続・サンタロガ・バリア  (第58回)
津田文夫


 さすがに師走、なんだかんだと忙しい。これといって面白いこともないし、CDでも買うかとHMVでインターネット注文。ジャズで一番好きなピアニスト、ジョージ・ウォーリントンがヨーロッパから来たテナー&フルート、ボビイ・ジャスパーのバックに入った57年の「Boby Jasper」と、そのすぐ後にジャズ界から足を洗って実業界へ転身し成功、悠々自適の70歳近くになって85年に録音したソロ・アルバム「The Pleasure of a Jazz Inspiration」、それとELPの今年出たライヴ「Pomp and Ceremony Live」だ。ボビイ・ジャスパーはドラムがエルヴィン・ジョーンズなんだが、割とおとなしめ。ブラシのエルヴィンはちょっとヘン。曲はウォーリントンの佳作「Before Dawn」と「Sweet Blanche」が入っていて期待したのだけれど、御大は軽めに流してちょっと遠慮気味だった。晩年のソロ・ピアノはジャズ界ではほとんど無視されていて、どんなんかいなと興味津々で聴いてみたら、ところどころ昔の洒脱さが顔を覗かせるものの、ソロとしてはジャズ風味に乏しく散漫な印象だった。ステレオいっぱいにピアノの音像が広がって綺麗なことはキレイなんだけどねぇ。ELPの「Pomp and Ceremony Live」は現物を見たら、98年に国内発売された「ゼン&ナウ」と同一内容だった。その筋のヒトは気をつけようね。ジャケットとライナーのデザインはギーガーの国内版よりはスッキリ。念のために音を聴いてみたところ、国内盤よりやや音の鮮度が高いように聞こえた。たぶん8年間で国内盤CDのポリカーボネイトがヘタったんだろう。

 毎年ベスト用に弾が出るはずの11月の新刊にこれといった翻訳SFがなく、まずは『デカルトの密室』でビクビクさせられた瀬名秀明『第九の日』に手を出す。語りの人称問題等は前提なので安心して読めた。本歌取りということもあって、あまりピンとこないところもあるが、これらのエピソードの作り方に改めて瀬名秀明のストーリーテリング技法がホラーを基本としているんだなあと思ってしまった。それはダン・シモンズを読んでいるときにも時々感じる。関西SF作家マンガ・カルテットをはじめとしてSFを語る技法としてホラーが多用されるのは分かるが、そればかり目立ってるような感じがするのは錯覚なのか。

 何を読もうかと思案してたら、手が伸びたのは文庫になった阿部和重『シンセミア』だった。阿部和重は初めて読んだが、『シンセミア』は評判に違わず凄い力業だった。SFとしての性能も「劇場版うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」と同等かそれ以上だろう。まあ、神町と友引町のどこが似ているんだというヒトもいるでしょうが、似たようなもんです。クロニクルというよりはサーガという雰囲気もそうだけど、この作品のアクロバット性を薄々認識したのは渋谷道玄坂の惨事/歩行者天国に突っ込むダンプカーあたりで、次は洪水がやってくる前説にもしやと思い、太陽フレアの前説に至って確信に変わった。なにしろ小山から転げ落ちた中年夫婦に赤い光を見せるためだけに東北でオーロラが観察されるくらい強力な太陽フレアが召還されるんだから、これはSFだよな。『シンセミア』という精妙な響きと「The Everlasting Now」という最終章のタイトルの鈍重な響きの照応もいい感じだ。あと、わざわざ阿部和重という名前の登場人物をチョイ役で出して、阿部和重と書いてあるからといってそれが何者なのか信用できないことを読者に教えたりしている。あ、筒井康隆が入っているかも。

 翻訳物に手を出す気になれず、奥さんオススメの打海文三『ハルビン・カフェ』を読む。表題はホテルの名前だったのか。舞台は日本海側の近未来の架空都市だし、カッコいいハードボイルドではあるんだが、作者に変貌した日本を描くつもりはあまりなく、『シンセミア』のすぐあとでは、読み手の意識が作品構造に引っ張られていてやや分が悪い。記憶に残る場面がいくつもあるので1年後も作品の感触は覚えていると思う。エンターテインメントとしては十分なおもしろさを備えている一作。

 最近、モリミーという愛称が定着しているらしい森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』は大森望が絶賛、すでにあちらこちらで同意の声しきりで、今更どうこういう気もなくなったが、このヒロインは女性読者にはどう見えるのかが気になるところ。いやもう充分愉しんだ男どもがゴマンといるようなのでどうでもいいじゃないかという感じもあるけどね。一人称にすこしフラットな部分があってどうかなと思ったけれども、学祭の章ですべてが許される。やはり絶賛か。

 滋賀草津にいる息子が買ったというので読み終わるのを待っていたが、いつまでたっても送ってこないので買ってきて3冊をイッキ読みしてしまった冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』。山田風太郎忍法帳はともかく「伊賀の影丸」か「サイボーグ009」かという進行具合に字で描いたマンガ というにぴったりの視覚描写。頻出する体言止めの類がうっとしいが、悲劇の形は古典的でシェークスピア悲劇みたいだ。3巻目の、眠らされていたウフコックが目覚めてボイルドに向けて放つセリフは既読感が強く、そのセリフが重いんだかスベってるんだか分からないような展開になっている。主要キャラも含めてほとんどのキャラが不安定な造りになっているのは、作者が望んだ効果なのかなあ。

 年末年始は翻訳SF三昧だな。


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