内 輪 第165回
大野万紀
今月は何だか色々あって、あまりたくさん本が読めなかった。今回書評するのも4冊のみ。プリーストの傑作『奇術師』をやっと今日読み終わったところで、何とか間に合いました。やっぱりコニー・ウィリスの分厚さが敗因かも。いや、面白くて読みやすい本なんですけど、通勤電車の中で読むにはちょっとつらかったのです。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『フェッセンデンの宇宙』 エドモンド・ハミルトン 河出書房新社
中村融の奇想コレクション、新刊はハミルトンだ。水鏡子は「フェッセンデンであの表紙は……」と違和感があるみたいだけど、全然問題ない。収録された9編(うち4編が初訳)は本格SFあり、秘境冒険小説あり、ホラーあり、破滅もの、ファンタジーありとバラエティ豊か。確かに古いタイプの小説ではあるのだが、決して古くさくはない。今読んでも充分面白い話ばかりだ。ま、今となっては微笑ましく読めてしまうものもあるけれどね。初訳でぼくの好きなのは「太陽の炎」と「夢見る者の世界」。前者は初期のクラークにも通じるSFの詩情があるし、後者は今ではとても書けないタイプのストレートなヒロイック・ファンタジーとSFの結合である。「風の子供」もいいが、秘境ものというのは時代を感じてしまう。ファンタジーとして読めば問題ないのだが。既訳のあるものではやはり「向こうはどんなところだい?」(「何が火星に?」改題)がいいし、「追放者」も好きだ。やっぱりハミルトンはりっぱなSF作家だと思うなあ。
『爆撃聖徳太子』 町井登志夫 ハルキノベルス
『諸葛孔明対卑弥呼』につづく色物歴史ノベルであり、今度は聖徳太子だ! という話には違いないのだが、これがそういう枠では収まらない意外な(といっては失礼だが)傑作だった。何より小野妹子が主人公なのがいい。ほとんどミュータントな怪人として描かれている聖徳太子とは違い、彼はごく普通の我々が感情移入できる人物である。例の「日出ずるところの天子」から話は始まるが、舞台はほとんど中国と朝鮮半島である。聖徳太子ものとしては、このあたりが規模雄大でよろしい。そして何よりの圧巻は、隋の煬帝による高句麗遠征。小野妹子も聖徳太子も、高句麗側に立って、圧倒的な隋軍に対し、ともに戦うのである。とりわけ遼東での攻城戦の描写が凄い。迫力満点だ。聖徳太子が煬帝と戦うという色物な話でありながら、ゲーム感覚はなく、まさに凄まじいリアリティのある戦闘が描かれている。ちょっと調べてみたが、ここに描かれた闘いのありさまはほぼ史実に基づいているようだ。まるでロード・オブ・ザ・リングの攻城戦を思わせる迫力だが、その百倍の規模なのだ。本格的な架空歴史SFとして楽しむことができた。
『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』 コニー・ウィリス 早川書房
コニー・ウィリスのヒューゴー賞他受賞の分厚いユーモアSF。分厚いが、読みやすさは抜群。でも、主な舞台がヴィクトリア朝英国で、いきなり「主教の鳥株」を探せといわれても何の事やら。どうやら副題の花瓶のことのようだが。19世紀と21世紀(といっても今世紀のことだな)そして第二次大戦中の20世紀を行ったり来たりし、テームズ川の川下りをし、犬や猫に振り回され、19世紀と21世紀のとんでもないおばさんたちにがみがみいわれ、あわれな史学性ネッドくんはへろへろな目にあっております。でもいいのだ。彼には同じ21世紀から派遣されたミステリマニアのステキな女学生ヴェリティがいるから。彼女がまるでナイアス(水の精)のように見えるのは、さんざんタイムトラベルしたことの副作用「タイムラグ」によるものかも知れないが。というわけで、歴史の流れに生じる深刻なずれを修正するため、過去へ送られた二人のほんわかとしたロマンスと目まぐるしいドタバタ、彼らをとりまくめちゃくちゃ個性的な人々(とりわけ執事がいい)、そして犬と猫をめぐるコメディだ。面白さは保証付きだからいいのだが、やっぱりちょっと長いかも。歴史の因果関係はリニアではなく、カオス系であるというメインのアイデアがあって、ストレートなタイムパラドックスは考えなくてもいいので、ある意味作者にとっては都合がいいだろう。だって、線形な因果関係を積み重ねる必要がなく、カオスだもんね、予測はつきませんでしたで済んでしまう。これまでのタイムパラドックスSFというのはとてもロジカルにパズル的に作られるイメージがあったが、本書ではそれはいいかげんでもいいのだ、ということにある程度の根拠を与えているのが面白い。それだけに結末の謎解きはちょっとアンフェアに思える。でも何よりも、タイムトラベルという大変な技術とリソースを、花瓶探しのプロジェクトに全力投入するというそもそもの設定が一番謎だったりする。まあ、怖いおばさんには誰も勝てないということだね。
『奇術師』 クリストファー・プリースト ハヤカワ文庫
プラチナ・ファンタジイの一冊。19世紀末から20世紀にかけての二人の奇術師の確執と、現代のその子孫の物語。物語の中心は二人の奇術師の、それぞれの立場から書かれた日記にあり、中でも二人が得意とする瞬間移動のイリュージョンが大きな謎となっている。傑作である。奇術師たちとその家族、それを取り巻く人間たちが細やかに、そして鮮やかに描かれ、読み応えのある小説となっている。そして奇術、謎、不思議。これはまさにファンタジイというのが正しいだろう。SFでもあり、幻想小説でもあり、ホラーでもあるが、ガス灯から電気の時代へ移り変わる時代を背景にした、〈電気ファンタジイ〉とでもいうべき小説である。パンクじゃないから〈スチームパンク〉とはいえないが、SF的な味わいもたっぷりとある。何しろ、ニコラ・テスラが重要人物として登場するのだ。謎解きの要素が大きいので詳しく語るわけにはいかないが、恐るべき結末へと必然的に至る話の流れが衝撃的である。なるほど、信じようと信じまいと、まさにそういうことなのだ。何の関係もないのだが、ぼくはラファティのある有名な小説の情景を思い起こしてしまった。悪夢のようで、悲しく、そしてグロテスクだがどことなくユーモラスでもある。これもまた小説の奇術に違いない。