岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。7月は
『蒼穹の槍』、『第四解剖室』、『幸運の25セント硬貨』、『膚の下』、『シン・マシン』などを収録。
ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。
Linuxの導入
うーむ(って、いつもこれからスタートしますが)。Linuxもいろいろ触って(ほんとに触っただけ)試してみました。最初がCompaqで動くSlackwareでした。あれは設定を変えるたびにgccで再コンパイルという、大変な手間がかかりました(といっても、makeコマンドを入れるだけなので、手間といっても時間だけ)。でも、Compaqの486マシンで走るLinuxは、結構長期にわたって動き、その後は、ハードディスクやCD−ROMを外した1FDLinuxルータマシンとして活用、一番長持ちしました。その後のLinuxは、Vineにしてもコンパイルなど必要なくmakeすら忘れ果てていました。
さて時代は流れすぎ、久しぶりにLinux世界の雑誌を買うと(3年ぶりか)、Red HatがFedoraになって(というかスピンアウトして)、新しいディストリビューション(パッケージ)に変わっています。カーネル2.6を採用した、実験色が強いディストリビューションでCD-ROM4枚分が必要。現在がver2、年内にFedora3になるようです。Red Hatはオープンに開発されたFedoraから良いとこ取りして、次世代ディストリビューションに使おうというわけですね。そこが、オープンソース流の開発手法なのでしょう。これを、新規に購入した中古PC(1999年製スリムデスクトップ/3000円。ブロードバンドルータダウン時の予備機)に導入します。
うーむ、結局インストールはできました。が、やはり、LinuxがWindowsほど簡単にはいかない点は、昔とさほど変わっていませんね。まずインストール時にUSBキーボードを認識しないことから始まって、古い無線LAN PCIボードは(他のバージョンでのノウハウはあるのですが、同じ結果には至らず)不可、CD再生はできるものの録音データは再生できない(これはソフトのバグらしい。不要機能なのでパス)など、設定オタクにとってこれほど楽しいおもちゃはないという代物。やっぱり普通の人がそのまま使えるものではありません。MS-DOS時代のconfigファイルを思い出しますね。念のために書いておくと、Fedora自体は安定性を狙うパッケージではありません。普通に使えないことを難点にするのは不公平でしょう。
でも、今のLinuxが、オリジナリティを捨てマイクロソフト・シミュラクラのようなインターフェースでもって、Windowsユーザに浸透するつもりだとしても、当面オタクユース、(サーバーのような)プロユースを超えるユーザは得られないと思われます。つぎはぎ/不安定/非洗練でも、整理好きで自作が好きな人がチューンできる可塑性、Windowsで失われつつあるユーザの自主管理部分(変更/差し替え部分)が残されている点こそ、Linuxの利点でしょう。会社/団体単位で誰かがチューンして、まとめて配布するような用途が本来ではないかと思われます。パーソナルユースも、そのような形態が正しいのですが、売られているパッケージは、まだWindowsと比肩できるレベルに達していません(
既存の範囲では)。価格的にも、Windowsのアップグレード版と変わりがないようだし。稀に、個人向きに開発された例を見ます。これなんか、でもブレイクしそうにないなあ。それにLinuxユーザには、他人が作った環境なんて、そのまま使えるかってわがままな人が多いのも問題。
最近は、こんなものまであります(…エロゲーではなく、CDだけで起動可能なKNOPPIXをカスタマイズしたもの。書籍にて販売中)。やっぱりマニアックですよね。