内 輪   第182回

大野万紀


 10月だというのに前半はまだ暑い日が続き、と思ったら急に寒くなって、まわりはみんな風邪引きです。仕事が忙しかったり、何だか身辺が落ち着かず、今月は3冊しか読み終わっていません。今年のベストに向けてまたたくさん本が出ているのに、ちっとも追いつかない感じです。今読んでいる『啓示空間』も大作で長い長い。さて、どうやって消化したものやら。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『LOVE』 古川日出男 祥伝社
 これは東京の(品川、目黒あたりの)地図の本である。猫の地図、散歩者の地図、都バスの地図、川と道路と高架と運河の地図、番地まで詳細に重ねられたそれぞれの重層化された地図。野良猫たちの数を数え、それを競う人たちがいる。伝説の猛者たちがいる。小学生だったり老婆だったり。その彼らと交差するように、中国系マフィアがいる。謎の暗殺者がいる。突然赤ん坊を置いたまま奇怪なポーズで崖をよじ登り始める主婦がいる。流しの料理人がいる。彼らも都会の中に重層的に潜んでいる存在である。ラブホテル街の裏に生息する猫たちのように。本書は4つのゆるやかに絡まり合った中編から構成されており、それぞれハート/ハーツ、ブルー/ブルース、ワード/ワーズ、キャッター/キャッターズとタイトルがついている。つまり、単数として動く複数の人物の絡まり合いが、それを語るメタな視点から語られる。本書の文体はかなり独特で、肌に合わないという人もいるが、ぼくにはすんなりと入っていくことが出来た。『ベルカ』が犬の話なら、本書は猫の話であり、あちらが歴史的流れを追う動の物語なら、こちらはあるローカルな空間と時間にひたすら目を凝らしていく静の物語である。この両方が書ける作者はすごい。やっぱり古川日出男は面白いなあ。ぼくはお気に入りです。

『ディアスポラ』 グレッグ・イーガン ハヤカワ文庫
 ソフトウェア化された人類と、多次元な宇宙の果てしない連鎖の旅を描いた、ひたすらなエスカレーションの物語。で、実は菊池誠さんと話していて、本書については3つのキャッチフレーズができてしまった。その1「ディアスポラはダイアスパーである」。これは割と明白だろう。半世紀も前にソフトウェアとして保存された人類を描いたクラークへの、オマージュといえるのではないか。ヤチマはアルヴィンだし、ポリスはダイアスパーでアトランタはリスだろう。2つめは「ディアスポラはガリバー旅行記である」。これは後半の、連作中編として読める諸国漫遊記の部分を指すが、それは始まりの惑星がスウィフトと名付けられていることからも明かだろう。まあここはビーグル号でもスタートレックでも、オロモルフ号でも何でもいいんだけどね。いわゆるSFの王道的な部分である。中でも「ワンの絨毯」はとりわけ大好きな話だ。3つ目はネタバレになるけれど「ディアスポラはタイタンの妖女である」。これはトランスミューターを追う、あの笑うっきゃないような膨大な数の次元を越える旅の果てにあったのが、トランスミューターの残したあんな情報だったという脱力の結末を指している。トランスミューターはトラルファマドール星人なのだ。借りちゃった、あ、テント! このアイロニーこそが、ヤチマの果てしなき追跡の果てにある〈意味〉でもあるのだ。意識の活動は〈意味〉すなわち情報をもたらす。コンピュータの停止問題にも似て、その情報が宝なのか、クズなのかは、それを評価する側の問題なのだ。結末を笑うのはかまわないが、それを追求するものこそが人間だということだろう。もちろん、こんな話が書けるイーガンはすごい作家だし、いくらでも議論のできる本書も傑作には違いない。特に難解だといわれる1章は、意識の誕生をきちんと小説の形で表現していて、とても面白く読めた。ただし、『万物理論』以上に、人にぜひ読みなさいとは勧めにくい小説であることも確かだ。また、実をいうとぼくには、本書の重要なテーマである「意識の不変量」のことがまだよくわかっていないのだなあ。

『シャングリ・ラ』 池上永一 角川書店
 怒濤のような小説。二段組み1600枚という分厚さにもかかわらず、あれよあれよと、これでも食らえとばかりに読まされる物語。地球温暖化、東京は中心に超高層建造物アトラスを建築し、その他は温暖化防止のため森林に。森の中に住み、土地を返せと叫ぶゲリラと政府の戦い。ゲリラの指導者は超人的な戦闘能力を持つ美少女で、彼女をサポートするのはこれまた強烈なニューハーフのお姐さん。政府側も負けていない。炭素経済という地球温暖化にからんだバーチャルな炭素の取引が行われており、コンピュータを駆使するこれまた美少女がいる。また十二単を着て牛車に乗る謎の美少女と、彼女を守る凄い女医がいる。初めは、石田衣良の『ブルータワー』みたいな話かと思えるが、そのうちヒルコは出てくるわ、諸星大二郎の都庁の話みたいなオカルトものとなり、さらには神武天皇まで出てきて大変なことに。その一方で光学迷彩がオモチャに見える擬態装甲した戦車に戦闘機、ついには擬態した空母も現れ、町そのものが擬態したりして、お前は植物都市か。何よりも、登場する美女、美少女、ニューハーフたちの、物理法則を嘲笑うマンガ的な強さ、かっこよさ。本当に不死身だし。もはや自由奔放な作者の筆致は怒濤の勢いで突っ走り、ストーリーなんぞどうでも良いレベルに突入。確かにものすごい小説ではある。でもおじさんは正直悪酔いしてしまいました。


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