内 輪   第200回

大野万紀


 とうとうこの連載も200回となってしまいました。何だかいつの間にか時間ばかりが過ぎていった印象です。
 ダン・シモンズの『オリュンポス』を読み始めました。冒頭から「夜明け前、トロイアのヘレネは空襲警報で目を覚ました。」とくる。もうたまりませんね。SFを読む醍醐味というやつです。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『老人と宇宙(そら)』 ジョン・スコルジー ハヤカワ文庫
 21世紀版『宇宙の戦士』とあるが、確かに『宇宙の戦士』を思わせる話ではある。でもハインラインの重さはなく、なかなか悲惨な戦闘はあるのだが、ずっとお気楽で軽いエンターテインメントである。そもそも21世紀版、というより、何とも今時こんなストレートなわかりやすいSFが書かれ、それがキャンベル賞を受賞するのか、ということに驚かされる。きちんと時系列を追って描かれ、説明もひとつずつされていて、とてもユーザ・フレンドリーな小説なのだ。突っ込みどころはたくさんあり、人肉が好物な異星人なんてのには思わず笑ってしまった(どんな進化をしたというのだ)。75歳以上の老人だけが志願できる宇宙軍というのが本書のキモなのだが、根本的に彼らが喜んで志願するというのがそもそもぼくには理解不能。コロニー防衛軍に志願したら、進んだ技術で若返ることができる、というのが一番の理由のようだが、実に新兵の四分の三が死ぬという悲惨な戦争に志願するのだ。自分の国を侵略者から守るといった明確な目的があるならともかく、地球にはほとんど情報がもたらされていない、エイリアンとの戦いにどんな使命感から志願するのか。実はそのあたりはほとんど書かれていないので、よくわからない。しかし、そうはいっても本書はひたすら面白い。何しろわかりやすいし、ユーモアがあるし、夫婦愛もある。SF的なガジェットや世界構築はほとんど描かれないにもかかわらず、エイリアンたちはなかなか面白い連中ばかりだ。何より主人公が強いし、ラッキーで、基本的にハッピーだ。まあこういうのもアリだよなあ。

『大失敗』 スタニスワフ・レム 国書刊行会
 レム最後の長編SF。ピルクスは出てくるが、全然キャラクターものではないので、ピルクス・シリーズというわけではない。強烈でハードな作品である。タイタンで遭難した操縦士が目覚めたのは恒星間宇宙船の中だった。巨大な宇宙船はラムジェットで亜光速まで加速し(翻訳ではわかりにくいが、そういうことだと思う)、その相対論的時間によって異星の知性体が進化するタイミングを捉えてコンタクトを行い、ブラックホールの事象の地平線を利用して時間を遡って帰還する、とまあものすごい旅をしているのである。しかし、たどりついたその惑星系には異星人の姿はなく、無数の人工衛星群が果てしない膠着状態の戦いを続けているのだった。当然ながらまともなコンタクトはできず、探査機は攻撃され、退却するか、力ずくでの接触をするかという決断を迫られることになる。重い話である。珍しく人類側が技術的には相手を凌駕しているのだが、それが余裕とはならず、人類の原罪を強く意識させられることになる。結末はまさに「大失敗」なわけで、どうしてこんなことになってしまったのだろうと、現実の世界の状況をパラレルに考えながら辛い気分に陥ってしまう。そういうハッピーではない小説だが、機械の知性、戦争のゲーム性、人類の業、善と悪、宇宙における知性や文明など、様々な議論がとても深いレベルで繰り広げられ、知的なSFを読む楽しみがある。しんどいけどね。議論だけでなく、描写の美しさもある。冒頭のタイタンの部分がけっこう長く、そこでは遭難者を救助に向かう操縦士が巨大な人型ロボットに乗って奇怪に変貌したタイタンの荒野を進む描写が延々と続くのだが、じっくりと味わって読むに値する見事なセンス・オブ・ワンダーに溢れた描写がある。レムには珍しく、宗教(それもキリスト教)が大きな役割を果たしているのも面白い。もともと腰を据えてかからなければならない種類の小説ではあるが、翻訳がそれをよけいに読みにくいものとしている。SF翻訳の伝統に従っていないことも確かに大きいのだが、でも「タイタン星」といった表記も慣れればどうということはない。それより、おそらくポーランド語でない部分をアルファベットのまま残すという方針だったのではないかと思うが、やたらと出てくるアルファベット表記が読みにくいこと夥しい。ここはルビを使うなりして普通に訳してほしかった。

『新釈 走れメロス 他四篇』 森見登美彦 祥伝社
 「山月記」「藪の中」「走れメロス」「桜の森の満開の下」「百物語」を、いつもの京都のへたれ学生たちが演じる短編集。パロディというわけでもなく、モチーフを借りながら、『夜は短し歩けよ乙女』の森見ワールドが展開する。そういう意味では「走れメロス」がずば抜けて面白く、ばかばかしく、テンションが高い。他は少し大人しく文学っぽくって、『きつねのはなし』に近い感じがする。「桜の森の満開の下」はもしかすると作者の新境地か。それにしてもみんな、京都の町を走る走る。いや、本当は「メロス」以外ではあまり走らないけど、それでも歩き回る。「山月記」に至っては宙を舞う。京都にはたまにしか行かないが、このあたりのリアルさとぶっ飛びさが心地いいなあ。とりあえず「走れメロス」は傑作である。

『アナンシの血脈』 ニール・ゲイマン 角川書店
 この作者のファンタジーは好きだ。とんでもない話だが神話的で、どこかフォークロアっぽくて、ユーモラスで、面白いけど恐ろしい。ある意味、ラファティとも通じるところがある。あんなにぶっとんではいないけれど。本書も、アナンシという神様(というか、民話に出てくるトリックスター的な、あちらの世界の能力を持った陽気な爺さん)の息子だったごく普通の平凡な、どちらかというと冴えないダメダメな青年が、自分の分身であるかっこいいスパイダーに出会い、婚約者を奪われたり職場を追われたり、運命をぐちゃぐちゃにされたあげく、古い神々であるアナンシとトラとの宿命の戦いに巻き込まれ、あちら側の世界をさまよい、そして恐ろしい冒険のあと、すばらしい(まさにおとぎ話のような)めでたしめでたしのハッピーエンドとなるお話。とても面白く読んだ。泥臭い民話っぽさにもかかわらずモダンで、現代の日常と重なり合うあちら側の世界が、これは『ネヴァーウェア』の時も思ったけど、心地よくスムーズに繋がりあっている。登場人物たちが魅力的だし、とりわけどんなひどい目にあっても飄々としている主人公がいい。


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