続・サンタロガ・バリア  (第47回)
津田文夫


 毎年時間が早くなるのはしょうがないが、何とかならんのかなこの感覚は。と、正月があっという間に過ぎて困っているのはいつものことだな。今年もよろしく。

 不人気で上映打ち切りになりそうなので『キングコング』を見てきた。前知識なしで見たのでジャック・ブラックの顔を見たときは、へ?っと思ったね。あのアクの強い顔は画面の中で浮いて見える。33年版を白黒テレビ見たのはまだ東京にいた頃だったような気が。ということは40年近く前か。あれは子供ごころに深く染みこんだものだ。今回のリメイクはファンタジーとしてみればほぼ完成されていると思うけれど、ドクロ島の住民なんかはどうしても無理があるな、お笑いにならない。1933年のニューヨークは見るに値するが、コングの手にあるヒロインはロングでのシーンでは人形みたいだ。 コングの雄叫び場面は毎回涙を誘われる。現代の男の子にはほとんど理解不能の雄姿だろう。

 メンバー交代した東京事変のセカンド『ADULT-pour femme 』を発売当日に入手して聴いた。ピンとこなかった。が、3日続けて毎晩聴いたら割と見えてきた。テレビの出演番組も見たし(対談がヘンな感じだった)。バンドとしては1枚目ほどロックな感じが無くて技術者集団みたいな印象。これはバラエティに富んだ曲想の所為も大きいんだが。アダルトの意味は前作『教育』の青春路線じゃないということか。はったりが無い分何回も聴くのには良いかも。「手紙」が前作の「夢のあと」を思わせる。曲のタイトルをシンメトリにして並べるのはいつまで続くんだろ。

 東京事変はJポップもレコード屋で時々まとめて視聴するという村上春樹の耳には届かないもののひとつだろうな。『東京奇譚』を読む前に『意味がなければスイングはない』を読んでしまう。最初の「シダー・ウォルトン」を読んであまりの上手さに圧倒されてしまった。いやあ、相変わらずスゴい芸。おそらくジャズの表舞台で多くを語られることはまずなかっただろうシダー・ウォルトンを肴にここまで熱く語れることに感心してしまう。
 高校生の時に初めて買ったジャズ・レコードに、もうタイトルを忘れたアート・ファーマーの作品があった。いまでも覚えているのはグローフェのセミ・クラシック組曲「大峡谷」の1曲「山道を行く」がその中にはいっていて、シダー・ウォルトンがサイドマンとしてピアノを弾いていた。その後聴いたマイルス・ディヴィスのところのピアニストに比べると堅実だけどとても地味なピアノだったという印象が残っている。以下、同工異曲とは思いつつ楽しく読み終わってしまった。スガシカオを買いたいとは思わなかったけれど、この本に影響されて、クリフォード・カーゾンの「シューベルト:ピアノ・ソナタ17番」とスタン・ゲッツの「アット・ザ・シュライン」それにクープランの「諸国の人々」を買ってしまった。クープランは村上春樹が「プーランク」のところでクラシック・ファンの誰もが使う語呂合わせをやっていたので買ってみた。ヴィヴァルディと似たような感じで
プーランクとはほぼナンの関係もありません。『東京奇譚』は次回まわし。

 エドモンド・ハミルトン『眠れる人の島』は古色蒼然たるパルプ・ファンタジー中短編集。この本と『反対進化』を合わせると河出の『フェッセンデン宇宙』なるかというとやはり「プロ」みたいなものが抜けてしまうのでハミルトンもなかなか全体は捉えにくい。今回収録のファンタジーではやはり表題作が名品だけれど、ちょっとした妖怪博士ものの「邪眼の家」やハリウッドの秘境もの特撮映画みたいなノヴェラ「生命の湖」が面白い。「生命の湖」のヒロインみたいなのをツンデレというのか。

 山田正紀『マヂック・オペラ』は検閲図書館三部作の第2作という触れ込み。2.26事件に取材した作品は色々あるんだろうが、山田正紀はいかにも作り物めいた設定を使って変テコな方向から事件を開いて見せている。作品の手つきはいかにも山田正紀で前作『ミステリ・オペラ』が面白かった人間にはこれも面白く読めた。『神狩り2』みたいに肩に力が入っていない分読みやすく物語の推進力も強い。山田正紀節というものがあるとすれば、ここにはそれがある。

 昨年の積み残しのひとつが柾悟郎『さまよえる天使』。『シャドウ・オーキッド』は読み逃したので、柾作品を読むのは久しぶり。設定自体にやや疑問が生じるが、巻頭の「ブレスレス」から巻末の「ブエノスアイレスで私は死のう」まで連作短編集としての質はとても高い。1作1作が印象に残るシーンや感触を備えているという点では称賛に値する作品集だろう。昨年のベストのひとつに数えても良い。しかし問題がある。どの1作もまるで長編の一部のような感触がぬけないままなんとなく残念なモヤモヤした気持ちがあとを引くのだ。この中のどれからでも長編が書けそうに思える。そう思わせるところがこの作品の凄さか。

 25年前に読んだときに何を思ったか疾うに忘れていたのでレム・コレクション『天の声/枯草熱』を買ってきて『天の声』を再読。『枯草熱』は今でも覚えているのでパス。確かに中身はみんなが云っているとおりのものだった。改めて読んで気がついたのは、これってアメリカでの話だったのかということと女が一人も出てこないんだなあということだった。舞台背景もキューバ危機から間もない時代の冷戦時代を反映したやや古めかしくくすんだ光が感じられる。アメリカのSF作家がこんな話を思いついたとしてもどこも出版してくれなかったろうなといまになって思う。アメリカSFがレムの要求するレベルに達していなかったのは確かだったとしても『天の声』じゃプロとして稼げないことも確かだったろう。ああ、だからディックは稼げなかったのか?

 ようやく『ファウストVol.6 SIDE A』『ファウストVol.6 SIDE B』を読み終わる。小説だけで1000ページくらいあるのかな。
 総力特集”新伝綺”とやらでサイドABに分載された長中編3作品から読んだ。
 奈須きのこ「DDD HandS」は前作の前日談。主人公2人がどうしてコンビを組んだかという話だが、主筋はまったく違う方向で進む。キャラはみんな超常的な連中で人称トリックも入ってテンヤワンヤ。ピリピリした感覚はよくでている。
 竜騎士07「怪談と踊ろう、そしてあなたは階段で踊る」は中学生モノ。いたずらで作った呪いがエスカレートして… と、よくあるような設定だが、ひとつひとつ段階を踏んで話を進めていくところは良くできている。一件落着して最後はおなじみの凶悪なファンタジーが顔を出すんだけれど、これは蛇足だった。
 錦メガネ「コンバージョン・ブルー」は小説になりそこなっている。狂言回しの女の子達がかわいそうだ。
 以下、サイドAの短編。
 上遠野浩平「すずめばちがサヨナラというとき」は戦闘用合成人間シリーズ?の続き。兵器少女の戦いを描く一編だけれど、これだけ語られるものが現実離れしているのに妙に納得してしまう言葉の魔術が働く。
 乙一「窓に吹く風」は時間(SF)ファンタジー。どこからともなく風に飛ばされてきた未来の新聞に載った自分の運命…ということでSF的な説明はいっさいなく話は進み、最後に運命は変わってしまうのだがハッピーでもアンハッピーでもなくなんとなく寂しい結末。上手い作品。
 佐藤友哉「憂い男」「愛らしき目もと口は緑」「レディ」。いつもの鏡家サーガの掌編3つ。サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」へのオマージュという謳い文句がついているけれど、それはともかく今回は3編とも読んでてたのしかった。
 西尾維新「新本格魔法少女りすか 部外者以外立入禁止!!」と「零崎軋識の人間ノック2竹取山決戦」はどちらも分載。「りすか」は密室で魔法を封じられ大ピンチ。キズタカの頭で切り抜けるところをりすかの命を懸けた説得と行動で救われるが…という話。「零崎」は零崎一族3人と相手方3人とプラス・アルファがそれぞれ勝負する話。西尾維新は記号もしくは定義によってキャラクターを決めそれによって話も動かしていくような印象が抜けない。
 以下サイドBの中短編。
 浦賀和宏「リゲル」”獣”シリーズ最終作というものの、これまでの作品が”獣”に重点があったわけではない。しかし今回は”獣”の活躍で人類皆殺し話になっている。話の中身は日本赤軍派事件などをモデルに使い古されたディスカッションがほとんど。
 北山猛邦「糸の森の姫君」も女子高生探偵シリーズ。糸が張り巡らされたお屋敷というのが出てきた時点で読む気半減だったが、最後まで読むと変な方向に行っていることが分かる。男が描く話とも思えない。
 舞城王太郎「めくるめく」は男の子が魔法少女となって?助けを必要?としている人の所へ派遣される話って、ホントか? 何がなんだかよく分からないが、力と力がぶつかり合っているような印象。
 ああ疲れた。これだけ読んでやはり佐藤友哉が一番読みやすい作家であると確認。あとは上遠野と西尾維新そして保留付きだけど舞城。新伝綺とやらでは奈須きのこが頭ひとつ抜けている。『ファウスト』を読むのはとりあえず今回限りとしよう。


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