続・サンタロガ・バリア (第56回) |
前回風邪をひいたと思ったのは、実は急性腎盂炎だった。最初の時の身体の震えと高熱は1日でやり過ごしたのだが、1時間ごとにトイレに行くようでヘンだなあとは感じていた。まあそのときは体力が残っていたのだろう。2週間あまりしてまた同じ症状で倒れてしまい、さすがに熱が下がらなくて朦朧状態。車で医者送りになった。肩で息をしながら診察室に行くと検尿して即「腎盂炎だね」との宣告。そうだったのかと安心して寝込んだよ。
体調不良の間何回も聴いていたのはELPオフィシャル・ブートレッグ第4集に入っている「アナザー・フロンティア」。90年代復活ELP「ブラック・ムーン」に入っている「チェンジング・ステイツ」の原曲になったエマーソンのソロの没トラックということだが、要は同じ曲だ。でも演奏はこちらが遙かに素晴らしく、パイプオルガン風のイントロから始まって、強烈なリズムと同時にいかにもエマーソンらしいフレージングがぶっ飛んでいく。金属加工工場の騒音みたいなエンディングが最高。
発症中、昼は普通に仕事しながら毎晩読んでいたのはKATE WILHELMのStoryteller。ウィルヘルムがクラリオン・ワークショップの歴史を回想してヒューゴー賞を受賞した作品ということで、あの作家やこの作家がウィルヘルムの目にどう映っていたのかが分かるぞと期待して読み始めたのだが・・・。全然違いました。これはクラリオン・ワークショップをデーモン・ナイトとウィルヘルムがどうして立ち上げ、毎年毎年学生たちに何を教えてきたのかを延々と綴ったものだった。ウィルヘルムの落ち着いた文章を読むのはいつだって気持ちがいいものだけれど、これだけ実践面での苦労話と良い短編を書く上で「教えられること/学べること」がどのようなものであるかを繰り返し読まされると作家になる気のない人間にはチト辛い。でもミルフォード作家会議の話も出てくるし、デーモン・ナイトとウィルヘルムが住んでいた家のことやワークショップの期間中二人で大学内を散歩する話とかワークショップのはじめにアイスブレーキングとしてやる水鉄砲合戦の話とか興味深く読めるところも多い。それにロビン・スコット・ウィルソンがここまで深く関わっていたことは初めて知った。あの頃のアメリカSFに強い興味がある人にはお勧め。
そのクラリオン・ワークショップに大いに関係したアイリーン・ガン『遺す言葉、その他の短編』は奇想作家短編集といった趣のなかなか良くできた作品集。しかし、ここまでゴテゴテと作家仲間の飾りを付けられると、かえって邪魔だ。個々の作品はかなりの出来栄えで新人作家とすればまず十分なおもしろさを獲得している。意識的に「SFはSFの上に作られる」系を実行しているみたいだ。「中間管理職への出世戦略」はウインドウズXPの大量宣伝に使われた爬虫類サラリーマンを思い出しながら読んでしまった。シニカルに見えてそうでもないところが魅力か。
ワールドコン・アディクト時代の宮城博からアイリーン・ガンの名前を聞いたのは10年以上も前だったような・・・。
体調が悪いので薄いのをと思い、梨木香歩『家守綺譚』を読む。作品のために文体を作るという当たり前といえば当たり前だが、ここではそれが強く意識されている。草花名をタイトルとした10ページに満たない小話が積み重なって世界を作っていて、読み始めはうまいなあと思わせる。ただ、読み進めているとやや技巧にとらわれ過ぎな感じがしてくるのはこの長さでは弱点だろう。明治だか大正だか昭和初期だかわからないようなつくりだし、幻想の質も空とぼけているので楽しく読めるが、世界は狭い。
手元に読みたい本が無くなって頭も朦朧としていたので、つい手を出してしまったライダ・モアハウス『アークエンジェル・プロトコル』。最ッ低。無知無恥無神経。罵詈雑言。なんでこんなものをわざわざ翻訳しなきゃならんのか、さっぱりわからん。こんなものはロマンス文庫の平台に並んでいるべきだ。ああ、不幸だ。貴方も読むがよろしい。
あまりのことに気を静めようと山田風太郎『戦中派焼け跡日記 昭和21年』を読む。24才の山田青年が強い頭をもてあましているような印象。それにしても昭和21年は昭和20年と並んで昭和日本最悪の時代だった。その最悪さを山田青年は敏感に感じ取っているけれどその最悪さから山田青年自身も抜け出られないところに最悪の時代の最悪さが現れている。しかし、小説を書いてしまう山田青年は強い頭をもてあましていたのかなあ。
ようやく体調がもどって読んだのがフィリップ・リーヴ『移動都市』。あのバカアホマヌケ作の後では何を読んでも傑作に見えるということを割り引いてもこれは良作の部類だろう。訳者解説にもあるようにまるでアニメ、それもジャパニメーションじゃないかとおもわせるほど抵抗感なしに読めてしまう。SF的アイデアは全て使い回しだけれど組み合わせに間違いがないから安心して愉しめる。この作品を魅力的にしているのはそれだけではない。ジュヴナイルSFということと作者があまり悲惨さに意を用いていないせいで気にならないが、ヒロインの顔の傷に象徴されているようにこの世界と物語の造りには凄惨なものがある。その上一巻完結のために主人公コンビ以外の使いでのある主要人物を片っ端からかたづけてしまうのには驚いた、皆殺しの詩だよ。ハドリー・チェイスか、お前は。描き方があっさりしているだけでやってることは鬼畜だ。アニメじゃもったいなくて何回でも使い回せそうなキャラがあっという間に退場する。もうすこし厚みを持つまで使い回せばよかったキャラがゴロゴロしていたのになあ。これより面白い続編が書けるとは思えん。