内 輪 第191回
大野万紀
松島で開かれた今年のSF大会はもう終わってしまいました。SF大会が7月にあるというのは、まだ少し違和感があります。ぼくは行けませんでしたが、なかなか盛況だったようです。THATTA関係者では菊池さんや堺さんが大活躍のようでした。菊池さんは再来年のダイコン7の顧問にも決まっていますね。久々の大阪での大会なので、ぜひ参加したいと思います。
今月はちょっと公私ともに多忙で、あまり本が読めませんでした。読みたい本はどんどん出てきて、たまっていきます。どこかで追いつくのかなあ。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『リングワールドの子供たち』 ラリイ・ニーヴン 早川書房
リングワールドの最新作。これで最後だと思うけど、いや最後にしてほしいなあ。思えば最初の『リングワールド』はすごかった。ワンアイデアではあっても、そのイメージ喚起力は素晴らしいものがあった。その後は要するに蛇足である。すごい舞台背景を使った、ただの冒険小説。いや、ちょっと言い過ぎたかな。その冒険小説は細かなSF的アイデアが満載で、面白く読めることは確かだ。展開も(ちょっと意表を突きすぎ――というか、もしかしたら行き当たりばったり――なところはあるが)スピーディで飽きさせない。でも、舞台の圧倒的な壮大さを生かすものにはなっていないように思う。変な比較だが、リングワールドより遙かに遙かに小さいヴァーリイ『ティーターン』の世界と、物語の中での巨大さはさほど変わらなく思えてしまうのだ。本書でも、リングワールド建設の謎が解かれ、結末ではそんなのありかと思うようなことが起こるのだが、なんだか淡々と描かれているので、それがどうしたの?という雰囲気になってしまう。まあ、これがニーヴンの持ち味でもあるわけで、本来なら熱く語るべきところを軽くいなしてしまうのだ。それに、こうなると好みの問題になってしまうかも知れないが、ルイス・ウーみたいな自分勝手ではた迷惑なタイプの主人公にはどうも感情移入しにくいという面もある。都合の良すぎる展開も、なんせティーラ・ブラウンの遺伝子があるから合理化されてしまうのだけど、ちょっとね。あの登場人物があれだったと唐突にわかるのにもびっくりしました。
『シンギュラリティ・スカイ』 チャールズ・ストロス ハヤカワ文庫
これまた英国SFのニュー・スペースオペラ。ちょっとワイドスクリーン・バロックな感じもあり、モンティ・パイソンっぽいところもある。何しろ、宇宙からの侵略がいきなり携帯電話が雨のように降ってくるところから始まるのだ! 舞台は帝政ロシアを宇宙に持っていったような時代錯誤な植民惑星。そこへ地球の女スパイだの、まるでアメリカ人の若者みたいな(ヤンキーの兄ちゃんみたいな、というと意味が違う)エンジニアだのがからむ。しかし、何といっても奇怪なのはフェスティバルという宇宙からの侵略者の無茶苦茶さ。面白い話を聞かせてくれたら何でも願いをかなえてあげる、という連中で、その結果、侵略された惑星はぐちょぐちょな変容をとげる。まさにクロムヘトロジャンかヘロかという感じ。グロテスクでユーモラスなのだが、こういう、シンギュラリティを越えた世界というのが、実はぼくにはあまりピンとこない。滅茶苦茶で面白いのは確かだけど、イメージはおとぎ話ぽくって、わりと単調。キャラクターはなかなかいい味を出しているが、あまりSFのセンス・オブ・ワンダーは感じられなかった。まあ長編第一作だし、続編に期待かな。
『動物園にできること 「種の方舟」のゆくえ』 川端裕人 文春文庫
今年2月に出た文庫版。動物園ブームなのかな。旭山動物園のことや、レッサーパンダの風太くん。本書にも少し出てくるが、本書の中心はそれ以前の、著者がアメリカ留学中に全米の動物園を回って、動物園の存在意義とその現代的な取り組みについて聞いたルポルタージュである。問題意識ははっきりしている。しかし、よくある結論が先にあるタイプではなく、常に疑問をもち、様々な角度から検討を加え、白か黒かではなく、できるだけ明るい灰色を目指すような、そんな態度に好感が持てる。批判するだけではなく、どうすれば良くなるかを常に考え試行錯誤する。ぼくにはそれがとても理科的な、科学的な態度に思える。印象に残ったのは、象の繁殖に関する話だ。象さんというと可愛いイメージがあるが、雄の象はとても危険な動物なのだそうだ。そしてその雄雌のアンバランスさが動物園での繁殖に様々な問題を生む。すっきりした解決策はない。だが本書のおかげで、今度動物園に行くことがあれば、誰もが今までとは違った視点で動物たちを見ることができるようになると思う。そんな力のある本である。
『ぼくがカンガルーに出会ったころ』 浅倉久志 国書刊行会
待望の浅倉さんのエッセイ集。というか、翻訳書の解説が中心だ。特にディックとヴォネガットが圧巻。だから「懐かしい」というのが第一印象だ。それにしても、ラファティ、ティプトリー、C・スミス、ハリスン、ヴァンス、エフィンジャーと、こう並べてみると、確かにぼくら(特に70年代の)海外SFのファンには浅倉さんの意伝子(ミーム)が流れているのだなと改めて思う。もうひとつは伊藤さんのミームだろうが、昔から浅倉・伊藤とペアで語られることが多かったわけで、この二つは渾然一体としているようだ。浅倉さんの、ユーモラスな語り口と引用の多い解説のスタイルには、ぼくもかなり影響を受けている。ただ、実際これだけ引用が多いと、浅倉さん自身の文章を楽しむという面でちょっと違和感が出てくるのも事実。それぞれの解説としては問題ないのだが、こうやってまとまると、少し気になる。しかし、「ノヴァ・クォータリー」や「新少年」に載った文章まで収録されているのにはびっくり。巻末に素晴らしい翻訳リスト付き。