内 輪   第178回

大野万紀


 今年はSFセミナーにもSF大会にも行けず、ちょっと寂しい思いをしています。京フェスには何とか行けるようにしなくては。
 神戸大学SF研究会の若い人から、創設33周年記念本の原稿依頼がありました。33年って、ちょっと中途半端だけど、ぞろ目狙いかな。しかし、ぼくらがSF研を作ってからもう33年か。毎年コンパのお誘いなんかももらっているんですが、米村や水鏡子は平気みたいだけど、ぼくは何かあんまり古いOBがしゃしゃりでることはよろしくない気がして、顔を出していません。ホームページを見ると現役の学生たちもそれなりに活動しているようで、嬉しいんですが(ぼくの子供の世代ですからねえ)。
 大学に入学した1972年の、暑い7月。六甲山の中腹にある教養部の廊下で、画用紙に手書きで描かれた、サイボーグ009の絵。そしてSF研を作ろう(だったかな?)の文字。石森章太郎ファンクラブだった米村が描いたポスターだったのだけど、この前米村にその話をしたら、もう忘れていた。やれやれ。部室はないので、学生会館の喫茶室を例会会場にして、毎週SFやマンガの話をだべっていた。1年先輩の水鏡子という人がいて、ぼくらのSF談義をにこにこしながら聞いていて、ときおり辛辣な一言を放つ。クラークやアシモフといったメジャーな名前が出ると露骨にバカにするので、何だこの偉そうなやつはと思った、という話はもう何度か書いたような気がする。
 ま、そのうちだべっているだけじゃなくてファンジンを出そうということになり、大変なことになっていくのはその後の話。創設当時はけっこう色んな人がいて、女性も何人かいたのだけど、その後の運営で壊滅状態に。自分らの好き勝手を優先させたためですけどね。そこから持ち直して存続させてくれた後輩たちには頭が下がります。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ウルフ・タワーの掟』 タニス・リー 産業編集センター
 タニス・リーの98年のヤングアダルト向けサイエンス・ファンタジー。ウルフ・タワー(今のところ)4冊シリーズの1冊目。あちらではジュヴナイルの分類だが、翻訳ももろにライトノベルな文体で、「なんだかミョーに」とか「サイテー」とかいう女の子の一人称で訳されている。初めはタニス・リーでこの文体かとびっくりしたけど、慣れれば問題ない。(たぶん)科学文明の滅びた遠い未来の世界で、中世的な文化に過去の科学技術が混在しているような、よくある設定。ある小さな都市国家で女中をしていた16歳のクライディが、熱気球でやってきたウルフ・タワーのプリンスと〈荒地〉を渡る旅をすることになる話。元気なヒロインに、とても頼りないプリンスという取り合わせが面白く、旅の途中で出会う色々な部族や人々も面白い。まあ典型的な「サイエンス・ファンタジー」(英米でさんざん批判された)なのだが、そこはタニス・リー、ヤングアダルトな制約はあるものの、ストーリーテリングには安心感がある。

『ライズ 星の継ぎ人たち』 タニス・リー 産業編集センター
 ウルフ・タワーの第二作。ヒロインは今度は勝手に動き回る部屋のある迷宮のような宮殿に囚われる。ここには寡黙なプリンスがいて、ロボットたちがいて、遺伝子操作されたような人々もいる。だけど、ラストを除いてあまり大きな動きはなく、この世界の偉いさんたちの過去が少しずつわかってくるという感じ。不思議な宮殿の道具立ては魅力的だが、物語性には乏しく、どうもつなぎの回という感じがつきまとう。

『タフの方舟 2 天の果実』 ジョージ・R・R・マーティン ハヤカワ文庫
 『タフの方舟』の後半。新しい作品と古い作品が混ざっていて、単独作品としての面白さは、ヴァンス的といわれる古い作品の方が上だ。新しい方の(といっても80年代だが)作品では、タフの慇懃無礼な態度が鼻につき、だんだん嫌いになっていく。鋼鉄のウィドウとの駆け引きなんかは面白いんだけどねえ。古い方の作品では「タフのい・じ・わ・る」といって笑っていられるのだが。問題は本当の意味での政治という観点が欠け落ちていることだ。だって、誰にでも明かな真の解決策(引き延ばし策かも知れないが、どうせ人類はそれでやってきたんだし)は別にあるわけだから(タフもそれはわかっている)。というわけで、前回トルネコを引き合いに出したことは撤回。タフは本当にタフなイヤなやつということに決定。とはいえ、リーダビリティは抜群で、訳者ものって訳しており、物語の無茶苦茶さも含めてSF的な楽しみに溢れている。

『ナーダ王女の憂鬱 魔法の国ザンス16』 ピアズ・アンソニイ ハヤカワ文庫
 ザンスの16冊目。しかしここ最近のザンスの中ではひと味違っていて、一番面白かった。何しろ、主人公がマンダニアの(つまり普通のアメリカ人の)少年と少女で、コンピュータゲームのザンスに入り込んだという設定なのだ。少年はファンタジーや魔法には興味がなく、少女の方は小説のザンスのファンで、この世界が大好きなザンスおたく。その二人がコンピュータゲームのザンスをやっていて、ゲームの世界に実体化してしまう。ゲームのザンスはザンスでありながら、どこか微妙に違っている(自らをゲームだと意識しているのだ、この世界は)。ゲームのコンパニオンとして少年はナーダ王女を選び、少女はエルフのジェニーを選ぶ。そうして二組は別々に旅をしながら、ゲームの関門である謎を解いたり、ダジャレを駆使して罠を回避したりしながらゴールを目指していく。しかしこのゲームは2重3重にひねくれていて……といった話。ホンワカしたエッチな感覚や、今度ばかりはさすがの訳者もさじを投げたような(もう雰囲気で察してくださいという感じ)ダジャレの密度は相変わらずだが、現実世界の少年と少女が主人公なだけに、これまでのザンスの作り物感(それはそれで魅力だったが)を逆手にとった、まさにゲーム的なリアルさが新鮮だった。

『天空の秘宝』 ウィリアム・C・ディーツ ハヤカワ文庫
 ギャラクティック・バウンティのシリーズ第一弾(といっても続編が出るかどうか不明)。作者は以前に『戦闘機甲兵団レギオン』が訳されているミリタリー系冒険SFの作家だが、これがデビュー作だそうだ。お話は銀河の賞金稼ぎ(まんまだね)である凄腕の主人公が地球帝国の依頼(というかほぼ強制)で、失踪した軍人の捜索をすることになる。どうもその軍人は宇宙を揺るがす太古の軍事的秘宝を発見したらしいのだ……。というような大筋があって、後はジェットコースター的な波瀾万丈のストーリー。キャラの立った脇役や敵味方がくるくると入れ替わり、舞台もあちこちの惑星に飛んで、面白く読み終えた。とはいえ、ご都合主義というよりは何も考えていないような、このおバカストーリーにはちょっとびっくり。特に結末にはあきれる。これだけものを考えない主人公も珍しいかも。いやそう珍しくもないか。ま、読んでいる間は頭空っぽでも面白いからいいのだけどね。

『現代SF1500冊 乱闘編1975-1995』 大森望 太田出版
 奇想天外に連載していた「海外SF問題相談室」(1987-1991)に始まり、本の雑誌連載の「新刊めったくたガイド」SF時評(1990-1995)へ続く大森望のエッセイ集。とにかく奇想天外時代の、若かりし大森望の元気なワルモノぶりがカワイイ。でもって、本の雑誌ではちょっとトーンダウンし、1992-1993の中断の後、1994から復活後のパートは今の大森望へ直結するパワーを取り戻している。「冬の時代」とか、そういう面白要素があると元気いっぱいになるんだねえ。まあ、懐かしい思い出話は色々あるのだが、それをいうと「じじくさ〜」と言われてしまうのでやめとこ。

『星空の二人』 谷甲州 ハヤカワ文庫
 谷甲州の短編集。昔の奇想天外に載った「ガネッシュとバイラブ」や、SFバカ本、異形コレクションなどに載った作品、書き下ろしも1編収録されている。バラエティ豊かというよりは、けっこう雰囲気は統一されていて、谷甲州的というか、宇宙の冷たいロマンというトーンは貫かれている。バカSFにしても、しっかり宇宙ものだ。そして、広い意味での愛やセックスにからむテーマのものが多い。とはいえ、独立した短編ではこれらのアイデアを展開するには短すぎるという気もする。背景や設定のディテールがもっと読みたくなる、そんな気にさせる。「スペース・ストーカー」の宇宙的なストーカーにつきまとわれても負けないヒロインには惚れました。好きです。

『蒲公英草紙 常野物語』 恩田陸 集英社
 『光の帝国』に続く常野物語の第二弾。蒲公英はたんぽぽと読むんですね。今度は長編で、前世紀初頭の東北地方のひなびた山村が舞台。お屋敷に住む病弱な娘の友だちとして、この村一番の大地主の屋敷に出入りすることになった少女。その目を通して、屋敷の人々や、そこへ現れた謎の一家との関わり、ほのかな愛や人の優しさや、芸術のあり方、そして海の向こうの戦の影などが、淡々と描かれる。もちろん常野物語だから不思議なできごとが起こるのだが、大きな謎が解かれるわけでもなく、全ては少女の淡々として美しい日常の中に回収されていく。というわけで、ある意味とても物足りなく、ある意味では充足している物語である。昔の田舎の風景が大変美しく、心地よく読めたのだが、本書が常野物語である必然は正直よくわからなかった。


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