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8月の記事と思っている間にもう9月ですね。先月も同じことを…。
ヒューゴー賞のトーストマスターが大森望かぁ…と、思わず遠い目になってしまう今日この頃です。今時分の読者の皆様からすれば、むしろ「それが何か?」(不思議はないでしょ)って感想かもしれませんが。
今年のワールドコン兼日本SF大会は参加者3500名(公式ページによる)、日本の大会でも歴代2位ですし、海外参加者1500名は類例なし(ワールドコンとしても、日本人が2000人も参加する大会は史上初)。SFマガジンがこれだけ特集を組むのも前代未聞(世界に日本SFをアピールする最大の機会と見ています)。想像外/予想がつかないので、コメントは特にありません。前回の記事どおり私は不参加ですしね。参加記録を確認してみると、(日本の)大会はもう10年参加していません。今頃の季節になるとちょっと血は騒ぐのですが、執着も薄れてきたということでしょう、やれやれ。
紀田順一郎の『幻想と怪奇の時代』(2007年3月刊)を読んでいると、大伴昌司との親交(慶応大学の同窓)や、学生時代から活躍を始めた荒俣宏(今年72歳になる著者より12歳若い)との出会いなどが書かれています。大伴昌司は1973年に38歳で亡くなり、荒俣宏のデビューは、日本初の本格的オリジナルアンソロジー『怪奇幻想の文学I 真紅の法悦』(1969)の作品選定と解説でした。
ちょうど同時期に刊行されていたのが、早川書房の『世界SF全集』です。8月にその全集の月報だけを集めた『日本SF・幼年期の終り』が出ました。早川書房の『SF全集』は画期的な内容で、ハードカバーの全集形式では空前絶後です。これ以降、“世界”を視野に収めたSF全集は出ていません。
筆者はこの全集をリアルタイムに買った口ですが、残念ながら全巻を所有していないのです。小遣いの乏しい子供のことでもあり、780円(第1回配本のハックスリイ・オーウェル編)もしたハードカバーを毎月買うことはできません(当時の文庫は100円台で買えた)。単行本で既に出ていた巻は除かざるを得ません。そのため35巻中の3分の1くらいが欠落してしまっています。しかし、全集でしか入手できない作品も未だに多数あります。日本編(現代・古典編)海外編(現代・古典・東欧)などの短編集を除いても、ライト、エフレーモフ、ラインスター、ゴール/グロモワ/ストルガツキー、バルジャベル/フリック/フランケ、テインなどは単行本になっていない作品です。バラなら、いまだに古本屋でも結構見かけるので、入手する機会はあるかも。まあ、歴史的意義以上ないものもありますがね。
1968年10月から1971年8月まで3年、当時は日記などつけていませんが、各巻なめるように読み、未読なんて勿体ないことは一巻もしていないことでも気合の入り方が分かりますね。読み手も飢えていた時代です。ただ、残念なことに『日本SF・幼年期の終り』を読んでも、そんな時代の息吹きは蘇りませんでした。まだ若かった眉村、筒井の文章に気負いを感じる程度です。注釈のない状態では、古びた大半のエッセイの意味(歴史的な状況)が分からないのではないでしょうか。また、本書は月報を完全に収録していません。著作権の関係があるのか、105編中34編が抜粋されているだけです。ただ、その執筆者34人中16人が既に亡くなっている点を見れば、本書の目的でもある40年の歳月を感じ取れるかもしれません。 |