続・サンタロガ・バリア  (第44回)
津田文夫


 京フェスが終わってまだ2週間余りなのに遙か昔の出来事だったような。京大SF研25(24だっけ)周年記念のお食事会に寄せていただいたのだけれども、まともに挨拶もできなかったな。申し訳ない。って、こんなところで謝ってもしょうがないんだけど。まあ、息子も面白かったようだし親子共々京フェス様々だね。

 地元のホールでカトリーン・ショルツ率いるベルリン室内管弦楽団というのを聴いた。オール・モーツァルト・プロでヴァイオリン協奏曲の「軍隊」と「トルコ風」が良かった。重音が見事な響きのするヴァイオリンだ。一緒に行った音楽仲間の話では、このショルツはどこぞの音楽コンクールで諏訪内晶子を差し置いて優勝したんだそうな。さもありなん。全体的に速いテンポで交響曲40番なんかは物足りない感じがする。モダン・オケで洗脳されているからかなあ。
 コレクターズ・キング・クリムゾンVol.9では、69年11月21/22日のフィルモア・イーストがとてもいい。でもコレの後でその4ヶ月後のマイルス・デイヴィスのフィルモア・イーストを聴くととても同時代とは思えない。リアル・タイムで聴いてないからかな。「リターン・トゥ・フォーエヴァー」と「アイランド」はほぼリアル・タイムで聴いたせいか同時代感があるんだけど。

 京フェスに合わせて読んだイーガン『ディアスポラ』。なんとなく古めかしい感じで、カード化された人格に光瀬龍を思い出したりしながら、表向きのストーリイがなんだか出来の悪い70年代SFみたいだと思ってしまった。ワクワクするというより、なんでそうなるのっていう話の運びが多いのだ。だから京フェス合宿で大野万紀/菊池博士のディアスポラ/ダイアスパー説を聞いたとき、確かにねえとは思ったな。しかし、イーガンの繰り出した数学/物理理論の話は志村先生の解説をもってしても難しく、アイデアそのものはさっぱり分からない。後でイーガンのホームページのトーラスの絵も見たがちんぷんかんぷんだった。物語的なおもしろさはちょっと期待はずれ。

 イーガンでなにやら消化不良な気分をとりあえず中和してくれたのが町井登志夫『血液魚雷』。読み始めたらそのまま読み終わってしまった。まるで中編のような読後感。ワンアイデア・ストーリイといっていいくらいの単純さで、主人公が置かれたメロドラマな設定もあまり深みにはまらず、軽いといえば軽いストレートな仕上がり。読み終ってみると、これってSFならプロローグ部分しかないんじゃないかという感じが強く残る。浅暮三文の『針』もそうだったけれど、話のおもしろさが昔のSFがやっていた世界変容の具体的な展開に繋がらないうちに作品世界が終わらされてしまう。それは現代の作家がSFを書こうとするときにどうしても意識せざるを得ないモノなのかもしれない。

 で、京フェスに向かう新幹線の中で読んでいたのが、大森望絶賛のオビが付いたイサベル・アジェンデ『神と野獣の都』。だから京フェスの会場に着いて小浜/三村夫妻がケータイで大森望の入院のことであれこれ話しているのを聞いてびっくり。小浜氏から山岸先生の話を聞いて目が点になった。自由業の健康管理は大変なのだ。大森望は覚悟の上だったようだが。作品の話の戻ると、ジュヴィナイルとしての骨格が窮屈なのを除けば、いかにもアジェンデの作品らしい。でも『精霊たちの家』で感じさせた伸びやかな印象はここにはなく、なんとなく紋切り型なキャラクターと物語運びがついて回る。新鮮といえば新鮮だけど、その新鮮さが型枠の中での新鮮さに見えてしまう。アジェンデといえども子供のためとなればいろいろと物語に配慮を加えてしまうのだった。

 京フェスの帰りに買ったアレステア・レナルズ『啓示空間』。これは読むのが大変だった。1000ページを超える長さの話が本当に面白くなるのが、600ページを大分過ぎてからなんだから。650ページに達するまで1週間かかり、残り400ページを1日で読む。この話は読み終わってはじめて、えらい面白い話になってるやないか、と気が付くような類の作品なのだ。読み始めてから当分はまったくもって面白くない。これは自分が悪いのかもしれないが、登場人物、特に主人公にほとんど魅力が感じられないせいで物語に期待が持てないいままページを繰り続けることになったからだ。読み終わった後では主人公とその妻を除いた他のキャラクターは結構いい味を出していたのであった。とはいえキャラクターの安定度は低くて翻訳者の工夫をもってしても取っつきが悪いことには変わりないんだが。それにしても主要女キャラの待遇が良すぎるよ。


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