2年ぶりに参加するSFセミナー。今年はいつもの全電通労働会館ホールとふたき旅館のコースなので、迷う心配はない。今年は浅倉さんのパネルがあるので、いつもより早めに出かける。会場に着くと、さんぽさんが5歳児の相手をして振り回されている。元気な5歳児はもう大変だ。十数年前をふと思い出してしまう。
午前10時すぎだというのに、会場にはすでに大勢の人が集まっている。どうやら浅倉さんのパネルを見たいという人が多かったらしい。後で聞いたところだと、浅倉さんの話を聞きに来たという女子高校生がいて、受付は盛り上がっていたそうだ。ロビーには出版社とファンジンの売り場があり、おなじみの人たちが集まっていたが、金森達さんの原画が売られていて驚いた。三村美衣がSFMに載ったデーモン・ナイト「異星人ステーション」の挿絵の原画を買っていた。浅倉さん訳なので、サインをもらうんだそうな。
超SF翻訳家対談 浅倉久志・大森望 司会:高橋良平
そして最初が浅倉久志さんと大森望さん、高橋良平さんのパネル。
タイトルは「超SF翻訳家対談」となっているが、ほとんどが浅倉さんのお話をうかがうことに終始した。浅倉さんは6月に国書刊行会から初エッセイ集『ぼくがカンガルーに出会ったころ』を出される予定なのだ。
就職して住んでおられた浜松での伊藤典夫さんとの出会いのお話は知っていたけど、何度聞いても面白い。宇宙塵のお便り欄に舌鋒鋭いお便りが載っていて、それが浜松市・伊藤典夫。会ってみると高校生だったのでびっくり。
1962年にポールの短編「蟻か人か」でSFMデビュー。16年勤めた織物会社を退職し66年に専業に。会社から退職は1年間待って欲しいと言われて1年待ったが、その間に訳したい本がいっぱい訳されてしまった。67年に横浜へ引っ越し。当時のハヤカワでは訳文はいきなり直されたりしたが、原文とのチェックはほとんどされなかったそうです。
初めて自分で持ち込んだ企画はハリスンの『宇宙兵ブルース』。クライトンの『アンドロメダ病原体』が売れて家のローンが楽になったか。
東海SFの会のファンジン「ルナティック」で岡部宏之さんと知り合い、学校の先生だった岡部さんを引き込んでSFMへ紹介。万博を機会に矢野徹さんと知り合い、1年後にジュディス・メリルと知り合う。そのあたりから翻訳勉強会が始まる。ディックもまだそのころはあまり売れていなかった時代です。当時は月産250枚くらい。毎日コンスタントに4〜5ページ訳すことをずっと続けているそうです。
ヴォネガットは伊藤さんが『猫のゆりかご』を訳し、伊藤さんが特に好きではなかった『タイタンの妖女』が回ってきた。伊藤さんが訳したかったのは『スローターハウス5』だったそうだ。
薄くて易しくてよく売れる本がいいんだけど、でもそんなのはないですね、としみじみおっしゃる。これから国書刊行会でユーモアSFアンソロジイを出されるそうです。ジョン・スラデック、ハーヴィー・ジェイコブズ、ヘンリー・カットナーなど。
サラリーマン時代の経験から、納期を守る意識が染みついていて、締切を遅らせたことはないそうです。締切の1ヶ月前に「実はもう出来てますけど、恥ずかしいから黙っていました」と言ったとか。この話に、会場にいた翻訳家たちは下を向いてしまう。でも、いかにも浅倉さんらしいお話だなあ。
会場から森下一仁さんが質問。C・スミスについては、自分でやりたいものはもうやってしまった。実はあんまり自分にあわない作家なんじゃないかと思っているとのこと。英語を日本語に訳す時の秘訣や問題についてという質問では、よくわからない。でも英語では男女が同じしゃべり方をするので、パーティの場面で短い会話がどんどん出てくる時など、話し手が男か女かわからない。そこは適当に訳し分けるようにしています、とのことでした。
お昼は大森望さん一家、古沢さん、たこいさんらと近所のカレー専門店でカレー。色々話がはずむ内に帰りが遅くなって午後の最初の部「異色作家を語る〜国内作家編〜」には間に合わず。ロビーでうろうろとSFゴロをして過ごしていた。牧さん、ごめんね。
ウブカタ・スクランブル 冲方丁・柴田維 司会:三村美衣
午後2つ目は冲方丁さんのパネル。
「文芸アシスタント制度」というものを立ち上げたというので、そのあたりの話が中心だった。マンガ家のアシスタントのように、小説やアニメ脚本を、師匠と弟子というか、先生とアシスタントというか、分業で作業し、そのなかから新たな人材育成も図るという、トマス・ディッシュが聞いたら卒倒しそうな話だけれど、当然あってしかるべきものだという気はした。翻訳なら下訳者を使うというのも当たり前にあるし、ディレクターがきっちり押さえるなら小説でも可能だと思う。でも、ディッシュのいう「nページのフィクションウェア開発」というのにどんどん近づいていくわけだなあ。
ぼくの本業の方では、当然プロジェクトチームを作り、チームマネジメントで物事を進めていくというのが当たり前だが(というかたいていの仕事ってそうじゃないのかな)、ただ、小説の創作といった場合、それと同じモデルではうまくいかないような気がする。マンガやアニメや映画のモデルが近いのかも知れないし、昔の職人さんの徒弟制度が近いのかも知れない。
そうやってメディアミックスのプロジェクト(「シュヴァリエ」)を実際に進めつつ、さらにリンクした新作2つ「オイレンシュピーゲル」と「スプライトシュピーゲル」を同時進行させたり、『マルドゥック・スクランブル』の続編をついに新幹線の中で書き終えたりと、ものすごい仕事ぶりを披露していた。いや、まあ体には気をつけてくださいね。
ワン・ヒット・ワンダー・オブ・SF ジーン・ヴァン・トロイヤー、中村融、東茅子、小川隆
午後の最後は小川隆さんのワールドコン予行演習なバイリンガル企画で、ジーン・ヴァン・トロイヤーをゲストに「一発屋 One Hit Wonder」の話。というか、実際には「SFは短編だ!」という話だった。
One Hit WonderはPop Musicでよく言われる言葉だが、短編小説ではSF以外にはあまりないように思える。代表的なのがゴドウィン「冷たい方程式」。ここでトロイヤーさんはリチャード・マッケナの「ケーシー・アゴニステス」を挙げ、中村融さんはワインボウム「火星のオデッセイ」、シャーレッド「努力」、ネヴィル「ベティアンよ帰れ」、コグスウェル「壁の中」、マッスン「旅人の憩い」、ウォルドロップ「醜いニワトリ」、ロングイヤー「わが友なる敵」を挙げる。またゾリーンの「宇宙の熱死」やヤングの「たんぽぽ娘」も近いものとして挙げられた。東茅子さんはこのままだとテッド・チャンがそうなってしまうかも、と嘆息。
トロイヤーはさらにトム・リーミー「サンディエゴ・ライトフット・スー」を挙げて、作者が亡くなってしまったからOne
Hitになってしまった例とする。ぼくはアーンダールの「広くてすてきな宇宙じゃないか」を思ったが、小川さんが後からちゃんと言及していた。
作者の問題以外に、SF短編特有の問題があるのでは、と話が発展する。アイデアがツボにはまった一発が、印象が強烈でそうなるのではとか。アイデアだけでなくエモーショナルな感動が残る(センス・オブ・ワンダー?)ものもある。「広くてすてきな宇宙じゃないか」もそうだし、「アルジャーノンに花束を」もアイデアを日記形式の枠に収めてうまくまとめた例だといえる。このあたりになると、ほとんど中村さんの独壇場だ。
トロイヤーによれば、短編SFはアイデアをストレートに描く。それで一発屋になりやすいが、同じアイデアを使っても、ギブスンはテクニックによって見せ方を変えながら描いている。海外でも一般誌に小説の短編が載ることはなくなってきているのだが、その中でSF界だけは短編に独特の美意識をもって思い入れを残すジャンルである。
トロイヤーはさらにSFのルーツは短編にありという。SFやファンタジイはトールテールやベッドタイムストーリーにそのルーツがあり、その伝統が廃れていない分野である。中村融さんは小松左京の言葉をひいて、人間や社会についての細々としたことをきちんと書くと長くなりがちなので、そういうのをすっとばしてテーマに集中すると短編になると語る。本格ミステリも同じ構造では、と会場から聞かれ、同じ論理ではあるが、本格ミステリはつきつめるとパズルになるのではとの答え。
関連して、トロイヤーさんの語った次のような言葉が印象に残った。小説の本質はlieである。しかしSF作家はlieではなく、さらにおおきな嘘(whapper)を描く。短編という小さな入れ物に大きな嘘が入っているのが効果的なのではないだろうか。それが一発(One
Hit)でもいつまでも人々の心にワンダーを残すのではないだろうか。
合宿企画
オープニング | 浅倉さんを囲む部屋 | SF映画の部屋 |
まだ5時前で夕食には早いといいつつ、小浜夫妻、牧眞司さん、白石朗さんらとデニーズで夕食。かつおのたたき丼というのを食べた。なぜか税金の真面目な話で盛り上がる。
ふたき旅館での合宿企画は、まずは「浅倉久志を囲む部屋」へ。超満員になった。白石朗さん、水鏡子、大森望さん、小浜徹也さん、高橋良平さん、国書の楢本さんらと浅倉さんのお話を聞く。大阪時代の話や、早川の編集者の話などなど。ぼくが疑問だった、浅倉さんの訳文(特に会話体)の若々しさについて、若い子の会話は娘さん二人の会話を聞いて参考にしているとか。なるほどねえ。
「SF映画の部屋」では、創元から出た『地球の静止する日 SF映画原作傑作選』に出てくる「月世界探検」、「キルドーザー」、「それは宇宙からやって来た」、「性本能と水爆戦」のダイジェストを鑑賞。やっぱり「月世界探検」が面白い。
大広間で水鏡子や柳下の話に混ざったりした後、レム追悼の部屋をちょっと覗いて、その後小谷真理さんがアメリカのナショナルミュージアムからダビングしてもらってきたというアリス・シェルドン(後のジェイムズ・ティプトリーJr.)5歳のアフリカ探検の映画を見る。1920年代の貴重な象狩りやゴリラ狩りの映像なのだが、一瞬、幼いアリスが映る。その瞬間、その場にいた女性たちが、「アリスたん、萌え〜」といっせいに叫ぶのにはちょっと引く。
その後は「本とひみつ」を覗いたり、大広間でだべったりした後、3時頃には寝る。水鏡子みたいにコンベンション・ハイは続かないよ。
朝はわりと早く7時半には起き、大広間でごろごろ。あっさりとしたクロージングの後、解散。
スタッフのみなさん、今年も大変ごくろうさんでした。楽しい会をありがとうございました。
これがアリスたん萌え〜だ! |