続・サンタロガ・バリア (第28回) |
どうして梅雨時にコンサートが続くのか、音が湿っぽくなるのに。たぶんヨーロッパがオフ・シーズンなせいなんだろうが。
北ドイツハノーファー放送フィルハーモニーは大植英次のオーバーアクションな指揮棒の下、「悲劇的序曲」「死と変容」「英雄」という真っ向勝負のコテコテ・プロ。目を瞑っていればそれなりの響き。「英雄」のライヴはシノーポリ/コンセルトヘボウ(フィルハーモニアだったかも)が最高だった。ハノーファーの音色を来年まで覚えているかといえばたぶん忘れている。
指揮者なしの(コン・マスが指揮者)プラハ室内管弦楽団は、伊藤純子のヴァイオリンを聴きに行ったようなものだったけれど、モーツァルトの交響曲1番が聴けたのが良かった。伊藤純子のモーツァルト4番「軍隊」はいまどきの強烈派と違ってデル・ジェスのやわらかさを強調した響き。良く聴くにはCDのほうが良い。オケは指揮者を置かないといっても結局はコン・マスの解釈になってるわけで安心して聴けるが、何十年も変わらないコン・マスではマンネリな音楽になっているような気がする。はじめてCDにサインを貰った(もちろん伊藤純子の)。
クリストファー・プリースト『奇術師』。古沢先生入魂。読み始めてすぐ思い浮かべたのがクリムゾンのライヴ4枚組ボックス『ザ・グレート・デシーヴァー』。あの奇術師の顔や手が読んでいる間中、ちらついて仕方がなかった。まさかプリーストがこのボックス・セットを見てこの話を思いつんたんじゃなかろうが。話自体はパルプ・ストーリーでもありそうだが、ここまで手が込んでいればなにも言うことはない。
ウィリアム・ギブスン『パターン・レコグニション』。SFじゃなくてもギブスンの書く話は同じだ。というかSFな感触が濃厚だ。フッテージの謎とオタクの世界。超高度資本主義だから村上春樹とならび称されるのか。9・11がらみの話だが、アメリカ/超高度資本主義の外(内か)で疎外されている世界が見えないのは、読み方が悪いのか。読んでて楽しい作品なのは嬉しいが。
読みたい本はどんどんたまるのに、なぜがここらで『ファウスト』第2号。乙一、滝本竜彦、佐藤友哉、西尾維新。舞城王太郎は翻訳(らしい)のでほっておく(読んだのだが全く中身が思い出せないのだ)。「同級生というのは・・・単なる背景」乙一、「このクラスの豚どもには・・・僕のような頭の良い人間の言葉が通じるはずないのだ」滝本竜彦。「肉のカタマリ、それは何も稼がず何も抱かず楽しみも感動もない退屈な生活を死ぬまで死守するどうしようもない連中・・・」佐藤友哉、「どうしようもない低脳達ばかりの学校内においては・・・」西尾維新、「魚の目をしているクラスメイトが 敵では 決してない」椎名林檎(「虚言症」)。今の若手作家たちが見ている十代のココロはとても大変なのだ。
森奈津子『からくりアンモラル』SFとしては古風な佇まいをみせる短編集。一つ一つの作品は確かに「愛と性」の話だけれど、SFとしての枠組みがとてもわかりやすいのでSF初心者向けに良いかも。初心者向けにしては嗜好が特殊じゃないかという面もあるが、別にわるくないと思う。
高野史緒『ラー』。『アイオーン』と違ってえらくすっきりした物語。読後感はさわやか。長編の持つダイナミズムに欠けるというところでやはり中編の書き延ばしと印象が残る。これは『星の綿毛』にも感じたことだ。この作品のさわやかさは構成が一直線ということとキャラクターに無理な厚みをつけなかったこと、そしてメイン・アイデアのピラミッドの謎の扱いにある。 ロマンチック・ファンタシィだね。