続・サンタロガ・バリア (第38回) |
桜が咲いたなあなんて思っていたら、あっという間に4月も終わりに近づいた。昔、筒井康隆が時間の川が最後に滝になって落ちていくマンガを描いていたけれど、実感してしまうね。
もうすぐ次の号が出ようかという『ファウスト』Vol.4を読む。特集その一「文芸合宿」で創られた掌編とリレー小説にはとくに印象にのこるものはないが、「上京」がテーマの短編競作で佐藤友哉「地獄の島の女王」が浮きまくっているのと、乙一他5人全員によるリレー小説「誰にも続かない」の乙一の物語づくりのうまさが目立つ。特集その二「ミステリーのフロントライン」では北山猛邦「廃線上のアリア」と浦賀和宏「ポケットに君とアメリカをつめて」が初めて読む作家の作品、と思ったら北山は先に「文芸合宿」作品を読んでいたな。北山作品は女子高生探偵もののようで、不条理な世界がなかなかいい雰囲気だなあと思っていたら、最後になってホントに驚愕の謎解きをしてしまう。ガックリだ。作品世界があれば謎解きなんてどうでもいいのだよ。浦賀作品はそのタイトルからは想像もつかない大昔な設定の破滅後世界のラブストーリイ。最後にサイモンとガーファンクルの「アメリカ」が流れるところがミソ。舞城王太郎「夜中に井戸がやってくる」は舞城作品を読んで、初めて結構いいじゃないかと思えたシロモノ。性的成長を止めてしまった姉を語る弟の話。ヒリヒリした感じがよく伝わる現代小説になっている。連載の滝本竜彦「ECCO」は主人公優君が新登場の智子ちゃんに振り回されながら滝本的諦念を得る話になってきた。最初ほどの牽引力はない。西尾維新「新本格魔法少女りすか 魔法少女は目で殺す!」はツナギちゃん大活躍と思ったら、キズタカくんが主役だった。りすかは出番ナシ。キズタカくんの存在の仕方は割とオーソドックスなミステリーの主人公みたいだ。
『SFマガジン』の小説は読まないけれど『ファウスト』の小説は律儀に読んでるのが我ながらおかしいなあ。
山田正紀『神狩り2 リッパー』は、SFとなると堅苦しくなってしまう山田正紀のクセがまだ残っているが、感触としてはちょっと不思議なものを感じさせる。聖書神話を現代SFで料理しているのは、あまりに今の流行なので気にくわないんだけど、『神狩り』自体がその源流のひとつになっているのでいまさら文句も言えない。冒頭のカーチェイスから映像的喚起力は見事である。しかし登場人物に沿う視点は存在せず、蘊蓄や状況説明を語る主体は曖昧で作品全体から感じられる体温は非常に低い。『ミステリーオペラ』に比べると物語を転がす意欲がずいぶん薄らいでいるような気がする。
今月は徳間SFばっかりだ。三島浩司『MURAMURA 満月の人獣交渉史』はいかにもSF作家の書くファンタジーでこぢんまりとした世界だけれどおもしろく読める。ジブリ系でアニメが作れそうな話で、主人公の女子高生も補佐役の男の子も夢の世界から来る神獣たちもどことなくぎこちないんだが愛嬌があるので読んでいて楽しい。時々誰のセリフか分からないようなこともあるけれど、そういう描き方なのだと思う。増田幹生のイラストに助けられているのは確か。
続いて片理誠『終末の海 Mysterious Ark』は、一直線のジェットコースター・サスペンス。読み出したら、物語がわき目もふらず走っていってしまう。ところが行った先があまりにも古臭いSFのパターンになってしまうので、せっかく目隠しに成功していたのになあと残念がることになった。たぶんいまはSF的アイデアでクライマックスを創ることが非常に難しい時代なのだ。
翻訳はエドモンド・ハミルトン『反対進化』だけ。『フェッセンデンの宇宙』で期待せずに読んだら期待以上におもしろかったせいで、見直してしまった分こちらの短編集の評価は低い。SFに限らず70年から40年も前の作品が古びないわけがない。ただ、ここにみられるペシミスティックな通奏低音とその後SF界で繰り返し使われるアイデアの組み合わせが、ハミルトンをして未だに読むに足る作家にしている。もちろん「理屈抜きに楽しめる」話も読めるわけで『フェッセンデンの宇宙』が出る前ならもう少し率直に楽しめたのかもしれない。