岡本家記録とは別の話(芥川賞篇)

 

岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。2月は『地球に落ちてきた男』、『新・地底旅行』、『針』、『ふたりジャネット』などを収録。

 ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。

2004/2/22

蛇にピアス 蹴りたい背中


金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社)
 

綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)
 
 

 先月に引き続いて教育問題、ではなくて芥川賞です。まあもちろん、この2作については無数の著名なレビューが寄せられており、ここにさらに無名SFレビュアーの感想文を上げたところでさほどの価値はないでしょうが。

 まず『蛇にピアス』は人体改変SFです。主人公は舌を改造し、まるで蛇のような二股にしようとする。彼女の恋人は、眉や唇にピアスをつけるだけではなく、舌の先が分かれています。主人公はその舌に魅せられたのです。しかし、改造を請け負った専門店の店長はもっとすごい。瞼、眉、唇、鼻、頬、手の甲、頭とあらゆるところに手を入れている。自身を変貌させることを無意識に願望する主人公にとって、店長は無視できなくなっていきます。

 人体を改造する、というコンセプトは古くはサミュエル・R・ディレーニイあたりが初めではなかったかと思います。それまでのサイボーグは、器官そのものを目的に応じて(仕事/病気/事故等で)交換したわけです。人体を自身の感性でパーツ的に扱うようになったのは、1970年代を過ぎてからでしょう。ウィリアム・ギブスンの時代に至って、それらはより奔放な遺伝子改変を含むようになり、外観だけでなく記憶やDNAそのものが自由に置き換えられるようになります。本書でも、主人公の意識はそのような“置き換え自由の存在”の中で、次第に壊れていきます。近年よく知られるように、身体と知性とは不可分なものです。自身の改造が進むにつれて、意識そのものが変わっていくという本書のテーマは納得できるものでしょう。

 一方の『蹴りたい背中』は、流行り(?)のコミュニケーションテーマSFです。主人公は高校生。中学からの友人が別のグループに入り浸るようになって、だんだん自分が孤立してきたことを意識します。そんな中、1人の男子が浮いているのに気が付きます。でもその子は、マイナーなアイドルのマニアで、さまざまなコレクションにのめりこんでいます。妙に気になるのに、こちらを向いてもくれない奇妙な関係。

 孤立していく女の子は、旧来のコミュニケーションを失いつつあるのですが、代わりに全く外部とのコミュニケーションを持たない男の子に惹かれます。別にその子がロボットのパイロットだって、魔法使いだってよかったのです。まあ、オタクだったわけですけどね。このオタクの少年は、物語の終幕で念願のアイドルとの対面を果たします。しかし、物理的な距離は、彼が近づこうとした精神的な距離とは全く異質なものでした。一方、彼女の感じていた距離は、ちょっと縮んだのかもしれません。スタージョンなら書きそうなお話ですね、「不思議のひと蹴り」とか。

記号 第130回芥川賞(文藝春秋)
 

THATTA 190号へ戻る
トップページへ戻る