内 輪   第166回

大野万紀


 さて梅雨時に台風が直撃するなど、へんてこな季節ですが、21世紀だからそれでいいんでしょうね。
 長崎の小学生が同級生を刺し殺した事件で、ネットの影響がどうとか話題になっています。わが家の子供たちもずいぶん小さい頃からインターネットに入り込んでいて、中学のころから自分のHPも作っていましたが、当時と今では時代が違うのでしょう、ごく普通の、大人が作るのと変わらないようなものでした。ところが今の子供たちが作るネット社会というのは、古くからの人間には異様に思えるような、別のしきたりや文化があるようです。風野春樹さんのページにくわしいレポートが載っていて、興味深く読ませていただいたのですが、現在のインターネットには、様々な小宇宙が独立してモザイク状に折り重なっているような印象を受けました。で、時々〈衝突する小宇宙〉という現象が起こって、住人がうろうろするわけですね。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『からくりアンモラル』 森奈津子 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 Jコレクションだが、SFポルノ短編集とでもいうべきか。愛玩ロボット、未来から来た自分とのSEX、吸血鬼の奴隷となった人類、その他共感BOXや、一種のテレパシーによる他人との感情の共有、などなどSF的な設定や小道具が用いられているが、テーマとなっているのはまさにアンモラルな、非日常的な性愛である。描写はポルノ的であっても、描かれる感覚はエロティックというより、むしろもの悲しい。それは他者への共感よりも、ウロボロスの蛇のような自己愛の延長として描かれ、業というほかないむなしさが漂っているからである。

『〈美少女〉の現代史』 ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書
 講談社現代新書の〈おたく研究シリーズ〉というやつか。70年代から今日までの、アニメやマンガにおける〈美少女〉〈萌え〉という記号の歴史を総括的にたどっている。短い中で的確に取捨選択して図式的に記述されており、とてもわかりやすい。あまりにわかりやすいので、かえって疑問に思えてくる。基本的な図式としては、男性の読者が目標や自分の拠るべき根拠を失い、受動的な〈透明な私の視線〉となって〈美少女〉を見つめることに自分の拠り所を求める、いわば退却戦の歴史がそこにある、というものだ。うーん。これっていわゆる「大きな物語」の喪失と同じことだわな。でもなぜ〈美少女〉なのかが充分説明できているとは思えない。透明な私の、純粋な視線が見つめるものは、他の何でもかまわなかったはずだ。どうもこの図式はわかりやすすぎて、実は何にでも当てはめ得るものではないのだろうか。歴史的な「大きな物語」の喪失が背景にある限り、同じ手法で様々なことが説明ができる、となると、それは現象を語っているだけで、説明ではないのではないか、などと色々と疑問がわいてくるのである。でも、考察はともかく、マンガやアニメの歴史を語るという面ではすっきりとまとまっていて、とても面白く読めた。「マクロス」が痛いというのなんて、とってもよくわかるもんなあ。

『大鬼神 平成陰陽師国防指令』 倉阪鬼一郎 祥伝社
 倉阪鬼一郎のNONノベル書き下ろしは現代に陰陽師が活躍する伝奇小説だ。とはいえ、読み終わった印象からすると、マンガチックな特撮怪獣小説。小林泰三の『ΑΩ』に対抗しようというのかしら。丹後の山奥で古代の封印が解かれた。禍々しいことが起こる。小説家の兄と民俗学を学ぶ妹、霊的国家防衛を担う若き陰陽師、ちゃんこ鍋や相撲取りや右巻きニュートリノ(?)や、そして亀にまつわる太古からの伝説や謎の数々。いや、面白かったんですけど、前半のわりとまっとうな伝奇小説っぽいパートと、後半のはちゃめちゃな怪獣小説パートのアンマッチ(というか、よく読むと前半からそうだったのかも知れない)にびっくりする。しかし、オカルト伝奇小説ネタに、ニュートリノがどうしたとかSFっぽい味付けをしようとすると(本書は残念ながらそこで外しているとしかいえない)、やっぱり小林泰三を思い出すなあ。

『カオス レギオン03 夢幻彷徨篇』 冲方丁 富士見ファンタジア文庫
 ヤングアダルトあるいはゲーム小説の作家としての冲方丁を読むのにこの小説が適切かどうかよくわからないのだが、それに5巻も出ているシリーズの最新刊だけ読んで何がいえるのかとも思うが、まあ読んでみた感想です。うーん、重い。主人公の繰り出すモンスターの軍団と敵のモンスターたちの凄まじい闘いや、複雑な陰謀とまるで山田風太郎の描く忍者のような超能力をもつ連中が入り乱れてのバトルが描かれているのだが、爽快感はない。何しろストーリーの中心にあるのが、自分に仕える従士(うら若い女性だ)の死にまつわる記憶と幻と忘却の物語なのだから。記憶を操る敵が出てきて、ストーリーの大半は主人公(たち)の内側で繰り広げられる。女性キャラクターたちがみな同じに見えてしまう(いくつかパターンはあるが)のは、何かお約束があるのだろうか。ヤングアダルトのファンでもちょっとしんどいのではないか、と思った。

『川の名前』 川端裕人 早川書房
 SF的な要素はないが、とても気持ちのいい傑作だ。帯には「感動の青春小説」とあるが、小学5年生の話なので、「青春小説」というのはどんなものか。小学5年生の夏休み小説であり、ペンギン観察・冒険小説である。東京は多摩川の支流、桜川(モデルはあるが架空の川だそうだ)。住宅地を流れるこの川と、自然保護のため立ち入り禁止となっている小さな池と、そういう小さな自然の中に、どこからか現れたペンギンの一家。主人公の少年たちは夏休みの自由研究のテーマにペンギンの観察を選ぶ。何というか、多摩川に現れたアザラシのタマちゃんとイメージがだぶって、とりわけマスコミが騒ぎ出してからの展開にはちょっとしらける部分もあるのだが、あくまでも少年たちの視点に物語の重心があるので、さわやかな少年向け冒険小説として楽しく読める。そしてもちろん著者の得意とするペンギンの小説でもある。SF的な要素はないといったが、本書のタイトルである〈川の名前〉の意味が明らかになる部分には、強烈なセンス・オブ・ワンダーがある。小さな頃、誰もが思ったことのあるような(少なくともSFファンになるような人は考えたことがあるはずだ)、大宇宙と自分の日常とをつなぐ回路が示される。しかしそこでは、宇宙から日常的なロケーションに移る際、無意識的にある座標変換がなされていたのだ。本書ではそのことが明らかにされ、もう一度はっとするような座標変換がなされる。まさに認識の変革だ。ここには本当にわくわくするような感動があった。

『生命の星・エウロパ』 長沼毅 NHKブックス
 深海生物を研究している生物学者の書いた、木星の衛星エウロパに生命の存在を確信する本。ただし、主要な内容は、地球の辺境(深海や地底、南極の氷の下など)に生息する生命を解説し、考察するものだ。太陽を必要としない生命の存在。だからエウロパの氷の下の海にも生命は当然存在する(ただしこれは心情的な確信)というもの。当然ながら、クラークの『2010年宇宙の旅』をはじめとするSFが頻繁に引用される。それだけでなく、詩人やケルト神話からの引用も多く、著者が宇宙に普遍的な生命と語るとき、何か大きな物語を想像しているようすが読みとれる。必ずしも科学的な態度とはいえないかも知れないが(著者の断定口調にはちょっと危ういものを感じるところもある)、まさにSF的といえるのではないか。でも本書の本質は、やはり地球の辺境で何度もリセットを繰り返しながらここまでやってきた無数の微生物たちへの賛歌にあるのではないだろうか。


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