれたラッキーな子なのだよ、というラストは、この時代のNEW YORKERの読者に何かを訴えたかったんだろうと思います。でも、同じ占領された側の国の人間としては、複雑な気持ちになるなあ。
 せっかくなので、今年のヒューゴー賞を受賞したジュリー・フィリップスのティプトリーの分厚い伝記を読み始めたのですが、とうてい京フェスまでには読み終わりそうにない。いや、読みだすとすごく面白いので、ついつい読みふけってしまうのです。10歳の少女のころのSFとのファーストコンタクトとか、14歳ごろのお嬢様学校でのエピソードとか、もう最高。これってやっぱり萌えかしらん。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『スペースプローブ』 機本伸司 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 何というか……痛い小説だ。日本初の有人月旅行クルーが、失敗した彗星探査機が見つけた(かも知れない)謎の存在を知って、ミッションを乗っ取り、謎の存在とのファーストコンタクトを目指す、という話だけど……。なまじリアルな宇宙開発SFのフォーマットを使っているだけに(でも話の半分以上がカラオケボックスの中で進むというのは、確かに新機軸だ)、登場人物たちの非常識さ、ストーリーのとんでもなさが目立ってしまう。ちゃんとした大人は一人もいないみたいだ。こんな連中がどうして宇宙飛行士になれたのだろう。こいつらみんな、人として軸がぶれているよ。とはいえ、現実のオームの科学者たちも、もしかしたらこんな連中だったのかも知れないな、と思ってみたり。

『マジック・フォー・ビギナーズ』 ケリー・リンク 早川書房プラチナファンタジイ
 ケリー・リンクの第二短編集。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞という、いかにもSFな作品集だが、もちろんSFやファンタジイやホラーというよりは、ケリー・リンクの幻想小説というしか言いようがない作品集である。ただし、変な話ではあるけれども、読みやすいし、わかったとはいえなくても、十分にその乾いた情感は伝わってくる。コンビニに来るゾンビがいたり、異星人がいたり、人里離れた電話ボックスを相続したりと、異様で幻想的なイメージは豊富だが、そのイメージを膨らませたりそれにこだわるかというとそうではなく、ごく日常的な今のアメリカの風景とそれはギャップなくストレートにつながっていて、さらに訳者後書きにあるように少しずつそこから「ずれて」いくのだ。ずれてはいるが、軸がぶれているというわけではないのだな。「妖精のハンドバック」は一番わかりやすい話で、確かにヒューゴー、ネビュラ、ローカスを受賞したのもなるほどと思わせる。本書で一番可愛いらしい話でもある。「石の動物」は怖いことは何一つ起こらないのにとてつもなく怖い家族の物語。怖いことを書かなくても怖いホラーというのはあるのだ。表題作は空きチャンネルに現れる謎の人気テレビドラマと、電話ボックスと、離婚の危機にある両親と、そして子供たちの話で、これもまた日常世界と、いわば墓穴世界が隣り合って相互乗り入れしている。ディック的に墓穴世界がおぞましい恐怖の世界というわけではなく、少しずれているだけである。ずれているだけかも知れないが、そのずれが何重にもいわば再帰的に繰り返され、カオスとなってしまうのが「しばしの沈黙」。どれも面白く読んだが、とりわけここに上げた作品が印象的だった。

『魔法使いとランデブー』 野尻抱介 富士見ファンタジア文庫
 アニメ化された〈ロケットガール〉の第4巻は、短編集である。97年というかなり古い作品から、最新の書き下ろしまで4編が収録されている。しかし、アニメを見た後なので、完全にそのイメージで読んでしまうなあ。リアルな宇宙ものと、〈萌え〉な女子高校生宇宙飛行士の楽しい合体で、普通にライトノベルとして読むのが正しいのだろうけれど、現実にロケットを飛ばすことに情熱を傾けるリアル・ロケットガールも存在したりして、また現実の小惑星探査機〈はやぶさ〉にそのまま重ね合わせた物語もあったりして、何というか、マンガ・アニメ的でありながら、同時にライブな生身の世界と繋がっている、しかもその繋がりはリニアではなくて、ちょっと移相のずれた(しかも次元を2Dに変換したような)感覚があるのだ。これって、東浩紀の〈ゲーム的リアリズム〉ともまた違う気がするのだが、うまく言語化できないなあ。それはともかく、ハードSF的な科学のリアルさと、キャラクターたちの(どこかで空気が抜けているのだけれど)仕事にあたっての真剣さ、やるべき目的に対して自分の立ち位置が確立している大人さ、そしてまさにライトノベルな、あるいはマンガ・アニメ的な飛躍とボケが見事にはまって、重みと軽みがうまくとけあった話になっている。もちろん4編には出来不出来もあるのだけれど、表題作である本書のほぼ半分を占める書き下ろしの中編がとにかく傑作。満身創痍で地球に帰還する〈はやぶさ〉(本書では〈はちどり〉)を軌道上でキャッチして救出しようとする話なのだけれど、リアルに考えれば成り立たない部分(技術的、ハードSF的にではなく、ストーリー展開として)を、まさに魔法と精霊の力で有無を言わさず成り立たせてしまう。にもかかわらず、それはオカルトや超自然ではないのだから恐れ入る。それにしても、ゆかりちゃんには、あのスペースプローブのダメダメな連中に、一発カツを入れてやってほしいと思うなあ。

『火星の長城』 アレステア・レナルズ ハヤカワ文庫
 アレステア・レナルズといえば、あの理科年表のような分厚さの『啓示空間』や『カズムシティ』を思い浮かべるが、本書はそのレナルズの短編集。本国版に未収録の中編も加えて二分冊で出る、その内の一冊である。そして、これは宇宙SFの傑作といっていい。ニュー・スペースオペラという称号は間違っていない。何より短い、読みやすい、面白い、適度にハード、キャラクターに魅力がある、ストーリーはわりあい単純で、戦争SFだったり、ミステリだったり、スパイものだったり、その昔のニューウェーブSFみたいだったり(でも謎が不条理なだけで、話はわかりやすい)、そして全部が(『啓示空間』や『カズムシティ』も含む)宇宙史を構成している。SF史に残るような傑作とはいわないが、これくらいの作品がコンスタントに読めるなら何も文句はない。「普通の」傑作である。プロローグにあたる「火星の長城」、異星の生態系を背景に、ミステリタッチで話が進む「氷河」、アンダースンが書きそうなSFスパイものを現代に蘇らせたかのような「エウロパのスパイ」、深宇宙が舞台の、半ば異種族と化した少女が魅力的な「ウェザー」、そして圧巻は不条理な謎を秘めた異星人の遺物を、何度も殺されそうになり、肉体を改造しつつも挑んでいく「ダイヤモンドの犬」。いずれも面白かったが、ぼくには「火星の長城」と「ウェザー」がとりわけ印象に残った。

『ヴィズ・ゼロ』 福田和代 青心社
 とても新人とは思えない、筆力ある作家によるサスペンス・ミステリ。台風で閉鎖された関空に、ハイジャックされた旅客機が着陸。ハイジャックもの(どうやって脱出するのか、人質はどうなる)とスパイ・スリラーと、ハッカーものがからんで、なかなか現代的な作品だ。前半は謎と、スリル、サスペンスの連続で、読み応えのあるエンターテインメントなのだが、中盤がちょっと進展がなくなってだれる。また、どこのイッツ・スモール・ワールドかと思うくらい、登場人物たちの関係性が密で、それがうっとおしくなってくるのと、最後のどんでん返しには、もうひとつ説得力が欲しかったなあ、というところだろうか。それにしても、これがデビュー作なのだからすごい。作者の次回作が楽しみだ。


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