みだれめも 第185回

水鏡子


作品 著者 出版社 総合 作品性 興味度 義務感
『啓示空間』 アリステア・レナルズ ハヤカワ文庫 ★★★☆
『このミステリーがすごい! 2006年版』   宝島社 ★★
『このライトノベルがすごい! 2006年版』   宝島社 ★☆
『この恋愛小説がすごい! 2006年版』   宝島社 ★★☆
『日本一怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー 2006    ロッキング・オン ★★☆
『おすすめ文庫王国 2005』   本の雑誌社 ★★
『そんなに読んで、どうするの?』 豊崎由美 アスペクト ★★★☆
『戦中派復興日記』 山田風太郎 小学館 ★★☆
『戦時下のおたく』 ササキバラ・ゴウ編 角川書店 ★★★
『萌えの研究』 大泉実成 講談社 ★★
『スラムオンライン』 桜坂洋 ハヤカワ文庫 ★★
『パンドラの檻』 茅田砂胡 中公Cノベルズ ★★☆
『マリア様がみてる 未来の白地図』 今野緒雪 コバルト文庫 ★★☆

 2005年の最後を締めくくるはずが、あけましておめでとうございますになりました。それもずいぶんおくれての。ごめんなさい。

 設定はよく練り込まれているし、キャラも立っている。細部の小ネタもかっこいい。アクションもかっこいいし、映像喚起力にも秀でていて、展開もめりはりがきいている。だからといって見慣れた駒組みの「導入篇」パート部分だけでこの長さはないだろう、というのが『啓示空間』への偽らざる反応。クーリの殺し屋仕事とか、シルベステの二度のクーデター騒ぎとか端折れるものはいっぱいある。世間的には一応驚天動地であるけれど、そこそこSFを読み慣れてれば、じつは「またこれか」でもあるメイン・アイデアについては、解説があえて先行作品の名前も含めて伏せているので、とりあえずここでもぼかすことにするけれど、過去の同系列の「導入篇」と較べても、より魅力的には磨きあげてある。サジャキの正体なんかうまいアイデアだと感心した。でも、なんでサンスティーラーはシルベステにしか寄生しなかったのでしょうか。パターン・ジャグラーに潜った連中みんなに、とくに船長やサジャキに寄生してたらこんなにまわりくどいことをする必要はなかったわけだから。
 次の本も読んでみたくなる才能ではあるけれど、堺三保によると、まだまだどんどん本が太くなるという。読みたくないかも。

 買い込む年間回顧本がやたらと増えている。そのぶん興味が分散したのか、読んでて、もひとつつまらない。いや、単純に今年の出版シーンがぼくにとってつまらなかったというだけのことかもしれない。あいかわらず充実を感じる偏在する日本SF状況があまり拾いあげられている印象がないからかもしれない。『このミス』の上位陣にこんなに興味がもてない年もひさしぶり。「ミステリ冬の時代」といったフレーズとはあまり関係ないと思う。
 評判作、実力作がほとんどシリーズものであるというジャンル的宿命を抱えるライトノベル。その弱点がそろそろ目立ち始めた。年間回顧本といっても大半がなじみの話に占められる。そうかと思うと去年までの上位シリーズが急落して、名前のあがらなかった長く続いているシリーズものが突然浮上してくるといった不安定さも目につく。十年一日同じ本が上位を占めつづけるのとどっちがいいのか微妙なところ。いずれにしても、ほんの2年くらいで10冊近いガイド本がでたことになり、さすがに読んでて飽きがきた。ライトノベルに対してではないよ。ガイド本に対しての話。一方初登場の『この恋愛小説』はこわいものみたさの覗き込み。もっとも中身は、質の高い小説巧者の揃い踏みで、各種回顧本のベスト作品を読み較べたら、たぶんいちばん芳醇な読書時間を得られそう。読まないけど。『日本一怖い』は、昨年号より全般的にパワーアップ。今年の回顧本ではいちばん面白かった。
 そうか、この本をいちばん最初に読んだから、他の回顧本がつまらなかったのかもしれない。
 『文庫王国』でちょっと驚いたのは表紙。ジャンル別ベスト10という見出しで並んでいる順番が、ミステリーを差し置いて「SF・大森望」が筆頭にあがっている。

 最近本を読んでない。「読書の快楽」は身に沁みてわかっているつもりだけれど、安易な本にかまけてしまって、りっぱな本を読む基礎体力が削れてしまっている昨今。豊崎由美『そんなに読んで、どうするの?』はそんな自分の「ほんとうは読んでおくべき本」に対する代償行為を満たしてくれる。極端な話をすれば、中身を読まなくたってかまわない。目次を見て、そこに並んだ作家たちで編み上げられるタペストリーを感得する。それだけでも値打ちは充分ある。手にする本としては、『メッタ斬り』『誤読』に続く3冊目になるけれど、もしも本書が著者との初顔合わせであったとしても、書評家としての信頼は目次だけで充分確立されてしまう。あとは、同じ作家の作品をどうくりかえさず書評できるか。読者の異なる媒体でどう使い分けながら文章を紡いでいくか、作家単位で固めてあるのでそんなことも楽しみながら文章芸を味わった。目次に並ぶ作品数は239作品。ただし、基本的には作家読みの書評家なので、個々の書評で作家の過去の作品も取り上げるから、言及した作品数は500を越えている。索引が欲しかったかな。239篇中読んでる本はたった32篇しかない。これは正直なさけない。持ってる本は75冊。うーむ。とりあえず海外篇の作品は、古本屋の百円コーナーで絶対買い込む本ばかりだ。

 山田風太郎『日記』は昭和26年27年。『戦中派不戦日記』から数えて6冊目、かな。風太郎30歳の大台を迎えて身を固めることを意識する。新進作家としての地位確立のなかで、業界話と、自分と高木彬光との親密な交際ぶりと色恋沙汰が中心で、『不戦日記』の頃からみるとずいぶん世俗的になってしまった。探偵小説文学論争や他の作家の作品、人格批判もいっぱいあって、これはこれで面白い。
「体力をショウコーしたといってもわからない。ショウモーといえばわかる、薬液をコウハンしたといってもわからない。カクハンといえばわかる、美女人をノーサイするといってもわからない。ノーサツといえばわかる。無学なる民衆の勝利だ」という文章に無学なる民衆であるわたくしめはショックを受ける。例会の集まりで日本語のみだれの話が出て、風太郎の日記にこんな一節があったと話し出すが、内容を思い出せない。そしたら菊池先生に、本を読んでもいないのに「攪拌」のことじゃなかったかとずばり指摘をされ、またまた驚く。ちなみにうちのパソコンはカクハンだと変換できるけど、コウハンだと変換できなかった。
 この一節に続いて、「くだらんプロットをすぐれた技巧で書くは、腐った卵を一流の料理人が料理するがごとく、すぐれたプロットをくだらん技巧で書くは、うちたてのソバをツユなしでくうがごとし」という文章が脈絡なくはいる。表現が気に入ったのか、もともと高木彬光を念頭においた評言だったのか、3ヶ月先の日記に同じ評言が次のかたちで出てくる。
井上靖を収録した推理小説作品集のなかで、推理小説仲間の作品について、あたかも名優の舞台を見たあと百姓の盆踊りを見ている気がする。探偵作家はどうしてまあこう文章が下手なのだろう、と言ったあと、「しかし高木氏の作品は、うちたてのソバをツユなしでくうがごとき趣きはあるが、ともかくソバはうちたてなのである」。

『戦時下のおたく』ササキバラ・ゴウ編
 「コミック新現実」に載った文章を中心にした、右傾化するオタク批判に軸足をおいた雑文集。ササキバラ編だけど雰囲気的には大塚英志本。こういう論調に傾斜する心情については共感するところもあるけれど、論旨としては強引過ぎる。文化全般において、右傾化容認の空気が漂っている日本国の現状において、オタク文化の発祥における軍需文化的側面をことさらに言い募られてもなあ。
 とはいえ、内容的には興味ある知見は多い。とくに巻頭のササキバラ・ゴウ「おたくのロマンティシズムと転向ー「視線化する私」の暴力の行方」は、おたくの立ち位置を「超越的視線」に置き、その源流を70年代までのSF的世界観に見、「浸透と拡散」を通じて80年代に普遍化されたという認識のうえで、「超越的視線」のもつ本質的暴力性を考察する。その進行形としてのギャルゲー文化の考え方も納得できるところが多い。僕自身の感じ方、考え方と重なる部分が多々あり、触発されるところが少なくなかった。それを「憲法9条」に繋いでいく後半は強引だと思うけど。
 あとひとつ。ぼくなんか、評価的文章を書こうとするときの基本的立ち位置は、その本を自分にとっての意見確認、ぼくと同じように読む・読んだ・読む予定の人との意見交換といったところにある。書いてくうちでいちばん邪魔になるのは、意見が届いてしまう可能性のあるその本の「生身の作者」であるのだけれど、掲載された他の雑文のなかでも表明されているこの人たちの考え方は、むしろ論評している対象に自分の意見が伝わることこそ大事なのだなということ。この立ち位置のちがいは大きい。

『萌えの研究』はオタク初心者が「萌え」とはなにか現場取材をしてうかびあがらせようという趣向本。『消えた漫画家』なんて本を書いてて、エヴァ放映時に「綾波萌え」で騒ぎまくり、周囲にオタクの知り合いを大量に抱えている人間が、オタク初心者もないだろうと思うのだけど、とりあえず中身は、初心者がおそるおそる、「異様にきちんと構成されたパースペクティブ」のもとで、初々しく「萌え」に関係するメディア業界を探訪する形式を取っている。内容的には非常に食い足りないけど、一般人向け「オタク・ナビ」本としては、いいできといっていいように思える。

『スラムオンライン』桜坂洋はすっごくあたりまえの小説。不足はないけど、大きな過も見当たらない。ネット・ゲームに没入する若者の青春を描いた小説として世間的には珍しいのだろうけれど、小説としてきっちり書けているだけで、なんの目新しさも感じなかった。Hゲーでいえば「7人のオンラインゲーマー」とかそのへんと同工異曲。

『パンドラの檻』は小説のつくりとしてはどうしようもなくできが悪い。シリーズ中でも1、2を争うバランスの悪さなのだけど、読んでてそれが気にならない。作者の筆力ということなのだろう。


THATTA 213号へ戻る

トップページへ戻る