内 輪 第171回
大野万紀
十数年乗ってきたシビックがさすがにボロボロになってきたので、思い切って新車に乗り換えることにしました。でも、ほとんど近場で週末くらいしか乗らないので、もったいないから軽にしました。今時の軽自動車って、排気量以外は普通のコンパクトカーとあんまり変わらないんですね。すごいもんだ。って、排気量が問題か。
車を買うとなると気が大きくなって、1年半前に買ったHDDレコーダーも買い換えたくなったのだけど、これはさすがにまだ早いとNGに。でも今の製品って、Wチューナーに、DVDの書き込み速度向上に、書き込み中の同時操作可能に、東芝のやつなんかは(ちなみに今あるのも東芝のRD-XS40)LAN経由でレコーダーのコンテンツをPCから見ることができる。この最後の機能なんか、けっこうそそられます。なにしろ単身赴任中なんで、家に帰ったときにたまった録画をまとめて見ることになるんだけど、それがPCから見られるなら便利です。もちろんDVDに焼いてPCへ持ってくれば今でもOKなのだけれど。
ところで京フェスで聞いたのだけれど、今のSF関係者のネット状況はmixiへ移ったんですかねえ。mixiって、何かめんどくさそうで、さらに巡回箇所をふやすのも時間がないからいいか、と思っていたんですけど、ちょっと興味が出てきました。よかったら誰か、紹介してください。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『はじまりのうたをさがす旅―赤い風のソングライン』 川端裕人 文芸春秋
川端裕人の冒険小説。オーストラリアのアボリジニの世界で、ソングラインという、一族の歴史や地理や人々の経験やできごとをいつまでも歌い継がれる歌にして伝える、そういう習俗が物語の中心にある。本書の前半は、曾祖父の遺産を相続するために、オーストラリアの赤い砂漠をソングラインをたどって旅をする、感動的なサバイバルの物語となっている。主人公の曾祖父は、真珠ダイバーとしてオーストラリアに移住し、日本の妻を捨ててアボリジニの新たな部族を作ったという伝説の男だった。主人公はアボリジニのミュージシャンのリサやインドネシア人のアーカディらとチームを組んでこのゲームに参加する。音楽が、この物語の重要なモチーフとなっている。だがしかし、作者の持ち味は、理性あるいは近代的な個人の意思、科学的な志向といってもいいが、その眼差しが向かうところにあるのではないだろうか。『夏のロケット』のいつまでも夢を失わない青年たちの物語のように。だから、本書のアボリジニの原初的、感性的、不可知的な、ドリームタイムの物語を描くには、作者の理知的な文章はあまり似合っていないように思えた。音楽の描写にしても、その音までは聞こえてこないのだ。だからかも知れない、物語の後半は、一転して現代オーストラリアにおけるアボリジニ独立の陰謀めいた冒険劇となる。残念ながら、これまたちょっと中途半端な感じがつきまとう。それは主人公たちが物語の中心にいながら、いつまでも誰かの枠の中でしか動いていない――まさに前半の〈ゲーム〉の続きだ――からだ。原始と現代の混交は面白く、砂漠の悪霊の棲む地というのが、実は核実験場の廃墟だったりするような対照は、いかにも作者らしくて唸らされるのだが。とまあ、ちょっと物足りなさを感じた作品ではあるが、それでも音楽が好きでドリームタイムを愛する者には嬉しい小説だった。
『復活の地 3』 小川一水 ハヤカワ文庫JA
三部作の最終巻。再び迫る帝都大地震。その事実を知りながら何の対策も立てようとしない政府。復興院総裁の地位を失い、片腕も失った主人公が打つ、次の手は……。というところなのだが、いってみればボランティア中心の下からの意識改革といったもので乗り切ろうというわけで、それでうまくいく場合もあれば、あまり効果を上げられない場合もあるだろう。本書でも再度発生した大地震で、彼らの行動により上がった効果は100%ではなかったことになっている。むしろ皇室の動向や、星外の大国、そして惑星内の敵国だったジャルーダの動きが大きな影響を与えている。全体的に関東大震災がモデルになっているようだが、しかし帝都庁の技術官僚たちの動きやパワーエリートたちへの信頼感といったものは、ぼくにはファンタジーとしてしか読めないですね。さらによくわからないのが、悪役である陰謀家のサイテン首相の態度だ。本書では効果的な動きをほとんど何もしていない。思惑と違う周囲の状況に右往左往していて、迫力がない。これはどうしたことなのだろう。それにしても、本書の発売とほとんど同時期に起こった新潟の大地震。被害を受けた住民の描写を読みながら、やはりフィクションは難しいものだと感じた。
『ネフィリム』 小林泰三 角川書店
吸血鬼ものだが、どちらかというとゾンビか何かみたいにひたすら臓物が飛び散るスプラッター系のお話。切り刻んでもなかなか死なないんだから、やっぱゾンビ系だよなあ。で、吸血鬼たちと、それに「コンソーシアム」という組織を作って科学的装備を武器に立ち向かう人類と、そして彼ら全てを家畜化しようとする恐るべきストーカーと呼ばれる怪人の三つ巴の戦い。吸血鬼の中に、自ら吸血しないと誓った最強の吸血鬼、ヨブがおり、人類の中にも、家族を惨殺した吸血鬼への復讐に燃えるランドルフがいる。そしてヨブに付き添う謎の少女ミカ。これでもかというようなスプラッター描写にくじけなければ(そして実際それは残虐・悲惨というより、滑稽なイメージがあるのだが)、本書にはぐいぐいと読み進めさせるパワーがある。でも、設定や背景がほとんど説明なく、何となく聖書を題材にした背景があるのだなと思わせる程度。ひたすら殺戮の描写が続き、どうもこれは小説というよりマンガ的な、イメージ中心に描かれた物語であると思える。アメコミっぽい感じがした。マンガ的といっても、会話中心ではなく、まさにイメージ描写が中心であり、その他の描写はひたすらそのイメージを盛り上げる雰囲気づくりに徹している。こういう作品も面白いなと思った。
『ボディ・アンド・ソウル』 古川日出男 双葉社
フルカワヒデオという作家が2002年11月から2003年7月までの東京での日常を語ったエッセイ、のような小説であり、リアルな日常と幻想、様々な物語の断片や蘊蓄やアイデアが、そして唐突な暴力と死と硬質なフレーズが、30代〜40代の生き生きとした東京の男性の(女性もいるが)饒舌な話しコトバで描かれる。ぼくは饒舌な作家が好きだ。饒舌な話しコトバで語りかける文章がとても好きだ(寡黙な作品が嫌いなわけじゃないけども)。もちろん語るべき内容を持っている場合だけどね。劇画版オバQの真実、スプラッター映画とパンクミュージックの歴史的シンクロニシティ、〈亜東北〉、うーん、本書に出てくる小池さんの蘊蓄をぼくも聞きたいよ。ぼくは本書をわくわくしながら読んだ。若々しく生き生きした話コトバは、よくあるライトノベルの会話体と一見よく似ていても、語られる内容のもつエネルギーが、運動量が、ポテンシャルが大きく異なる。食事や散歩や不動産探しの日常的リアリティ(特においしそうな食事!)と、不条理な幻想(あちらが見えてしまう〈死んだ〉妻、宇宙人によるアブダクション……)が切れ目無くからまって、ぼくは文章に酔っぱらってしまう。ミステリっぽい仕掛けもあり、前向きに元気になるところもあり、切なくなってしまうところもある。しかし、本書で惜しげもなくまき散らされている小説のアイデアの何と面白そうなことか。一番いいころのヴォネガットを思い起こした。
『万物理論』 グレッグ・イーガン 創元SF文庫
イーガンの長編ははっきりいって読みにくい。どんどんページをめくらせるというような小説ではなく、1ページ読むのにとても時間がかかる。それだけSF的に内容が濃いのだが、一方で敷居が高いともいえる。文学的に難解だというわけではない。ストーリーは近未来のポリティカル・サスペンスといっても良く、「万物理論」をめぐる物理学者たちの会議に乗り込んだ科学ジャーナリストが巻き込まれる、バイオ企業とアナーキスト国家(国家じゃないから、ステートレスと呼ばれる)との政治的闘い、そしてカルトのテロリストたちとのハイテクを駆使した命がけの闘いが描かれる。これって、ベストセラー作家がエンターテイメントらしく書けば、はらはらどきどきの面白い小説になっただろう。ベストセラー作家じゃなくても、ブルース・スターリングが書いたら、かなり違ったサイバーパンクSFになったと思う。いや、スターリングがこのテーマでSFを書くならぜひ読みたいと思うぞ。イーガンの場合、スターリング的な近未来の社会描写や政治風景にも充分に力がはいっており(いや、本書の前半部分は、彼の中短編の多くと同様、それがメインテーマとなっている)、それも読みどころだと思うが、でもやっぱり本書の最大のポイントはそこではない。ポイントは情報理論と物理学(本書ではまさに物理学がメインだが、彼が物理学というときには、それによって説明される宇宙の物理的実在すべて――物質とエネルギー――化学や生物学もそこには含まれる――を表していると思われる)の統一にある。そして情報理論というのは数学であり、物理の方程式であり、DNAのもつ情報であり、言語であり、コンピュータのプログラムであり、そして人間の意識でもある。この問題意識はイーガンのほとんど全ての小説に明確に表れており、それはぼくが最も魅力的に思い、興味をもっているものでもある。そこさえ押さえれば、本書の背景にあるかなり高度な科学知識を理解していなくても(ぼく自身、とても理解しているとはいえない――それは本書の主人公と同様だ)、本書の魅力はわかるだろうし、現代最高レベルの本格SFの、目の覚めるようなセンス・オブ・ワンダーを感じることができるだろう。テーマ的には「ルミナス」とほぼ同じなので、本書のクライマックスが良くわからなかったら「ルミナス」を読み返してみるのがいいだろう。中編だけにテーマが凝縮されており、ポイントがわかりやすくなっている。このアイデアもうっかりするとトンデモだと思いかねないが(まあSFには違いない)、その違いは本書の中で科学とカルトとの関係としてしっかり説明されている。アイデアの衝撃度では『順列都市』の方が上かも知れないが、完成度は本書が上回っている。とにかく傑作である。とっつきにくいが、じっくりと読んでほしい。充分に発達した科学も、魔法ではなく科学である、というのは、とてもいい言葉だと思う。なお、京フェスでの志村さんと菊池さんの発言で、本書のあいまいにも見える結末の意味など、ほぼ解明されたように思う。でも後書きにネタバレ禁止とあるから、ここでは書けないなあ。
『鏡の森』 タニス・リー 産業編集センター
リアル白雪姫。ファンタジー的な要素もあるが、むしろ中世の暗く深い森を描いたリアルな物語である。母である魔女と白雪姫の間にどのような愛憎があったのか。トラウマだらけで、とにかく痛い、哀しい、恐ろしい物語だ。文章は華麗で美しく、エロティックですらあるが、それにまして悲しい狂気の物語が心を打つ。無惨な結末も、力強く生き生きとした小人たちも、森の中の神話的存在たちも、残酷な王子も、中世の闇の中に現れ、消えていったのだろう。そういう意味ではややステレオタイプなところもあるが、まあ白雪姫だからそれでいいのだ。何といっても原型的な物語なのだから。でも本当に怖い(悲しい)話です。翻訳はタニス・リーの流麗な文章をうまく訳していると思うのだが、所々にあれっというような現代的な表現があって、そこはちょっと気になった。原書でもそうだったのかしら。
『空の中』 有川浩 メディアワークス
『塩の街』で電撃ゲーム小説大賞を受賞した女性作家の長編である。ぶあついハードカバーだが、読後感はやっぱりライトノベル。それは、よって立つリアリティが、二組の男女の日常的な、いわば半径数百メートルの恋愛感情に寄りかかっていることから来ているように思う。冒頭、四国沖の上空2万メートルでの航空機事故の描写は、なかなか硬質な印象があって、これはと思わせる。2万メートル上空を浮遊する巨大な円盤のような知的生物「白鯨」。えーと雲が知的生物だったという話を昔読んだ記憶があるのだけど、誰の話だったっけ? いい雲と悪い雲が戦う話。ウォルハイム? ベン・ボーヴァ? 記憶力が著しく減退しております。それはともかく、高知に住む高校生の主人公と幼なじみの彼女とのちょっと甘酸っぱい青春小説、そして航空会社の調査員とジェット機乗りの自衛隊員の大人の二人の物語。交互にすすむこれらの人間ドラマは、大人パートがちょっと作りすぎで気恥ずかしい感じはあるけれど、とても気持ちよく読める。でも、白鯨と人類のファーストコンタクトSFとしては、少し、いや、かなり不満。いきなり主人公の携帯を使ってコミュニケーションを図ったりするのだが、それを納得させられるだけのSF的リアリティがあるとは言いがたい。いや、ハードSFみたいに科学的に描写せよというわけじゃなくて、コミュニケーションとか知性とかいうものを、青春小説パートのリアリティに拮抗するくらいの真剣さでもって考えてみてほしかったなと思うのだ。国際政治や白鯨との戦争やそんな状況にある社会の描写にしても驚くほどあっさりと済ませていて、どうにも物足りない。まあそういう大きな物語を読みたがるのも、ロートルSFファンだけなのかも知れないが。これだけの長大な小説を読ませる筆力はあるし、白鯨との会話などもとても面白く、今年の収穫には違いないのだが。ひょっとして高知出身者のみにわかる秘密の物語が隠されているのかも。