内 輪 第187回
大野万紀
THATTAの例会後の食事にずっと行っていた曾根崎の中華料理店「桃花園」が3月で閉店してしまいました。THATTAの例会は、梅田の喫茶店「トレビ」に集まって、旭屋で本を見て、それから「桃花園」で食事して解散というパターンがもう何年も続いていたので、これからどうしようかと考え中。まあ、適当に決まるのでしょうが。「トレビ」もビルの建て替えで、近々使えなくなるという話があり、こっちの方が大きな問題です。大阪でも東京でもSFファンの使う喫茶店というのは大体決まっていて、長い間使っていた店が使えなくなると、人の流れが変わったり、色々と変化が出てくるわけです。もう4月。SFファンに限らず、どこの世界でも変化の季節です。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『デス博士の島その他の物語』 ジーン・ウルフ 国書刊行会
「デス博士の島その他の物語」「アイランド博士の死」「死の島の博士」(そして今回は「島の博士の死」というおまけつき。このおまけもいい感じだ)という順列組み合わせ3部作に、「アメリカの七夜」、「眼閃の奇蹟」を加えた傑作短編集。本当にどれも傑作だ。物語と現実の相互乗り入れをSFやファンタジーとして描いた作品だが、その描き方がにくい。今読むとわりとテーマはあからさまなのだが、それがあざとくなく、キャラクターや情景の中にすんなりと溶け込んでいる。ぼくが一番好きなのは「アイランド博士の死」(何と言ってもストレートに本格SFだ)だが、「死の島の博士」もそうだし、何より「眼閃の奇蹟」の現実とファンタジーの区別のない世界がすばらしい。ただし「眼閃の奇蹟」は中で語られるSF的なアイデアが物語の情景や雰囲気とそぐわない気がするのが惜しい。「島シリーズ」と違って、この物語にSF的説明は不要だ。少年が具現しているのはSF的「超能力」とは次元の異なるものなのだ。
『レフト・アローン』 藤崎慎吾 ハヤカワ文庫
書き下ろし1編を含む短編集。作者の長編は本格SF(理系SF?)とオカルト(文系SF?)が水と油のように齟齬をきたしている感覚があって、もうひとつ納得できないのだが、短編は違う。どの作品も面白く、良質な本格SFとなっている。書き下ろしの「星窪」にしても、これが『ハイドゥナン』に出てきた〈石の記憶〉をモチーフにした、最も長編のテイストに近い(つまりトンデモ感の漂う)作品であるが、芸術家と理科教師という二人の人物に語らせることによって、オカルト的な言説をかろうじてSF的「らしさ」の範疇に収めることに成功している。他の作品はむしろ本格SFの領域にどっぷりとはまっていて、作者はこの手の小説が書ける今の日本では貴重な一人だと思える。特に「猫の天使」、「コスモノーティス」がいい。(「星窪」を除けば)どの作品も昔風にいうサイボーグものである。作者は光瀬龍や平井和正が得意とした日本風なサイボーグものに、現代のネットワークやヴァーチャルリアリティの広がりを取り入れたともいえる。
『ページをめくれば』 ゼナ・ヘンダースン 河出書房新社
日本オリジナルの短編集。〈ピープル〉シリーズで有名なヘンダースンだが、本書でも1篇が収録されている。他はホラーっぽいものや、学校もの、ちょっと珍しい釣りファンタジーなんてのもある。ただ、バラエティ豊かというよりは、やはりどれも同じ雰囲気のファンタジーになってしまうのだなあという感想。今読むとどうしても素朴すぎるように感じてしまう。もちろん素朴さというのは悪いことではなくて、とりわけ学校ものなど、素直に感情移入することができる。ハッピーエンドとはいえない作品も多いのだが、それでもこれが人生の真実だなと(ひねくれずに)納得させられるのだ。いってみれば人生にはささやかな魔法が存在する。しかしその魔法は結局ささやかなものに過ぎないのだということだ。異星人だろうが超能力者だろうが同じこと。おそらくは様々な人生を見つめてきた女教師の、希望と諦観の混ざった人生観みたいなものだろう。「おいで、ワゴン!」のような初期作品から、比較的新しい「鏡にて見るごとく――おぼろげに」まで、それは変わっていない。これと「ページをめくれば」が集中のベストだといえる。
『プルトニウム・ブロンド』 ジョン・ザコーアー&ローレンス・ゲイネム ハヤカワ文庫SF
プルトニウム・ブロンドというのは、地球最後の私立探偵ザカリー・ジョンソンが捜索を依頼された、恐ろしく危険なブロンド美女の姿をしたアンドロイドだ。ザカリーは脳内に同居している人工知能の相棒ハーブ(こいつがウッドハウスの執事を気取るうっとおしい奴)と共に、探偵の直感を駆使して(というかほとんど行き当たりばったりに)捜査を開始するが、たちまち命がいくつあっても足りないような危険に見舞われる。というわけで、ハードボイルドSFのパロディのような、スラプスティック・コメディ作品だ。まあ途中までは面白く読めたのだけど、いかんせん、長い。この三分の一くらいなら楽しいユーモアSFとして満足できただろう。というのも、本書のちょっと外したギャグのセンスが、こっちには単にひねりが足りないと感じられてしまうのだ。訳者はとても努力していて、翻訳はよくできていると思うが、え、それだけ? となってしまう。その微妙に外したところがいいんだと言われてもねえ。まあこっちがコテコテの関西ギャグにしか反応しない頭になっているのかも知れないが。
『脳髄工場』 小林泰三 角川ホラー文庫
書き下ろし中編「脳髄工場」を含む短編集。ホラーのアンソロジーに収録された作品と、これはちょっと珍しい、会社の社内報に掲載されたらしいショート・ショート5編が収録されている。さて表題作だが、誰もが人工脳髄を埋め込んで「健全な」意識を持つようになった社会。ただ少数派とはいえ、中には脳髄を埋めていない者もいる。主人公の少年もそんな一人で、はじめは何となくそうしていたのだが、そのうち人工脳髄に支配されない「自由意志」にこだわるようになり、脳髄を装着している周囲の人間に違和感を覚えるようになる。もちろん、イーガンと同様に、人間の意識や「自由意志」といったものをテーマにしているわけだが、それはもはや当たり前の領域に達し、ここではむしろ疎外や人を信じることといった、ごく日常的な部分に重心が置かれている。実際、強制でもないのに他人と同じ「普通」への圧力とか、相手も好意から言っているとわかる善意の怖さとか、このような特異なシチュエーションでなくても日常的にあり得るものである。意識や心の不確定性というテーマは、「友達」や「綺麗な子」の方によりストレートに、衝撃的に扱われている。「脳髄工場」では、それよりもむしろ後半の「脳髄工場」へと向かう悪夢のような幻想的なイメージが印象的だ。SF的で日常性の強い前半部と、この後半部には少なからずギャップがあるのだが、どこかでギヤが切り替わっている。北野勇作とも通じる、このどこか懐かしさのある見せ物小屋的な恐怖の風景にはインパクトがある。