内 輪   第180回

大野万紀


 暑いのは苦手なくせに、夏は好きです。夏休み小説とかも好きだし、少年時代の解放感が今も尾を引いているのでしょうね。濃紺の青空に真っ白な入道雲などを見上げると、ふとベッツィー&クリスの「夏よお前は」なぞを口ずさんでいたりして(古い)。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ランクマーの二剣士』 フリッツ・ライバー 創元推理文庫
 〈ファファード&グレイ・マウザー〉の唯一の長編で、1968年の作品。これが初訳だ。そして紛れもない傑作である。ランクマーの都が恐るべき陰謀によって占領されようとしている。その敵というのが、知能をもち、地下都市を築き、人間に化けることもできるネズミさんたちなのだ。ファファードとグレイ・マウザーは船団警護の任につきながら、ネズミのお嬢様にころっとだまされ、窮地に陥る。いったんは並行世界から来た男と怪物に助けられ(このあたりはしっかりSFしている)、ランクマーへ帰ったマウザーは、自分がネズミたちの罠にはまったことを知る。一方、寄り道をしていたファファードも、マウザーの危機を知って、陸路ランクマーへ戻ろうとするのだが……。〈剣と魔法〉の物語ではあるが、ここにあるのは激しい戦いと奇怪な魔法だけではない。何よりもユーモアがある。そしてにじみ出るエロス。とりわけネズミのお嬢様の色っぽいこと。マウザーは何度裏切られ、ひどい目にあわされても、惚れた彼女にメロメロで、ひたすらつくそうとするのだ。彼女に付き従う侍女もいい。どこか超然としていて、最後に正体を現すところも滅茶苦茶かっこいい。そして、物語の最初から出ていた子猫。ネズミと戦う話なのだから当然そうなると予想されるが、その予想を裏切らない見事な演技を見せてくれる。良くできた、余裕のある大人のためのエンターテイメントだ。

『サマー/タイム/トラベラー 2』 新城カズマ ハヤカワ文庫
 セカイ系というのか、アンチセカイ系というのか、わかったようでよくわからない。本書ではセカイどころか、宇宙の運命、いや登場人物の意見によれば宇宙の外側までもが、高校生のカノジョと関係しているわけだから、ハイパー・ユニバース系といえるのでは。だけどそれが、キミにもボクにも世界にも、何らかの関係性をもつわけじゃないのだから、やっぱりアンチセカイ系? やっぱりよーわからん。まあ世の中には少年レムや少女ティプトリーのような本当に賢い子供たちも実際いるわけで、宇宙の秘密を発見してしまう高校生がいても全然不思議じゃないとは思う。でも時間移動のできる彼女を身近に見ながら、サークル内の雑談レベルに閉じてしまう意識構造というのは少し不思議。テッド・チャンあたりの書きそうな、というか思いつくだけなら賢い高校生なら思いつきそうな、原石のようなアイデアやフレーズが飛び交い、中には「可能性の浸透圧」というような、本当に魅力的な言葉も出てくる。だけど、とってもいらだたしい小説だよ。そんなアイデアの数々も、随所に挿入されるじっくり眺めたい歴史地図も、つまらないストーリーと何の実際的な関係ももたず、思わせぶりに過ぎ去っていくだけ。未来を喪失した少年と、未来を獲得した少女の、すれ違いの物語というテーマが明確なだけに、この陳腐なお騒がせストーリーは何? だけど、最後のエピローグは、あざといけれど、許す。頭はいいのにとてつもなくおバカだった少年も、未来を見つけることができたのね。良かった良かった。

『ハイドゥナン』 藤崎慎吾 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 大作であり、力作である。藤崎版『日本沈没』ということか。南西諸島が地殻変動による沈没の危機にさらされ、実際にいくつかの島が沈没する。『日本沈没』より沈没のスケールは小さいが、本来のテーマとしては実はずっと大きな、全地球的、宇宙的スケールをもっているのだ。また、ノンフィクション作家としての力量を発揮しているのが、海底探査の描写などの、ディテールのすばらしさである。実際、本書の大きな部分を占める海底の描写は技術の硬質さと機器を操作する人間の熱さ、宇宙と同様に力学が支配する別世界の迫真性とあいまって、ある意味SF的なハードな世界を見事に描き出している。とはいえ、本書のメインテーマである、地球環境と生命の関連、ある種オカルト的なものと現代科学の関連という面に関しては、意あまって力足らずといわざるを得ない。とりわけ、主題となっている神への祈りと、世界にあまねく広がる情報の雲という概念との関係は、あいまいにすぎて、ほとんど何もいっていないに等しい。クラークの作品でもボーマンの「幽霊」がでてきたりするが、それと同じレベルの思わせぶりである。ガイア仮説とは違うと作品内で力説されているが、生命圏と非生命圏を峻別しないくらいの違いしかないように思える。むしろ、本書の場合、単純に超能力やSF的な集合無意識のようなレベルのものであって全然かまわない、というかむしろその方が理解しやすいだろう。そこがいかにも物足りない部分である。『蛍女』の続編としても読める(登場人物も重複しており、同じ時間線の延長にある)のだが、全く同じ問題を抱えていて、それがいっこうに解決していない。というか、著者はそういう落差の解消には興味がないのかも知れない。エウロパまでも話を広げるのはいいが、またそのイメージもとてもSF的で美しいのではあるが、テーマの整合性という面ではプロージビリティ(もっともらしさ)のレベルにギャップがありすぎる気がするのだ。

『4000億の星の群れ』 ポール・J・マコーリイ ハヤカワ文庫
 これが『フェアリイ・ランド』の作者の処女長編で、まあスペースオペラというか、宇宙SFである。SFのテーマでいえば、ファーストコンタクトもの。テレパシー能力を持つ日系女性が主人公で、この主人公がわりとイヤなタイプのキャラクターとなっているところなどは、面白いのだが、エンターテインメントとしては失敗だろう。異星での人工的な生態系の中を巡り歩く冒険と、明らかになる異星人の文明の謎は、ありきたりではあるが、それなりによくできているといえる。だけどやっぱりつまらない。冒険ものとしてはどきどきわくわく感に乏しいのだ。この人は(あまりたくさん読んではいないけれど)短編の方が好きだなあ。

『老ヴォールの惑星』 小川一水 ハヤカワ文庫
 SFマガジンに載った表題作をはじめ4編を収録した短編集。若書きっぽさはあるがいずれも力作であり、今年一押しの短編集である。何といっても表題作がいい。ぼくのSFファンとしてのツボを突いている。ホット・ジュピター型の惑星に棲む知的生命の、種族としての物語を描いていて、実に読み応えがある。何というか、SFらしいSFというのはこういうものなのだなあ、と思わせてくれる。他の3編もバラエティは豊かだが、基本テーマには共通したものがある。異常な(ある意味人工的な)シチュエーションの中での、人間の生きる基盤としての社会性の考察といったものだ。最も成功しているのが「漂った男」で、ここでは異星の海に不時着し、救助のあてもなく漂い続ける男と、音声のみによるコミュニケーションが描かれている。「幸せになる箱庭」は宇宙SFとして始まるが、メインテーマは仮想現実を現実として生きることの意味といったものである。なお、その中心にあるのがごくまっとうな男女の恋愛関係なのが(実は他の作品でもそうなのだが)少し微笑ましいと感じてしまうところだ。そういう意味で「ギャルナフカの迷宮」は最も実験的(シミュレーション的)な作品であると共に、社会性を考察するにはその実験のパラメータがあまりにも単純で、評価がしにくい作品である。物語性は充分にあるのだが、もっとテーマをあからさまに出さず、読者に考えさせるように持っていった方が効果的だったろう。ま、一言でいうと、作者には邪悪さが足りません。それがまたいいところなんだけどね。


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