内 輪   第173回

大野万紀


 衝撃的な津波の大災害からもうすぐひと月。そして阪神大震災から10年です。あれからもう10年たったのか、という感じです。ずいぶんたったような気もしますが、まだついこの前だったような気もします。壊れた水道管からの水くみや、携帯ガスコンロでの炊事、まだ死体が埋まっているはずの、崩れ落ちたビルを横目で見ながらの会社への通勤と、日常と非日常が入り交じった奇妙な経験でした。本当に、非日常というのも、あっという間に日常の中に組み込まれてしまいます。普段はまさかと思うような、あり得ないようなことも、いやおうなく続く日常生活の中にたちまち溶け込んでいくのです。どんなことでも起こり得る。そのことは肝に銘じておかなければいけません。
 今月号の表紙にも書いていますが、カッシーニ探査機から投下されたホイヘンスのタイタン着陸は、まさにセンス・オブ・ワンダーを感じさせられるものでした。今現在、確定した情報ではありませんが、おそらくは液体メタンの海が存在しているようすです。エウロパにも海はあるとはいえ、厚い氷の下です。その点、タイタンの海は大気の下に直接海面が接しており、雨が降ったり波が立ったりしていることでしょう。水ではなくてメタンだとはいえ、見た目は地球の海とそんなに変わらないんじゃないでしょうか。もっと詳しいことが早くわかればいいですね。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『陋巷に在り 13 魯の巻』 酒見賢一 新潮文庫
 大河歴史小説(文庫版で)全13巻の完結である。孔子の弟子の顔回が主人公という、ぼくにはほとんど知識のない世界の小説だったが、元気なヒロインの、ちゃんや妖艶な魔女の子蓉といった女性陣の活躍で、あっと驚く地獄巡りがあったり、なかなかファンタジーっぽくて面白い小説だった。時々ひどく退屈な巻もあったのは事実だけれど。最近は顔回がちゃんと主人公っぽい働きをしていて、かっこよくなってきたところだったので、ここで終わるのはちょっと残念である。本書でのドラマは少正卯の滅亡と、美女軍団の襲撃! 、ちゃんはなかなかいい役だったが、もう少し活躍して欲しかったなあ。

『王狼たちの戦旗』(上) (下) ジョージ・R・R・マーティン 早川書房
 『七王国の玉座』に続く〈氷と炎の歌〉の第二作。めちゃくちゃ分厚い2巻本で、読むのに難儀する。面白いんだけど、前の内容を忘れていて、しかも登場人物は入り乱れ、視点人物の違う短い章が交互に語られるので、始めの方は頭がこんがらかる。でも少しずつ世界が見えてきて(そして思い出してきて)、それぞれの人物の関係がわかってくると(それでも最後まで、あれっどこの人だっけ?というのもあるが)、読むスピードがぐんぐんと増してくる。下巻は上巻の倍以上のスピードで読み終えた。分裂した王国の群雄割拠した覇王たちが繰り広げる戦国絵巻というわけで、とりわけ敵方の個性溢れる兄弟姉妹が魅力的だ。前作よりかなり血なまぐさくなっており、また魔法の要素が大きく前面に出てきはじめた。一作ごとに完結という物語ではなく、まさに大河小説の趣なので、ここで終わっちゃフラストレーションがたまる。早く続きが読みたいよ。

『くらやみの速さはどれくらい』 エリザベス・ムーン 早川書房
 21世紀版『アルジャーノンに花束を』と帯にあり、画期的治療法の実験台になれといわれた自閉症の青年が主人公とくれば、どうしてもあるパターンが頭に浮かぶ。おまけに著者の子供が自閉症だったという情報が加わると、先入観なしに読めという方が難しい。しかし、そんな先入観は無用だった。本書はとてもさわやかな青春小説であり、SFとしてもイーガンと同じ問題意識をもってテーマを扱った(扱い方はもちろん異なるが)作品である。前号のTHATTAで水鏡子が本書を「万物理論と逆の結論」と書いているのは理解不能だけれど(何をもって逆の結論といっているのだろう?)、岡本家記録にあるように、『アルジャーノンに花束を』とは逆だというのは正しいと思う。一言に自閉症といってもその実態にはかなりのバリエーションがあるだろうし、また本書の主人公は近未来の治療/訓練プログラムを受けているので、ちゃんと自立して社会生活ができ、特別枠ではあるが会社に就職して仕事をしているという設定なので、本書を読んで理解した気になってはいけないのだろう。それでも主人公の一人称の部分には強烈な印象が残る。彼の視点はぼくにもよく理解できる。彼のとまどいや緊張もよくわかる。彼を見る「ノーマル」の側の反応も当然よくわかるが、むしろSFオタクというのは彼のような存在に近いのじゃないだろうか。社会的には「ちょっと変わり者」という感じ。やっぱり例え変わり者であっても、普通に受け入れてほしいよねえ。

『星々のクーリエ』 陰山琢磨 朝日ソノラマ
 超光速航行が実用化された未来。インド洋はモルディブの人工島に建造された軌道エレベータ。本書のヒロイン桑名真尋はこの人工島を守る独立国連軍の遊撃戦闘隊員だ。彼女は、人類にとって危険な存在だとされる、宇宙の植民星から護送されてきたクーリエと呼ばれる少年をめぐっての、複雑な争奪戦に巻き込まれる。設定は面白く、また人工島の構造や真尋らの扱うハイテクな武器、AIを駆使した戦闘のシステムの描写は微に入り細に入り、とても力が入っている。本書の後半で延々と続く戦闘シーンはこれでもかというような大迫力だ。ところが、ストーリーやキャラクターがそれについていっていない。何か、あんまり話にのれないんだよねえ。色々な要素がちぐはぐで、有機的に構成されていない感じがする。作者は筆力があるのだから、このあたりが改善されたらすごく面白いSFになると思う。


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