みだれめも 第184回

水鏡子


作品 著者 出版社 総合 作品性 興味度 義務感
『宇宙舟歌』 R・A・ラファティ 国書刊行会 ★★★★★
『どんがらがん』 アヴラム・デイヴィッドスン 河出奇想コレクション ★★★★
『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩 新潮社 ★★★
『萌え経済学』 森永卓郎 講談社 ★★★
『萌える男』 本田透  ちくま新書 ★☆
『ライトノベル完全読本 vol.3』 日経BP ★★☆
『読んで悔いなし! 平成時代小説』 辰巳出版 ★★☆
『マンガでわかる小説入門』 すがやみつる/横山えいじ ダイヤモンド社
『現代SF1500冊 回転篇』 大森望 太田出版 ★★
『喪の女王 2』 須賀しのぶ コバルト文庫 ★★☆

 『宇宙舟歌』はスマートでパワフルでゴージャスな傑作。『オデュッセイア』という安心してもたれることのできる強力な壁に、自分の奇想を思う存分ぶっつけて、その跳ね返りをはしゃぎ気分で楽しむ喜びにあふれている。全体構想他人任せの気楽さのなかで、処女作品3冊の中でも、ラファティの自由奔放さがいちばん爆発している。というか、連作短篇集なので、最初から最後までラファティの論理を引きずり重ねていく負担が少なくて、個々のエピソード、個々のシーンを純粋に楽しむことができるのが、単純に、他の長編との違いであるのかもしれない。
 読み始めたとき、あまりにも『オデュッセイア』の、あまりに露骨な移し変えにちょっととまどい、対象読者が『オデュッセイア』を知っていることが前提なのか、知らないことが前提なのか、アメリカの普通のSF読者ってどうなんだろうといったことを考え込んだりしてしまったのだけど、読んでるうちそんな戸惑いは吹き飛んだ。絶対に『オデュッセイア』を知ってるほうが得な本。あのエピソードがこうなるのか!こうくるか!と感動と発見がうち続く。天を支えるアトラスの話が、俗っぽく現代的で細部まで目配りのきいたここまで知的雄大な話になる。もっともこれは『オデュッセイア』でなく『ヘラクレス』だったような気がするが、まあ大勢に影響はない。『オデュッセイア』をパイ生地に、『コスミコミケ』の宇宙的奇想と『ペガーナの神々』の神話世界を盛りつけ、SFジャンル特有のガジェットと約束事とで焼き上げた、メチル・メタフィジーク・スペースオペラ。いくらでも続きそうなエピソード集を、出版上の制限があったにせよ、思い切りよく端折ってみせた展開も、お約束のラストシーンもかっこよく、文句なしに今年一番の収穫である。

 アヴラム・デヴィッドスンも、こんなにうまい作家だったのかとあらためて感心させられた。「さあ、みんなで眠ろう」はぼくがひそやかに偏愛していた作品のひとつ。「魔法のお店」テーマの「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」や、人情味にあふれた「パシャルーニー大尉」などの小品が心に残る。オリジナルなすごい話というのでなく、これまでにもいかにも書かれたことのありそうな話を、技巧を凝らして仕上げる作風に思える。ただしそこには明らかに作家の経験や心象が色濃く反映されていて、技巧的な作品にありがちな作家性から距離が置かれた職人芸的よそよそしさは感じられない。表題作の「どんがらがん」は破滅後の世界を舞台にしたピカレスク。たぶんこれで読むのは3回目になる。前の2回は、こんなかったるい話をなんでながなが読まなきゃなんないんだろうと正直思いながら読んでたところがあった。けれど、今回は、すこし緊張を強いる技巧的な作品の最後で、まったりした気分で細部を楽しみながら読む快感があった。スタージョンの最良の短編集だといった『輝く断片』より、単行本の評価としては上位にくるような気がする。それでも、デイヴィッドスンがスタージョンより上位の作家にはならないのはなぜなんだろう。それと『輝く断片』ほどではないが、やはりSF度が弱い。

 古本屋でぽつりぽつりと拾っているので、梨木香歩の文庫本はほとんど揃っているのだけれど、実際読むのは『沼地のある森を抜けて』が初めて。SF的な作品から距離を置きたくなる時期に読もうと思って集めていたのだけどね。SFになっちゃった。理も立ち、情もあって、スケールもでかい。充実した時間を持った。ちょっと村上春樹を連想する作風で、ジェンダー論に意外と比重がかかっている。

 『萌え経済学』。『萌え単』の表紙で森永卓郎。思わず買ってしまった。
 日本に蔓延した恋愛資本主義のなかでは、一握りのイケメンが、多数の女性を所有して、大多数の持たざるものじゃない、モテざるものが発生した。こうした恋愛プロレタリアート、モテざる者のなかで、資本主義的現実の負け犬的立場から離脱して、ヴァーチャル世界に新たな恋愛対象を見出したのが「萌え」であるのだという。そして「萌える男」たちは、みんなおとなしくて、やさしくて、人を傷つけるのを嫌い、人から傷つけられるのを嫌い、そして法律や社会ルールを守る存在ばかりだという。
 オタクの文化的経済的効用を、一般社会に喧伝しようという、かなり極端な図式化を展開して見せた快著もしくは怪著であり、その擁護者的立場からの対一般人戦略的意図は、なかなか露骨で楽しい。なんといっても、アキハバラを現実に目にしていて、メイド喫茶や美少女フィギュアを中心に論じながら、エロゲーに対する言及がいっさいなされないという徹底ぶり。カルチャー・ロンダリング・プロパガンダとでも言うべき本書の性格を明快に顕している。
 と気に入っていたのだけど、ここ最近TVの朝生その他にやたら出没する森永発言を見ていると、どうも本人、この誤魔化し論理に自分自身が飲み込まれ、本気で信じこんでしまった気配があって、心配だ。あくまで、オタク文化の代弁者でなく、一般社会との橋渡しのできる常識経済人的ポジションを維持しといてほしいのだけどね。

 それで勢い、ついでに買ってしまった、その森永卓郎と徒党を組んでる感のある本田透『萌える男』となると、「萌え」こそ正しいライフスタイルだと声高に語っているのが、相当にうとましい。言ってることは同じだけれど、森永本はまだ経済行為というクッションがあったりエロゲーが存在しないふりをするところが楽しめるけど、自己正当化を心理学やらキリスト教を動員して弁じられると正直つらい。
 そもそも「恋愛資本主義」にしろ、「萌え」にしろ、人生の究極の目的が恋愛にあるという「恋愛至上主義」の枠組みをア・プリオリに信じこんでの話であり、そのなかで、いかに自分の優位性を確保したまま恋愛感情を成就させていくかというだけのことだろう。そして、その感情は、容易に所有・非所有、支配・被支配の関係に転化する。「恋愛至上主義」という前提自体が、それではいかんだろうという部分が抜けている。
 癒し系エロゲーに対して、恋愛及び家族を復権させようとする精神運動、学習活動であるという一方、鬼畜系ゲームは破壊衝動を妄想空間に解消する行為であると効用を説く。わからなくはないけれど、こういう使い分けをしていくと、2つの主語を置き換えるだけでどれだけおぞましいヴィジョンが浮かびあがるかも考えるべきではなかろうか。
 「黒人の子がいました・・・
  最初会ったとき、彼は言いました。”人間はみんな平等だよ・・・”
  けれど何年か後 彼は言いました。”黒は一番美しい”」(「奴らが消えた夜」)

『ライトノベル完全読本 vol.3』BL特集というところがつらいけれども、マーケテイング・データに準拠している雰囲気のあった以前の号よりピントは合ってきている感がある。

『読んで悔いなし! 平成時代小説』はたくさんの作品が並んでいるわりには、全体の風景が浮かんでこない。でもまあ貴重なカタログ本。

『マンガでわかる小説入門』横山えいじの漫画に惹かれて買ってみたけど、コマワリまで、すがやみつるだそうである。目新しい切り口もとくになく、とくに読むまでもない。

『現代SF1500冊 回転篇』年間ベストを始めとして工夫のあとはいろいろあるけど、毎月大量の作品がぎっしり詰め込まれた時評をまとめて読むというのがここまで緩急に欠ける平板な路面になるとは思わなかった。箇所箇所は読み応えがあって面白いのだけど、読んでも読んでも終わらないうち、だんだんペースが落ちていく。 


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