みだれめも 第179回

水鏡子


作品 著者 出版社 総合 作品性 興味度 義務感
『オルタード・カーボン』 リチャード・モーガン アスペクト ★★★
『死影』 マイケル・マーシャル ヴィレッジ・ブックス
『オタクの遺伝子』 稲葉振一郎 太田出版 ★★★
『現代SF1500冊 乱闘編』 大森望 太田出版 ★★★★
『SFベスト201』 伊藤典夫編 新書館 ★★
『ダヴィンチ読者7万人が選んだこの1冊』 ダヴィンチ編集部 メディア・ファクトリー
『デビル17 鮮血の学園祭 中』 豪屋大介 富士見ファンタジア文庫
『流血女神伝 喪の女王 1』 須賀しのぶ コバルト文庫 ★★★

 パチンコというより相変わらずの「エヴァ」詣で。「残酷な天使」を聞いたのも200回を越えている。この前、生まれて初めての24連発をした。純益6桁である。通算成績はほぼ五分で、楽しんだ時間分だけプラスと考えよう。
 プレステ2の「十二国記」をやったけど、正しい選択肢を選んでいくと、あたりまえの物語にしかならないし、ちがう選択肢はやっぱり選びたくないし、いまひとつ面白くない。

 ガイド本が並んだ。
 『SFベスト201』の伊藤さんの序文は、口述筆記みたいだけれど、よほど推敲がなされたのか、信じられないくらいに整理が行き届いた、読みやすくわかりやすくツボを抑えた文章で、必読。
 ただし、ガイド本としては、疑問が残る。『世界のSF文学総解説』以降に出版された海外SFの秀作ガイドというコンセプトは、必要性も含めて、ぼくらとしては納得のいくものだけど、ふつうの読者に海外SFの鳥瞰図を呈示するという意図からすれば、『総解説』の収録作品リストを付けるといったこともできたのではないか。
 なにより、俯瞰性に欠ける目次が良くない。翻訳出版順という並べ方から、過去の出版シーンやトレンドを読み出すことができるのは、ほんの限られた人間に過ぎず、ふつうの読者にとっては、脈絡がなく散漫な、ある意味安直と取られかねない並びでしかない。『総解説』のようなテーマ分類が難しい時代であることも事実だけれど、それでも、見るだけで全体像が見えてくる、まとまりのある目次が欲しかった。たとえば、六要素からなるグラフを作ったのなら、(1)奇想5、(2)テクノ5、(3)娯楽5といった括りでやるのも一法だし、年代順なら、まだ原著刊行順のほうが値打ちがあったのではないか。あるいは数年単位で区切りをいれて、出版状況の総括などを入れてみるといった仕掛けでもあれば。
 ちょっともったいない。

 そんな俯瞰地図を、作らんでもいいようなものまでパカパカ作っているのが『現代SF1500冊 乱闘編』の第1部の「海外SF相談室」。二十年近く前に別冊奇想天外に連載し、悪名を轟かせた大森望最初期の仕事である。これはいかんだろうと、当時もみんな思ったし、今もやっぱり思うところはあるし、その一方でつぎはなにを書いてくるかとみんな楽しみにもしていた。やってることは『文学賞メッタ斬り!』と同じだけれど、立ち位置はじつはかなり違っている。『メッタ斬り』は業界の面識の薄い人たちを含めた好き勝手だけど、「海外SF相談室」は基本的に業界の顔なじみへのじゃれつきである。結果的にいろいろ痛い目にも会ったのだけどね。
 今読むと、ガードの弱い若書き部分も見えるけど、当時の大森望の全開ハイテンションの仕事である。世の中には、情報公開とプライバシー保護という、相反し、相補完する潮流があり、世間的な妥協点よりあきらかに、情報公開(プライバシー侵害)寄りにシフトしている。一方で貴重な俯瞰地図も少なくなく、イエロー・ジャーナリズムとアカデミズムの混淆した有用性も相当なものがある。こんなものがまた活字になるのかとため息をついてる関係者の顔なんかも想像すれば、興趣もいや増すところだろう。
 SFへの愛と関係者への親愛の情を免罪符に(したつもりでの)域外侵出を行っている。
 第1部の好き勝手から、裃をつけた第二部「本の雑誌」SF時評に移ると、特に最初のあたりはドライブ感が大きく減じる。それたこの大量の本についての言及は、取り上げられている本の大半を知っているから、それなりに楽しめるけれど、書かれている本の名前も知らない人にとって面白いかどうか、謎である。時期的に重なり合う『SFベスト201』とセット読みをすることで、両書の弱点がかなりの部分補えあえると思われる。

 その大森望に薦められたのが『オタクの遺伝子』。大状況としてのSF論から立ち上げる長谷川裕一論である。
 コミック、アニメ、特撮、活字SFがほぼ均等に反映されたSF論で、その比重の掛け方にはぼくの不得意部分もあって、新鮮さがある。
 世界への視線についての著者のこだわりの濃淡をジャンルSFと本格SFを区分けとする図式は、手塚SFコミックと、ヒーロー主体のSFもどきコミックの綱引きとして戦後SF漫画の歴史を捉えた米沢SF漫画論などとも近い。ただ、世界への視線を作品構造でなく、主人公の世界に対する関わり方という<生き様>に収斂させていくところ、本格SFも読み方しだいで、本格SFとしての刺激性を失う(「寓話」をめぐる論述)とする指摘などには、そのとおりでもあるのだけれど、そこに言及すると図式自体にあいまいさが生じると思う。
 前回取り上げた『コミックマーケット30’sファイル』の巻末年表を見て、再発見したことに、ある年を境にみごとにアニソンが歌えなくなる。これがじつは就職した年だったりする。コミック、活字SF、ゲーム(RPG系)はそれなりにフォローしているけれど、アニメ、特撮、映画系はけっこうボロボロになっている。だからガンダムもファースト・ガンダム以外はほとんど見ていない。長谷川裕一がここまでガンダムと絡んでいるとこの本を読むまで知らなかった。『マップス』その他、オリジナル系は7割方読んでいるのだけどね。(1)長谷川裕一本(2)ガンダム関連本(3)SF関係本といった順位の読みどころの本である。

 『ダヴィンチ』のランキング本はこの種のリスト本としては、ずばぬけてつまらなかった。

 ほとんど一昔前のハードボイルド小説の街並みを描き出して27世紀ですといわれては、さすがに違和感出まくりだけど、そこさえ馴染めば、まあ、それなりの魅力的なキャラクター、それなりの力強いドラマ性とアクション・シーン、それなりの大道具小道具が配置され、気持ちよく読めて満足感ものこる『オルタード・カ−ボン』。ガチャガチャした道具立てを普通の小説読者の腰が引けないように俗っぽくかみくだく才能はけっこう貴重なもののように思える。とはいえ、ぼくの好みの近未来ハードボイルドは、昔ディック、今マイケル・マーシャル・スミス。その奇想混じりの風景からみれば、刺激性、特異性に乏しい。よくできたエンターテインメント。それ以上でもそれ以下でもない。

 で、そんな期待のマイケル・マーシャル・スミスの非SF作品『死影』。組織的犯罪と個人的犯人、出生の秘密、関係者の割り出し、動機、すべてについて無理筋の感がある。スミスの魅力のひとつであったユーモア感覚もどっかに置き忘れたていて、愚作といってしまいたい。部分部分のフレーズには気のきいた言い回しがいっぱいあるのだが。最後にじつはSFになったりするといやだなあと思っている。とりあえず続編での建て直しを期待する。

 『流血女神伝』最終章だそうである。神懸りから人間主体に話が降りてきてほっとしている。もっともクライマックスはまた女神たちが顔出しするんだろうなあ。今回は面白い。


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