内 輪   第190回

大野万紀


 十数年使ってきた掃除機を買い換えました。今はサイクロン式がはやっているようですが、昔ながらの紙パック式です。めんどくさがりなので、メンテナンス性や、やっぱり紙パックをポイする方が楽そうに思えたので。古い掃除機と比較する方が間違いかも知れませんが、基本性能も段違いですね。パソコン関係だけじゃなく、こういう家電製品もきっちり進歩しているのだと思いました。
 家族みんなで石川雅之「もやしもん」にかもされています。モネラ界の住人たちのキュートなこと。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『まだ見ぬ冬の悲しみも』 山本弘 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 1月に出たJコレクション。書き下ろし1編を含む6編が収録されている。執筆時期のやや古い作品が多いせいか、SFファンとしての著者の思いがストレートに表現された作品が目立つように思う。書き下ろしの「奥歯のスイッチを入れろ」にしても、マンガに出てくる加速装置をリアルっぽく(SFっぽく)表現したいという、ほとんどそれだけに特化した作品だ。ハードSF的な理屈はあまり真面目にとらない方がいいかもしれない。むしろこのシーンを書きたいという願望充足への熱意とそれを支える荒唐無稽といってもいい(これは誉め言葉)SF的アイデアが作品をドライブするパワーとなっている。「メデューサの呪文」は、言葉が力をもって人を滅ぼすというよくあるアイデアをSF的シチュエーションの中でうまく展開しており、「シュレディンガーのチョコパフェ」も世界の変貌するイメージが印象的だ。もっとも表題作はあまり成功しているようには思えないし、「闇からの衝動」も実在の作家の名前を出して表現するには著者の思いが空回りしているように思えた。

『はじめての〈超ひも理論〉』 川合光 講談社現代新書
 〈超ひも理論〉がそろそろメジャーなものになってきたらしいと、なるべく新しい入門書を読んでみる気になった。「私たちは50回目の宇宙に住んでいる!?」なんて帯にあって、興味をそそられる。しかしまあ、難しいですね。はっきりいってわかりません。本書は入門書で、数式はほとんどなく、図も多い、なのに、その説明がちっとも理解できない。いや、確かに〈SF科学〉のレベルではわかるのだが、でもそこからもう少し物理的な実際に迫りたいと思っても、無理。「簡単な説明や図」と実際の物理学とのギャップの大きさを感じる。そんな例えじゃなくて、もう少し数式を使ってもいいから、少しでも本当のイメージに近づきたいと思うのだが、ここまで来るとやっぱり無理なのだろうか。

『クリスピー物語』 鈴木光司・他 ネスレ文庫
 ネスレ文庫というのは、チョコレートのクリスピーにおまけでついている食玩ならぬ食本?だ。コンビニでわりと手に入りやすいし、話題性もあると思う。ごく薄い文庫サイズの本に、鈴木光司、大石圭、北野勇作、小林泰三、牧野修、森山東の6人が、ショートショートよりは少し長めの短編を載せている。「殻を脱いで生まれ変わる」というのがテーマのようで、北野勇作「妻の誕生」なんてそのまんまだ。小林泰三はロボットものみたいな話だし、牧野修はやっぱりホラーっぽい。まあ、さくさくっと読めて、それほど後味の悪い話もないから、これはお得といえるのではないか。だけど続くのかしら。

『火星縦断』 G・A・ランディス ハヤカワ文庫
 着陸直後に事故にあった火星探検隊が、地球へ帰還するため、火星の赤道から北極までを縦断するサバイバルの話。いや、まったく間違いなくそういう話、ほとんどそれだけの話なのだが、これがすごく面白い。視点人物の違う短い章が次々と切り替わり、登場人物たちの過去と、現在の苦闘が交互に描かれる。これが単調になりがちな火星縦断を、生き生きとしたサスペンスフルな物語としている。作者はNASAの研究者で火星探査の専門家であり、もちろんそういう経歴を生かしたハードSF的な部分もしっかりと描かれている。火星の厳しい環境や、ローバーなどの具体的な描写、そして過去のエピソードの中で描かれる軌道上の力学のリアルなこと――無重力(自由落下!)セックスの描写もすごく――力学的に――リアルなのです。だがそれだけではなく、本書は登場人物たちの過去のドラマの部分がとても面白い。この手のSFの人間ドラマなんて、普通やめときゃいいのにてな感じのダルイものが多いのだが、本書ではそれだけでも短編小説になりそうなくらい読み応えがある。決して派手な物語ではない。生き残るのは誰かというサスペンスはあるにせよ、結末もおよそ予想がつく。ミステリ的な部分もあるが、それも重要ではない。ただひたすら生き残るために協力しつつ、知恵をしぼって走り続け、歩き続ける、そういう話なのだ。地味ではあるが、傑作だといえる。

『ミッションスクール』 田中哲弥 ハヤカワ文庫
 連作短編集。学園が舞台で、美少女が登場して、という共通点はあるが、後は無茶苦茶不条理だということが一番の共通点か。語り口は全く違うが、昔の筒井康隆、昔の横田順彌に似た雰囲気がある。スラプスティック。ハチャメチャ。ギャグといえばギャグなのだが、それよりどこか暗い不条理な夢の(悪夢の)論理が漂っている。これこそが作者の特徴だといえるだろう。懐かしさのある和風な風景や、意味もなくひたすら追いかけられる恐怖。もうひとつの特徴は、美少女に対する何とも気恥ずかしくなるような屈折した妄念。これは「萌え」じゃないよねえ。いや、ポルノ的描写は全くないのだが、まるで中学生の男子みたいな妄想が漂っているのだ。女性が読むと、もしかすると気持ち悪いと思われるかも知れないが、これはこれで面白く読めた。ふわふわとした地に足の着いていないような浮遊感。誰とは言いませんが、ぐちゃぐちゃドロドロげろげろな描写を得意とする作家がおりますが、田中哲弥はそういうのと違う。さわやか、というのではないだろうけれど、人が死のうが爆発しようが巨大化した校長が暴れようが、全てどこか夢の中の世界の出来事のようで、語り口の軽さとも相まって、生々しさがない。そうか、吾妻ひでおのふわふわ感にも近いなあ。しかし、この全く先の読めない、何が起こるかわからないストーリーの不条理さは、もはや吾妻ひでおを越えているかも。

『ベータ2のバラッド』 サミュエル・R・ディレイニー・他 国書刊行会
 今年がいったい何年だかわからなくなる国書刊行会のアンソロジー。今度は若島正編集のニュー・ウェーヴSF集だ。ディレイニー「ベータ2のバラッド」を始め、ベイリー「四色問題」、ロバーツ「降誕祭前夜」、エリスン「プリティ・マギー・マネーアイズ」、カウパー「ハートフォード手稿」、ウエルズ「時の探検家たち」を収録している。ウェルズはカウパーの補完というか、ボーナストラックなのだが、その他はぼくら70年代に海外SFを読みあさっていた者には「ゲッと叫ぶ」タイトルが並んでいる。ニュー・ウェーヴSF集というが、ニュー・ウェーヴらしくわけがわからないのは「四色問題」くらいで、他はかまえて読む必要もない、素直な話ばかりだ。「ベータ2」はやっぱりいいね。でも半分くらいは懐かしさのバイアスがかかっているかも知れない。ロバーツはドイツ語だらけで原書で読むのが辛かった話。実にしんみりと暗い改変歴史小説である。エリスンは――まあいいや。カウパーは「タイムマシン」がノンフィクションだったとするこれも一種の歴史小説で、実在の人物も登場する味わいのある小説。いずれも今読んでも時代を感じさせることはなく、そんなに古びてはいない。本書全体としてもSFが多様に花開こうとしていたあの頃の気分を醸し出している。

『アイの物語』 山本弘 角川書店
 今月は山本弘をもう一冊。ロボットや人工知能と人間の関係を描いた7つの独立した中短編を、ひとつの枠物語で包み込んで、強いメッセージを語った、ある種懐かしさのある本格SF。ロボットやAIと人間の関係といったが、枠物語によってまとめられることにより、テーマはほぼ人間の愚かさとそれを越える物語の可能性ということに絞られている。つい気恥ずかしくなってしまいそうな、こんな理想主義的なメッセージを正面から堂々と語れるのも、SFというものの特性の一つだろう。書き下ろしの「詩音が来た日」は介護ロボットという今日的なリアリティのあるテーマと、人間とは何かを問う枠物語のメッセージがうまく溶け合った傑作で、菅浩江『アイ・アム』と共通する物語を、また違った視点から描いている。テーマとは別に本書で強く感じられるのは、作者の並々ならぬSFへの愛である。単にSF(やアニメやマンガ)からのマニアックな引用が多いということではなく、これらの物語が、大きなSFの伝統の上に成り立っており、その背後には多くのSF作品が、SF作家たちの思索があるということだ。ロボットの自意識やAIの実現方についてはあまりハードな追求はなく、SFとしては常識的なレベルであるが、そこからゲームやヴァーチャルリアリティや、総じてフィクションとリアルワールドとの関係について(作者はレイヤーの違いとして扱っている)今日的な問題意識をストレートに真正面に問いただそうとするのが、『神は沈黙せず』とも共通する作者の主張だろう。だが現実と仮想現実に違いはないという観点と、ヴァーチャルでの暴力とリアルの暴力は違うという観点の矛盾は解決しておらず、それにからんでか、本書ではいわゆる18禁な問題が棚上げされているのも気にかかる。ところで、本書の主要人物(やロボットやAI)は何故かみな力強い意志を持った女性であり、出てくる男はこれまた典型的オタクタイプばかりというのはどういうわけかしら。


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