続・サンタロガ・バリア  (第40回)
津田文夫


 梅雨入りして2週間だというのにパラパラ雨しか降らない。7月が怖いね。
 以前BUMP OF CHICKENに連れて行ってくれた娘っ子に誘われて、月初めにGOING UNDERGROUNDのライヴにいく。まったく情報なしというのも何だから、シングル「同じ月を見てた/サムネイル」を聴いてみたところ、アジカンをシンプルにしたような感じ。キーボードが入っている分ソフトだ。
 会場は500人足らずの中ホールだったのだけど半分も埋まらない。隣の席に来た耳まで隠れそうなブカブカのジャケット着たヤツがホールとロビーを行ったり来たり。アブねーヤツと気にしていたら、ステージが明るくなった途端バッとジャケットを脱ぐ。そこにいたのはアーティスト・グッズの真っ白なTシャツを着た小柄な女の子。どう見ても高校生だよ、コイツ。総立ちになった前半分にしか人のいない客席を見回してみると目に付くのは20歳前後の男の子と女の子ばっかり。さすがの娘っ子もここじゃ最年長の部類だ。当然ネクタイしてるオヤジはただ一人。勿論、オヤジは席にへばり付いたままで、子供たちの体の隙間からチラチラ見えるボーカルとドラマーを観賞。時々周囲に目をやると誰もいない列が続く後ろの方に20代から30代と思しき連中が真ん中一列を占領、ありゃスタッフか。バンドのメンバーも20代前半な感じだが、実際はどうだか知らない。ボーカルがちょっと印象的な歌い方だが、音楽そのものは強い引っかかりもなく、サラサラと心地よく流れていく。せつな系というらしい。ギターはトッポジージョの声優みたいな変な声で、ドラマーはクセのない声を聴かせる。十数曲演じた中で知ってる曲は先に買ったシングルの2曲のみだったが、「サムネイル」がトリ。ドラムパターンが面白く聴ける曲なので、後で確認したらドラマーが作っていた。バンドも客層もカワイイコンサートだったなあ。7月はジェフ・ベックだ。

 徳間の腰巻きイラスト表紙シリーズの照下土竜『ゴーディーサンディー』(第6回日本SF)新人賞受賞作)は作品世界そのものがギクシャクしたノヴェラ。読後感は短編みたいな感じである。なんで擬態内蔵爆弾なのかそれをやる必然性がどこにあるのか、「千手観音」はその前提として十分なのかさっぱり分からないが、このヒーローの行為はどう見たって猟奇殺人犯のやることなのが笑える。またヒーローの思考と行動もまったく了解できないのでよけいに変な話になっている。しかしヘンであることはSF作家としては必要条件だろうからこの作品を出版する意義は十分あるということになる。

 徳間の同じシリーズで第5回日本SF新人賞佳作入選作北國浩二『ルドルフ・カイヨワの憂鬱』は『ゴーディーサンディー』に較べるとずっと普通にエンターテインメントしている作品だ。アメリカを舞台に登場人物もアメリカ人ばかりでなおかつ読んでる間そのことが気にならないという上手さだ。まあ、作品の都合でキャラクターが集められているという感じはあるけれども。サスペンスもモラルも十分に機能しているので何もいうことはないが、これと『ゴーディーサンディー』でもSFとしては照下土竜の方に新人賞が行くだろうことは間違いない。

 『ヴィーナス・プラスX』に取りかかったら、どうにも取っつきが悪いので、吉村萬壱『バースト・ゾーン−爆裂地区−』に浮気。前半はどっかで読んだようなディストピア日本だなあ、キャラに筒井康隆入ってるなあ、などとペラペラめくっていたら、第2章に以降変なドライヴが掛かって大陸でのエピソードにはいると、作品世界が筒井康隆的パワーに満たされてどんどんエスカレートする。筒井の傑作「顔面崩壊」がオマージュ的に再現されるにいたって、ああコイツは凄いかもという感想が湧く。最後の最後まで突っ走ってしまうところはいかにも現在の作品らしい。地元新聞の読書欄(たぶん共同通信)では評論家が今年のベストワンと持ち上げていたし、大森望も年間ベストを宣言している。自分にとってはこれをハヤカワが出したところがミソか。

 吉村萬壱を読んで谷川流『絶望系 閉じられた世界』を読むのはバカだと思ったが、タイミングなのでしょうがない。しかし、コレって何が面白いんだかさっぱりだった。体温低いのはいいけれどエッジが無いのが辛い。これなら『左巻キ式ラストリゾート』の方がオススメだ。

 ようやくスタージョンに戻ろうとしたら伊藤典夫編『SFベスト201』が目に付き、パラパラと読んでしまう。伊藤さんのいかにも語りおろしな感じがちょっとうれしい前書きと何の基準も見えないバラエティに富んだ(!)作品選択。面白いのは作品が日本での刊行順にならんでいるとこか。

 やっと読み終えたスタージョン『ヴィーナス・プラスX』は確かに今でさえ誰も書かないような類の作品だった。まずどうしてこんな話を書きたがったのか、そして文字通りの実験を作品の中でやって見せて当時の読者にどこまで何が伝わったのか興味が湧くけれども、大枠としては「雷鳴と薔薇」のような冷戦下の熱い戦争への恐怖に触発された部分と個々レベルでの暴力性行への怒りと絶望が感じられる作品になっている。これがSFであることによって少なくとも日本で今出版され、作品の持つ時代的な制約を超えて読者を獲得するとすればちょっと嬉しいかな。

 スタージョン続きで『輝く断片』を読んでいたら、大森望『現代SF1500冊 乱闘編 1975−1995』が出たので、あちらこちら眺めている内に止まらなくなり半日ぐらい潰してしまう。芥川賞やライトノベルやらのメッタ切りと並べてみると、大森望は良く生きてるなあと感心する。マニアは全部読むという心意気は昔なら米村さん、その後は志村氏とか思い出すけれど、20代の内はともかくまあ心意気だけで疲れてしまうよ、普通。

 短編集としての『輝く断片』 はもしかして『不思議のひと触れ』よりクォリティが上かもしれない。ここにはSF的バリエーションがないのでもったいないといえばもったいないのだが、「ニュースの時間です」から表題作までの密度はちょっと異常。作品の並べ方がいかにも釣りますぜ的なストレートな戦略に見えてイヤだ。「ミドリザルとの情事」は『ヴィーナス・プラスX』の後に読むと「長さが17インチ」なんていうところとは別にスタージョンの関心が那辺にあるかが分かる。

 ちょっと時間が経ってからジョージ・R・R・マーティン『タフの箱船 2天の果実』を読んだら、前半の時の興奮が消えて割と凡作揃いに見えてきた。何でかなあ。表題作がまあ読めるんだが、面白くてウレシいよおーという感覚が消えている。他人の感想を幾つも読んだからかもしれないけれど本当におもしろい作品はそんなの関係ないはずなんだが。残念。ところで前回「ナイトフライヤー」が「タフ」シリーズよりも先に書かれているように書いたけれど、ほぼ同時期だったんだなあ。20年も前にリアルタイムで読んだ作品だったので記憶の中ではずっと古いような感じかしているんだ。歳だねぇ。


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