内 輪   第192回

大野万紀


 8月に入って暑い夏が続きます。今月はとんでもなく分厚い大作が目白押しで、暑さと分厚さとでなかなか読み進まない……。通勤電車の中では、持っているだけでも大変です。というわけで、今月も読了した数が少なく、3冊だけとなりました。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『冬至草』 石黒達昌 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 科学、特に生物学や医学の現場をきわめてリアルに描いたSFである。芥川賞候補となった「目を閉じるまでの短い間」のような、ほとんどSFとは呼べない純文学作品にしても、人間の死を相対化するような(ここでの相対化は医師の日常の中に普通に存在するものなので、非日常的な異化作用による、いわゆるSFの相対化とは異なるものなのだが)、作者特有の静かで緻密な科学的、理科的な文体で描かれており、田舎の医院の日常が、宇宙的な広がりある世界(流星雨や、ホワイトホールまでも)と繋がっていくのである。表題作の「冬至草」や「希望ホヤ」といった、ある意味SFの原初的形態――発明・発見物語――に近い作品も、例えば『鼻行類』を思わせるフィクションとノンフィクションの薄い隙間を、むしろノンフィクション寄りに進んでいく、実にハードSFしている作品といえる。まさに科学者作家の小説というべきか。「デ・ムーア事件」や「アプサルティに関する評伝」も同様だが、さらに科学の現場に近いところにおいて、特に後者では実験データ捏造というテーマによって、科学とは何なのかを考えさせられる。そんな硬派な作品が多い中、かなりタッチの違う「月の……」のような幻想小説もあり、ぼくにとってはとても満足度の高い、読み応えのある短編集だった。

『イリアム』 ダン・シモンズ 早川書房
 分厚い、重い、面白い! テラフォームされた火星のオリュンポスにギリシア神話の神々が住み(さらに謎めいた緑のこびとたちも住んでいて無数の巨石像を作っている)、紀元前12世紀の(おそらくは別の地球の)イリアム(トロイア)で戦われている、神々と英雄たち入り乱れての大戦争――ここで人間たちに茶々を入れている神々たちは未来の火星から来た神々だ。そして未来の地球。おそらくはシンギュラリティ以後の世界で、怠惰に生きる飼い殺し状態の人々。その中にも、好奇心に目覚めた一握りの人間たちがいた……。つづいて未来の木星系。ここにはモラヴェックと呼ばれる電脳生物たちが住んでいる。本書の中では彼らこそ(イリアムで神々に観察者として使われている現代アメリカ出身の歴史学者を除けば)もっとも感情移入しやすい、普通のヒーローたちだ。シェイクスピアおたくの人型をしたマーンムートと、プルーストにはまっている甲殻類型のオルフのコンビは、火星で起こっている事態を憂慮したモラヴェックたちの意志で火星へと向かう。こういったパートが並行して進んでいくので、ちょっと退屈になりかけたところで次のはらはらドキドキへと変わり、全体として飽きさせることはない。それでも前半は正直ちょっとしんどいが、後半から物語の流れが大きく動き出し、目が離せなくなる。マーンムートが〈装置〉を起動してから起こることには、もう笑っちゃいました。やるねえ。後編が早く読みたい。ところで、このところ読んだ海外SFでは、シンギュラリティ以後を扱った作品が多い。イギリスのニュー・スペース・オペラというのはたいていそうだし、本書も明言はされていないが、そう思っていいだろう。でもそのわりに、日本では「シンギュラリティ以後」というのはSFのテーマとして定着していないように思う。英米のSF作家がいうほど「シンギュラリティ」というのにリアリティを感じられないせいか、それとも単に知らないだけなのか。

『カズムシティ』 アレステア・レナルズ ハヤカワ文庫
 理科年表かと思う分厚い文庫。前作『啓示空間』も分厚かったけどね。異形の街カズムシティを主な舞台としたSFハードボイルド。実際には、メインのストーリーの背後に、世代宇宙船でのアンチ・ヒーローによる権力闘争の物語や、主人公の用心棒としての過去の悲劇などが並行して語られる。しかし、基本的には一本線でシンプルなストーリーであり、これだけの長さにもかかわらず、わかりやすく飽きずに読むことができる。とにかく、長さのわりに登場人物が少なく、舞台も狭い。本書だけではとてもスペース・オペラとは呼べない世界の狭さだ。『啓示空間』など未来史全体を含めてようやくパースペクティブが広がるのだろう。作者は天文学者だが、ハードSFっぽさは少なく、要するに暗い過去のある男の復讐譚であり、ハードボイルド・ミステリなのである。すごく魅力的なキャラクターが登場するわけでもなく、SF的な意外性があるわけでもなく、アイデンティティの混乱がテーマとして浮上する後半部分においても、それを深く追求するわけでもない(もっとも、だからこそ読みやすいとはいえるのだが)。この長さをそれでも破綻無く面白く読ませるのは大した力だとは思うが、やはり、いってしまえばこれは不必要な長さであり、水増しだといえる。ディックならこの四分の一で書いただろう物語なのである(でも破綻しまくりだったかも知れないけどね)。


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